三節 諜報4
◇
「エールを二杯とワイン。それから、何かつまめるものを」
「見ない顔だが、うちを選ぶたぁ、見る目があるな」
「そいつはどうも」
「あんた、傭兵かい? それとも冒険者? んなら、フードくらい取りな。ここじゃ、酒と一緒に顔を売るもんだ」
「悪いが、この前仕事で大ポカしてね。俺は人には見せられない火傷を負って、こっちは声も出せない。どうしても見たいってならいいが、今日は店じまいになるぞ?」
「ああ! やめてくれ! うちみたいな小さい酒場は中央とは違って、今日の売り上げでなんとか明日もやっていけるんだ。悪かったよ、変なこと聞いてよ。なんだったら、あんたが十人分の売り上げを作ってくれてもいいんだけどな」
「そいつは……、この店の味次第だろ?」
「それもそうだ」
俺が選んだ酒場は、店内に客はまばらで客の柄も決して良いとは言えない店。
店に踏み込んだ瞬間からテーブルで豪快に飲み食いしている連中が一組。仕事がうまくいきでもしたのだろうか。彼らからは遠巻きに視線を感じたが、俺はそちらに目を向けることなく、連中から距離を取るべく店の中で隅っこのテーブルを選んで二人を座らせた。気の良い店主と一つ二つ言葉を交わした後で、俺は一人、四つしかないカウンターの席に腰を下ろした。
カウンターには酒場の旦那と会話をする男が一人。それから、カウンター席の端には女性が一人酔い潰れているのか、カウンターに突っ伏しているのが見えた。
見たところ上物の衣服に身を包んでいて、これみよがしに盗んでくださいと言わんばかりの恰好ではあるが、さしもの悪漢も腰の鞘に収まる剣を見て手を出す阿呆ではないだろう。
つまり、この場で用心すべきはテーブルの連中のみ。あの手の輩は、目を合わすとろくなことが無い。帝都に居た時からそうだ。すぐに手が出る喧嘩っ早いワーグナーと、喧嘩の場でも指揮官気取りのメアの三人で何度酔っぱらいと喧嘩したことか。いつも決まって、メアだけはお叱りから逃れていたな、と紫晶災害が起こる前の平和な時を思い出してセンチメンタルに落ち込んだ気分を受け取ったエールで流し込んでいく。
帝都のどの酒場でもキンキンに冷えたエールが出てくることに慣れてしまっているが、十年前まではエールはぬるい飲み物だった。ぬるいエールはお世辞にも美味いとは言い切れないが、幼少の頃、背伸びをしてセナ村の隣街でシスター達に黙って飲んだことを思い出す。真似をして口にしたシグとアキがすぐに真っ赤になったのを覚えている。
あの酔っぱらい達がもし噛み付いてくるようなら追い返すつもりだったのだが、それよりも先に同じカウンターにいた男が俺の方に間を詰めて寄って来た。
「あんたら、見ない顔だな。最近アルザスに来た口……、さては、難民か?」
「だったら、なんだ?」
「いや、何。最近難民区の方がやけに静かで気味が悪くてな。難民区の賑やかさが無いと、アルザスもなんだか華が無いように思えるんだ。あそこの連中はうるさいし臭いしで迷惑だったが、祭りの日にはどこよりも楽しく騒いでくれるんだ。静かだと却って気味が悪い。難民区の連中だとすれば、何か知ってるかと思ってなぁ」
テーブルに運ばれていったエールとワイン。言わずもがな、サンドラとラクロロの分である。ラクロロが迷わずワインを手に取ったのをカウンターの席から眺める。
昼間の時点でこのエルフの男がワインばかり口にしていたのを見ていたが、アルザスのワインはあまり出来が良いとは言えない。ワインは北に行くほど美味い。その味を知った後では、他の地方のワインは飲めたものじゃない。だから大体どこも同じ味のエールで無難さを醸し出しつつ、ナッツで口寂しさを埋める。
その隙に、男の問いに対する答えを模索する。
難民区が静まり返っている理由に心当たりはある。だが、それを馬鹿正直に答えるつもりは無い。ゆえに、俺が口にする答えは単純であった。
「生憎と、俺の生まれは北側でな。住む場所は持たない根無し草だよ。アルザスには難民区があるのか?」
「なんだよ、お前らフリーの傭兵かなんかか? かぁ~っ! 可哀そうになァ。タイミングが悪かったなぁ、あんたら」
「なんだ。どう言うことだ?」
「悪いことは言わねぇ、さっさと別の街に向かうことをオススメするぜ」
酒精は口を軽くする。
気の無い上司の弱みを掴みたいのならしこたま飲ませて色々と吐かせるのが楽だよ、と言うメアの言葉を思い出す。
だから一杯や二杯、奢るつもりでカウンターに腰掛けたのだが、収穫はラディッシュよりも早かった。
俺が奢るよりも先に酒精で気持ち良くなっているのか、男は常にヘラヘラと笑いながら肩に手を乗せてくる。笑いたいのはこちらの方だ。
一瞬、こうも欲しいネタが向こうから転がり込んでくるのか、と余りにもこちらに都合の良い男を疑ったものの、ペラペラと語る男の様子に不審な点は見つからない。男はただただ軽くなった口を動かさずにはいられないだけのようだった。
「でかい戦争がある、って聞いたから遥々ここまでやって来たんだ。何もせずに帰ったんじゃ、ここの酒代だけで赤字だよ」
「知らねぇのか、あんた。アルザスの敵はあのエルフだぞ? 腕に自信があるようだけども、エルフとの戦いで傭兵団の出番は無い、っての。まさか、アルザスの目の前までエルフがやって来るなんてなぁ……。ありゃあ、驚いたもんだ。帝国の機竜ってのは頭の上を飛んでいくのを見かけるが、エルフの乗ってるやつ……ありゃあ、魔物だろう? 迫力が違え! 近所のばあさんなんか、驚いて腰を抜かしてたぜ! それから俺の兄ちゃんの話なんだけどよ──」
「いや、いい。それよりも、傭兵は用無しか?」
「ん? ああ、そうだな。もちろん、細々した仕事はあるから用無しってわけじゃあないけど、戦争に参加するならやめておきな。傭兵は数頭が揃わなきゃ仕事にすらならねぇ。お陰で食いっぱぐれる連中も出るわで、自棄になった連中が溢れて街中の治安がなぁ……。ちょっと前まではこんなんじゃなかったんだぜ?」
傭兵は一人二人いればいいと言うものではない。
数百人規模がいて初めて戦術的に役に立つ存在だ。帝国軍も傭兵を雇う側として、数人程度の有志がいたとしても雇うことは無い。だからここに居ても稼ぎ口は見つからないぞ、と親切心から警告してくれる男は、悪い奴では無さそうだ。
ちらりと後ろに視線を向ける男は、テーブルで下品に騒ぐ男たちを怪訝そうに見た。この男は間違いなくこの店の常連なのだろう。好きな店が荒らされて気が気じゃない、と言った雰囲気だ。
「いいや、エルフ相手でも傭兵はやれることがあるだろう。むしろ、帝国軍は率先してそう言うことを傭兵に任せていたはずだが」
料理を運んで来てくれた酒場の旦那に礼を口にしつつ、「同じのをもう一杯」と男の分も含めて注文すると、男は嬉々として口を滑らしてくれる。
「……ここだけの話な? なんでも、アルザスは傭兵に対して金払いを渋ったとのもっぱらの噂だ。かの有名な月華団ですらとっくにアルザスを去っちまってる。だから今アルザスに残ってる傭兵ってのは、俗に言う逃げ遅れた奴らなんだよ。……あいつらみたいにな」
月華団。
名前だけは知っている。確か、アルザスを中心に活動する傭兵団だったような気がする。恐らくそれがアルザスの傭兵を取りまとめる組合的な存在だったのだろう。それが抜けたとなると、ただでさえ烏合の衆である傭兵は確かに纏まりも欠け、数頭も揃わない。傭兵は今のアルザスでは稼げないという事になる。
その月華団については、俺たち機竜小隊は傭兵の仕事を丸っと奪い取ると言われ目の敵にされていたから詳しくは分からないが、相当やり手だと言う噂はかねがね耳にしていた。
傭兵を名乗っておきながら月華団を知らないとなると怪しまれるのは必至。ゆえに不要な発言を避けようと黙り込んだ俺に「もぐりかぁ?」、なんて言いながら月華団がなんたるかを口早に語る男を見るに、月華団と言うのは地元の市民からも人気と信頼を集める集団なのだと分かる。
この街の治安を維持してきたのは、他所より多く配備される兵士の数だけではなく、その月華団の存在も大きく関わっているのだろう。話を聞くに、悪い奴らではないようだが、金額一つで敵味方を切り替えるような連中だ。希望的観測は足元をすくわれる要因になりかねない。
むしろ月華団とは、メアがアルザスの軍勢で注意すべきは傭兵団くらいのものと忠告していたくらいだから、余程腕が立つと見てもいいだろう。それが今アルザスに居ないのだとすれば、むしろ好機。俺たちの勝機も見えてくると言える。
だが、その程度で安心し切れる程、戦争は甘くない。戦場とは、常に変わりゆくもの。万全に万全を重ね、万全を期したとしても、ほんの僅かな油断で足元をすくわれる。それが戦場というものである。
そして、その僅かな油断にも繋がりかねない微かな憂慮すらも潰して回るのが、メアのやり方。メアの言う、「交渉はテーブルに着く前に終わっている」、とはまさにこの事なのだろう。
「お陰で、月華団が居なくなってから柄の悪い連中がアルザスには増えてるんだ。それに最近は、兵士たちの動きもなんだか怪しい。中央と正門ばかりを気に掛けて、こっちにまで注意が向いてないときたもんだ。静まり返った難民区も含めて、なんだかアルザス全体がキナ臭くなってるんだ。なあ、そうだろ、マスター?」
「あぁ、全くだ。こんな町の端で営業してる身分だと、ここでいくら騒ぎが起こっても兵士は駆け付けてなんてくれねぇ。前まではもっと窮屈で息苦しいくらいだったのになぁ。お陰で客足が減ってしょうがねぇ」
「本当だな! このままじゃあ、呪い人か魔物相手に商売することになるぜ、この店は」
「金を払ってくれるなら、呪い人でも魔物でも構わず相手にしてやるさ」
ゲラゲラと笑う男に、フッと笑って冗談を返す酒場の旦那。
この店の主人たる酒場の旦那の発言が本音であれ建前であれ、当事者である呪い人に加えて稀代の大犯罪者たる俺は何とも思わないのだが、その発言を許せない人は他にいるようだった。
「……おい、今、なんて言った? 忌み嫌われる呪い人を擁護するような発言が聞こえたような気がしたんだが? ええ?」
赤い顔をした男たちが、ヒヒヒ、と笑いながら席を立つ。
「このアルザスの街で、聞き捨てならねぇもんが聞こえたよなぁ!」
「呪い人は駆除対象だ。それを匿うような言い分……。この店はぁ、条例違反をしているようだなぁ?! えぇ?」
「通報されたくなかったら……、分かるよな?」
「チッ……。酔い過ぎだ、馬鹿どもめ」
「アァッ?! なんか言ったか?!」
ガチャガチャと音を立てる男たち。汚いゲップと、据わった目付き。一目見れば深酔いしているのが分かる男たちは、言いがかりのついでの如く呪い人を嘲り言う。だがその程度で傷ついていたら俺は当事者たちに顔向けが出来ない。
余り手入れのされていない短剣を構えた男たちに悪態を吐きながらも、酒場の旦那は硬貨の入った革袋を放り投げる。その弾みで零れた小銭が木の床に転がり音を立てた。
要は、この男たちはただで飲み食いした挙句、適当な文句をつけて金銭を奪うろくでもない強盗犯というわけだ。それが分かるからこそ、店主も不運だったと手切れ金代わりに金を渡したのだろう。
だが、それでも男たちは気が済まなかったようで。
「てめぇらもだ! さっさと立って、有り金全部出しやがれ!」
「……こんな真似をして、ただで済むと思わない方がいい」
常連の男が腹に据えかねた様子で口にするも、酔って気が大きくなった強盗犯は手の付けようがない。そこは大人しくみっともなくとも、情けなくとも、怯えた振りをするのがベストなはずだった。
「黙れよオッサン。殺されたくなければ隠してある分まで出しな。これ以上渋ると、あんただけじゃない。客の連中の身の安全も保障できねぇぜ?」
「それに、あんたらが言ってたんだろ? ここで騒ぎを起こしたって、兵士は駆け付けて来ない、ってよぉ! 俺達はこのまま、夜の間に街の外に出るだけだ。他の傭兵たちと同じようにな!」
「たまたまいい稼ぎを見繕っただけだ。なぁ、そうだよなぁ?!」
どれだけ飲んだら、離れている俺達にまでツン、と鼻を刺すような酒のにおいを全身から漂わせられるのか。
男たちの酒臭い吐息がかかり、短剣の刃先がついでとばかりに俺を向く。
……さて、どうしたものか。
ちら、と後ろを振り向くと、サンドラが俺の動向を窺うような目を向けてくる。俺達はあくまでも潜入している身。まだまともな収穫も無いまま騒ぎを起こすつもりなど毛頭なかった。一方でエルフの男、ラクロロは葡萄酒をご機嫌に傾けていて、俺達の騒ぎには見向きもしない。静観、と言うより、聞き取れない言語に興味が無いのか、下手に関心を持たれるよりはよっぽどマシだった。
だが、このまま酒に酔った男たちの魔の手が二人に向くのは避けたい。特に、ただでさえ人間嫌いのラクロロが、その中でも下等も下等に位置する酔っぱらいに絡まれて平気でいるとは思えないからだ。もし万が一男たちの手がラクロロに指一本でも触れようものなら、俺達の作戦はお終いだ。
だからここは大人しく金を渡してホクホク顔で立ち去ってもらうべきだろうかと悩みあぐねていると、俺の対角線上、カウンター席の端で動きが起こった。
「……んあ?」
カウンターに突っ伏して潰れていた女が、起き上がったのだ。
「へっへっへ、強盗ですかぁ? 強盗さんなんですかぁ? 本官の前で悪事を働くなんて、良い度胸してやがりますね? 本官はとっくに軍を辞職した身ではありますが、正義感まで捨てたつもりはねぇでありますよぉ……っと、と。へへっ、どっからでもかかってこーい! であります!」
酔い潰れていた女は、強盗の男たちと同じように深酔いして焦点の定まらない瞳と、直立すら困難な程に覚束ない足元で剣を抜き放った。
女の口ぶりから察するに彼女は帝国軍兵士なのだろうが、剣を構えるその姿は最早、目も当てられないほどにフラついていて信用足り得ない。平凡な髪と、瞳の色。魔力が特別高いわけでもなければ、思わず剣を取りこぼしてしまいそうなほどに細い華奢な腕も相俟って、皮肉にも俺は男たちと同じ感想を抱いてしまったらしい。
「へッ! 軍用の剣を持っているから手を出さねぇでいてやったのに、もう帝国軍の人間じゃねぇんだって? なら、情け容赦なく奪えるってもんだ。その細腕で、俺達相手に何が出来る?」
「ややっ?! 本官が帝国軍を辞したことはまだ関係者以外知らないと言うのに、どうしてあなた達まで知っておられる?! ハッ、もしや、あなた達、スパイでありますか?!」
「てめぇが今、自分で言ったんだろうが!」
「酔っぱらいの言う事なんざ、放っておけ! さっさと身包み剥いでやれ! 貧相だが、女は女だ。違う街で良い金になる」
「少しくらい味見しても、悪くねぇよな?」
「むっ。邪な視線を察知しましたぞ! またも本官の溢れ出る色気で殿方を虜にして……うっ、──オロロロロ」
「うわっ、こいつ吐きやがった!」
「下手な真似をされないよう、手足の健を切っておけ」
帝国兵が駆け付けてくれたことで生じる安心感は一切皆無。
それどころか失望すら植え付けかねない女兵士であったが、彼女は俺達の予想のはるか上を越えていく。
嘔吐きながら店の床に居の内容物をぶちまけていく女に、凶刃が迫る。
その、刹那。
鈍い音がして、短剣が床に転がった。
「……っ! てめぇ、俺達の邪魔をするのがどんな意味か、分かってんだろうな?」
強盗の男たちが苛立たし気に見据える先に居るのは、女の吐いた吐瀉物に跨る、俺の姿。俺の手には、空になったエールのマグが握られているのみ。剣はまだ、抜かれていない。
「抵抗するつもりは無い。だが、人身売買は帝国では御法度だ。それに、折角の酒で良い気分だったのを、血で汚されたくなかったんでな」
「ハッ! 禁制だったのは前皇帝までの話だ。新皇帝サマは人身売買を黙認している。前時代の正義感を振りかざすのは時代遅れだぜ? ……だが、いい。俺達に楯突いたことを、後悔させて──」
強盗の男の中でもリーダーと思しき男が片手を上げようとした時、男の足元に派手な音を立てて革袋が転がった。革袋から零れたのは、大量の金貨。それを投げたのは、俺だった。
メアから預けられた、潜入用の資金。それを俺は、構わず投げ渡したのである。
この場の全員が恐怖に屈して差し出した金額を合わせても尚及びつかない程の大金。それが地面に転がったことで男たちの動きは完全に止まる。誰もがその光景に目を奪われ、リーダーを含む強盗の男たちの目には期待と興奮が煮詰まっていく中で、唯一我に返ったリーダーだけが俺に怪訝な眼差しを向けてきた。
「……どういうつもりだ?」
「争うつもりは無い。その金で手を引いてほしい。ただそれだけだ」
正直に言えば、金など渡したくない。目の前の五人の対処など、今の俺にとってはそう難しいことではないのだが、強盗の数が五人だけではないのであれば、話は別だ。
男の後方。
合図で姿を現した、六人目。
それはサンドラとラクロロの傍に立っており、未だ尚ゲロに沈んだままの女に刃が迫った時のように、俺が間に割って入るのは難しかった。だから、屈さずにはいられなかった。
そんな俺の説明に、男はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「なんだ、久し振りに骨のある奴かと思えば、ただの腑抜けか。まあいい。俺は賢い奴は嫌いじゃない。お前とはまた会いたいもんだ」
「俺は二度と会いたくないがな」
「さっさとズラかるぞ、お前ら!」
言って、仲間と共に酒場を後にしていく強盗達。
嵐が過ぎ去った後の静けさの中、俺は深い溜め息を吐いた。
「──兄ちゃん、助かったよ。ありがとな」
「悪いな。今日の飲み食いした分を払う金が無くなってしまった」
「いや、いいさ。今日の分は俺の奢りだ。血を掃除する手間が省けた。酔っぱらいのゲロを片付ける方が幾分かマシだからよ」
「なら、俺も……」
「差し出す財布すら無かった分際で、何を言ってるんだか。恥を知れ、恥を。見ず知らずの俺達のために身を挺してくれた兄ちゃんに感謝しろよな。ったく。お前にはツケでもいいからちゃんと払ってもらうからな──」
一件落着、といった空気が漂ったのも束の間。サンドラが「エドさん」とテーブルから腰を浮かした、次の瞬間だった。
「がァッ──?!」
たった今酒場の木の戸を潜って逃げて行った強盗の内の一人が、木の戸を粉砕しながら店内に戻って来たではないか。
男はボロボロで、テーブルと椅子を薙ぎ倒しながら店の中央で止まると、そのまま事切れたかのように気を失った。
一体何事か、と思ったのは店内にいる全員の思惑が一致したようで、誰もが瓦礫と化した酒場の入り口に視線を注いで息を飲む中、夜の暗闇の中、酒場の灯りに照らされて見えたのは三人の人影。
……否。二人と、一つのシルエットだった。
「申し訳ございません。お店の入り口を壊してしまいましたね。必ず弁償させますので、どうかご容赦ください」
「させる、ってなんだよ。お前がやれ、って言ったんだろうが。と言うかこいつら、たんまり金持ってやがったぞ。これで払えるだろ」
間もなくしてシルエットは一組の男女へと変貌し、男の手には鎖で巻かれた巨大な棺桶が。女の手には強盗が引きずられていた。
片や、毛髪の痕跡すら残さずに消えた剃髪を輝かせる上背のある物腰の柔らかい男。
片や、腰まである極限まで白に近い白金色の長い髪を後ろで一纏めにした粗野で乱暴な女。
女の手に担がれた強盗犯のリーダーの男は、白目をむいて気絶していた。生きているかすら怪しいところだが、それよりも何よりも、俺は彼らの首から下がるゴテゴテとした首飾りから目が放せなかった。
逆三角形を背負う、十字。
その首飾りは、俺の記憶が正しければ相当高位の聖職者しか身に付けることを許されない象徴のようなもの。
即ち、彼らは二人とも聖神教の司祭であり、それも、高位のようだった。
なぜそんな相手がこんな場所に、と浮かぶ疑問と不安を押し込めるように平静を保ったまま、俺は呆然とする酒場の旦那に声を掛けた。
「良かったな、旦那。今日の飲み食いした分は、きちんと払えそうだ」
酒場の旦那は「へへ……っ」と脱力し、力無く笑うに留まるのだった。
補足と言う名の、言語解説。
【月華団】
アルザスのみならず、帝国最大の傭兵団と呼んでも過不足ない超巨大クラン。月華団。
所属する傭兵の総数は五万を超え、各戦線に傭兵を派遣するクランであり、本拠地をアルザスに構えていた。しかし、エルフの奪還作戦において帝国軍と折りが合わず、金銭の支払いも躊躇われたためアルザスを放棄。その後、新たな闘争と仕事を求めて北方戦線へと駆り出る。
月華団の盟主は男であり、その実力は近衛騎士にも引けを取らないとの専らの噂であった。




