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三節 諜報3

 


 ◇



「ろくな収穫はほぼなかったですね」

「あぁ。聖神教と帝国軍が揉めているらしい、という事くらいしか役に立つ情報は得られなかったな」


 日がな一日、アルザスの街で開かれる小規模な市場を転々としながら情報収集に勤しんだその日の夜。


 俺とサンドラは素泊まりの宿に部屋を借りて、集めた情報の擦り合わせを行っていた。だが、得られた情報はあくまでも城下の噂程度に留まるものばかり。何よりも、新聞の発行が停止していたのが痛手であり、市井の民に最新の情報が伝わっていないのも問題であった。

 印刷技術は未だ発展の途上であり、ほとんどがアーティファクトに頼り切りだったこともあって、毎日発行されていた新聞は今では一か月に一度のペースにまで落ち込んでしまっていた。それもあって、アルザスで情報らしい情報は飛び交っておらず、ほとんどが流れ込んでくる真偽不明の噂ばかりであった。


 だがしかし、言ってみればそう言った噂しか集まらない場所で情報収集をしたのだからそれなりのものしか集まらなくて当然と言えば当然である。むしろ、出発前のアルザスに関しての情報がゼロであった状態から考えると、少ない情報でも打てる手は変わって来る。もちろん、俺に作戦立案能力は皆無であるため、そこはメアに任せきりではあるが元より、今日一日の成果には余り期待はしていなかった。

 アルザスの情報流通量の調査こそが名目と言ったような形だったから。


 本番は、夜になってからである。


「エドさん? どこに行くのですか?」


 一度脱いだ外套を再び羽織った俺にサンドラが声を掛ける。


 エド、と言うのは俺の呼称。いわゆる偽名と言う奴だ。

 どこに目があり、どこに耳があるか分からない。俺とリリスはともに偽名を名乗ることになった。

 身を隠す犯罪者の真似事に抵抗が無かったと言えば嘘になるが、元より「ウェイド」という名に強い想い入れがあるわけでもない。顔と名前が知れ渡った人の行き交う場所では、使わざるを得ない手段。これはもちろんリリスにも通用する訳で、恐らくあちらでも彼女は別の名で呼ばれていることだろう。


「お前達はここに居ろ。俺以外が来ても絶対にドアを開けるなよ」

「私も着いて行きます。何が起こるか、分からないでしょう?」

「……着いて来ても、美味い飯が食べられるわけじゃないぞ」

「そんなの初めから期待していませんよ。私たちの目的は情報収集、それに尽きるのですから」


 リリスのような柔和さも無ければ、ブランのような信仰に厚い眼差しでもない、冷淡な眼差しでサンドラは言う。まるで常に相手を値踏みするような視線を湛える彼女の目が、俺は苦手だった。


 士官学校時代に嫌と言うほど浴びせられた視線によく似ている。相手を表面上の価値でしか判断し得ない貴族連中と、同じ目をしていたからだ。


 誰に似ていると言われれば、果たしてメアだろうか。

 俺が知る中で誰よりも貴族らしく、そして貴族らしからぬ男。それが浮かべる目とサンドラが俺に向ける視線はよく似ているような気がした。それでも二人の視線や一挙手一投足を見比べれば明確に違うと言い切れるのだが、俺にはその違いをはっきりと自覚しているわけでは無かった。


「……サンドラは、俺が憎いか?」

「……は?」


 だから、正直に尋ねることにした。

 情報収集に適した酒場に向かう道すがら。返って来たのは、呆けた返事であった。


「何を急に言うかと思えば、そんなことですか」

「答えたくないなら──」



「──恨んでいますよ。それはもう、殺してやりたい程に」



「そうか」

「……驚かないんですね? 私ってば、そんなに分かりやすかったですか?」


 言い渋ることなく、サンドラはあっさりと肯定する。

 外套のフードの下から、またあの目がこちらを覗いている。


 今のアルザスは、治安の良い場所は街灯で照らされていて、治安の悪い場所は月明かりだけが頼りである。月が雲に隠れれば完全な暗闇に呑まれるため、その瞬間を今か今かと待ち続ける野獣の如き浮浪者たちの視線を受けながら、俺たちは月明かりの下を歩き進める。


「……」


 サンドラ・グレイスカー。

 彼女はグレイスカー男爵家の令嬢。真っ当な貴族出身の身の上でありながら、紫晶災害によってその身を呪われ、幼馴染のトルネと共に住む場所を追われた被害者。

 当然ながら俺を恨み、憎む権利を有している。


 そんな彼女の態度が分かりやすかったかと問われれば、俺は素直に頷くだろう。男女でペアが分かれているところに、わざわざ口を挟んできたのだ。何かしらの思惑があると勘繰るのが妥当だ。かと言って、俺とサンドラに接点は少ない。であれば、持たれる感情と言えば一つ。


 俺への憎悪だけだろう。


「ああ、謝らなくても良いですよ。恨んでいるし憎んでもいますけど、感謝はしているので。あなたが居なければ、私たちはあの森で死んでいた。そのことだけは感謝しています。でも、勘違いしないで下さいね。あの程度で、チャラになるなんて甘い考えは許しませんから。あなたが居なければ、私たちはこんな目には逢っていない。こんな世界にはなっていないので」


 彼女の目には、暗闇でも分かるほどに恨みつらみが渦巻いているのが分かった。

 それはかつて、俺が心の底から欲した罰の声。念願叶ってそれを浴びせ掛けられたと言うのに、俺の心は至って冷静なままで。


「ウォルマンさんや他の皆みたいに、私は私の境遇を自分の所為だとは思えない。貴族としての生活も、大切な家族も、約束された将来も、何もかもあなたに奪われたんです。私は一生をかけてでも、あなたを恨み続けますよ」


 言いながら、サンドラは俺の前に立ちはだかる。

 それでも俺の心は波風一つ立たないほどに落ち着き払ったまま、彼女を正眼に捉える。その心は決してサンドラを嘲弄している訳でもなければ、打ちのめされている訳でもない。

 俺は彼女の主張を、全く以て正論であると受け止めている次第であった。


「それを言うためだけに、トルネと入れ替わったのか?」

「……馬鹿げている、とでも言いたいんですか? ええそうです。その通りですよ。私はこの気持ちをどうしてもあなたに伝えたかった。私があなたを恨んでいることを理解してほしかった。なぜなら、あなたに、傷付いてほしいから。あなたに、私たちが傷付いていることを知ってほしかったから。だから、悪意を持って伝えました。どうですか、機嫌を損ねましたか? 気に食わない私を、今までのように始末しますか?」


 その剣で、その目で、私を殺しますか。

 そう訴えるサンドラの意思は、固かった。


「……殺さないさ。俺は、快楽殺人鬼じゃない」


 もしここで言い訳でもしようものなら、元よりゼロに等しい彼女からの信頼は地の底に落ちる。それでは負の感情だけが永遠に残り続けてしまうことになる。

 負の感情は、抱くだけでも当人の精神に強い負荷が掛かる。彼女の人生の大半を捧げるにしては、俺と言う存在にそこまでの価値は無い。


「……それならいっそ、一思いに殺してくれる殺人鬼の方がまだマシでした。こんな風に苦しい思いをするくらいなら、死んでいた方がマシ。もしも叶うのなら、私が、この手で……」

「悪いが、俺はまだ死ぬ訳にはいかない。殺されている場合じゃない」

「えぇ。えぇ……、知っていますとも。あなたの命は、私たちの誰よりも重い。私たちに呪いを振り撒いたくせに、私たちを、不幸に叩き落したくせに……!」


 押し殺した声は、きっとここがアルザスの街中でなければ悲痛な叫びとなっていただろうと言うのが想像に難くない。そして俺が死んでもいい存在であったのなら、ここで彼女に剣を突き立てられていたことだろう。サンドラとトルネには、護身用と言う名目で自決用の短剣を持たされているから。


 サンドラは感情のままにその短剣を突き立てたかったに違いない。だが真っ当な思考を持っているがゆえに、彼女は行動を起こせない。その苦痛すらもひしひしと伝わってくるもので。

 俺はそれでも努めて冷静であろうとする心持ちのまま、言った。


「許してくれとは、言わない。俺にそんな権利は無いから。だから、全てが終わってからでいい。全てが終わった後で、サンドラに俺を殺してもらいたい。どんな手段でもいい。どんな方法でもいい。俺はお前達の恨みも憎しみも全部持って消えるから。それまで、待っていてくれ」

「全てが終わった後? それっていつですか? そもそも全てってなんですか。あなたが壊した私たちの人生は、もう二度と元には戻らないんですよ?」

「全てだ。全部、終わらせる。……お前の言う通り、元には戻らないのかもしれない。けどな、俺は元に戻るよう全力を尽くす。全てが終わるまで、俺は死なないから。それから……、いつ終わるかどうかは、サンドラが決めて良い。誰も止めないし、止めさせない。サンドラのしようとしていることは、正義だからな」


 サンドラの抱く感情は、至極真っ当だ。俺を殺したい程憎んでいるのも、何もおかしいことではない。むしろ、俺を肯定しようとするメアやリリス、ウォルマン達の方がおかしいとすら言える。


 俺は、許されるべき存在じゃない。


 心からそう思っていた感情がサンドラによってようやく肯定された気分になって口元に笑みを浮かべて言うと、彼女は気味悪がって一歩、後退った。


「……っ、殺されるために、生きるんですか? ハッ、狂ってる……」

「俺は一度死んだようなものだ。メアによって生かされている。そして、俺は、俺自身を死んだ方がいい存在だと自覚している。俺に幸せになる資格は無ければ、幸せになるつもりもない。その方が、後腐れなく殺しやすいだろう?」

「……意味が、分かりません。どうして、そんな……」

「分からなくていい。これが、俺の覚悟でもあるから。俺だけが分かっていればいいんだ。それに、そうすることだけが俺に許された唯一の贖罪。俺に出来る、たった一つのことだから」


 それには、シャーリィを救うことも、セナ村の教会に置いてきたままのシスターフィオナやアキ、シグを救うことも含まれる。


 紫水晶が一体なんなのか。根本的な原因究明や解決方法の模索など、結局はメアや他の人の手に頼り切ることになるだろう。だが、全てを終わらせるためなら俺は、なんだってやるつもりだ。目の前に控えているエルフと帝国の戦争もまた、全てを終わらせるために必要だから間に割って入るのだ。


 全てを終わらせるためなら、腕の中の大切な人達をこれ以上失わないためなら、俺はなんだってやる。そう言い切って見せると、サンドラは複雑な感情を顔に浮かべながら言葉を失った。それは、俺を理解しようとしている沈黙か、それとも俺を理解できない沈黙なのか。


 どちらにせよ、このまま放置していくわけにもいかない。


「考え事は、腰を落ち着かせてからにしろ」

「……」


 夜風に揺られる看板を前にしてもまだ俯いたままのサンドラの手を引いて、酒場に向かう。出来ることならエルフの男、ラクロロと一緒に外に置いておきたいと思ったのだが、どうやらエルフに紳士の嗜みというものは無いらしい。彼はサンドラ同様に無言のまま、俺たちの後に続いて木の戸をくぐるのだった。








補足と言う名の、言語解説。


【サンドラの思惑】


サンドラがトルネと役割を交代した意図。それは全てウェイドに憎悪をぶつけるため。

逃亡者一向の中にも、サンドラのようにウェイドへの憎悪を滾らせる者が居れば、ウォルマンやブランのようにウェイドを赦すわけではないが、受け入れようとする者も居る。とは言え、ウォルマンやブランもまた、ウェイドへの憎悪を忘れたかと言われれば、そうではない。ウェイドへの恨みつらみは誰しも大小様々ながらも有している。

ウェイドは誰からも許されていないし、許されざる存在であることに、変わりは無かった。

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