三節 諜報2
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東都アルザスは『東の都』との呼び声高く、非常に栄えた街並みが特徴である。
帝国には、帝都を中心とした四方に栄えた街が存在する。
南は別名鉱山都市の名を持つ、『宝石の街』キュリアサージ。西は海外の玄関口となる、『港都』ゼプス。北は聖神教本山の麓、『聖都』ポリス・ポラス。そして東が、メトロジア大森林の恵みと人が集うメトロポリス。帝都にも流れ込む潤沢にして澄み渡る本流の根元に位置する、『東都』アルザス。
アルザスは別名、水の都とも呼ばれることがあった。
メトロジア大森林から流れ込む大河を除き、アルザス周辺の帝国東領には目立った水源は少ない。そのため、東の土地に人を集め経済の中心として興ったのがアルザスの始まりである。酒造と畜産が名物で、街には傭兵や冒険者のような荒くれ者が多いため治安維持のために帝国軍兵士が数多く常駐し、動員されている──。
と言うのが、事前の情報であったが、しかし。
「……話と、違うな」
アルザスの街に無事に入り込んだ俺たちは、事前の情報とはまるで異なるアルザスの現状に顔をしかめていた。
「異様な、静けさですね」
『……この、臭い』
「トルネ、サンドラ。これは二人が知っている難民区の姿か?」
「いえ、俺たちの知っている難民区は、もっと騒々しかったです。アルザスは難民区でさえも人で溢れていましたから。人が半分にまで減った紫晶災害の後でさえも、です。呪い人も、そうでない者もひっくるめて、アルザスと言う街でした」
「ここに住まう者は、総じて今日を生きるで精一杯でした。だから、初めは私たちのような呪い人を排斥する余裕すら持ち得ていなかったんです。温かくはなかったですが、それでも安心して眠ることが出来た。それが、時間と共に崩れていって……」
「つまりこれは、異常事態という事か」
異様、それは難民区の静けさにあった。
俺たちが難民区に出たのは、紫晶災害以前からアルザスには難民区が存在していて、その難民区には処理した下水を垂れ流す地下通路を通じて入り込めるから、と言うものであった。その道はトルネとサンドラの二人がアルザスを脱出する時にも使用した通路であり、自分達が逃げる際に封じたとの話だった。その道が二人の話の通りに封鎖されていたから、と難民区に顔を出してみれば、早々に嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
加えて、二人の話では難民区の人の出入りに紛れることが出来るとの話だったが、生憎と難民区に人の気配は少しも感じられない。
異常事態が起こればすぐに引き返すとメアに約束したは良いものの、まさか入国を果たして一歩目で躓くとは誰も想定していなかった。
「ウェイドさん、どうしますか」
「幸い、まだ夜明け前だ。誰かに見られる前に動こう。次に何かあった場合、速やかに帰還する。行動は迅速に、かつ慎重に。作戦は続行だ」
俺の言葉に、三人が頷く。エルフの男は言葉が通じていないからか、一方向を見つめているだけで反応は伺えない。
東都、と呼ばれるだけあって、ここアルザスにも魔法具の一つである街灯が設置されている。だから本来であれば「眠らない街」と呼ばれる帝都のように、アルザスの中心地も夜であろうと昼のように煌々と光を放っているはずなのだが、紫晶災害以降、アーティファクトが使用不可となる事象に巻き込まれ、アルザスの街は薄灯りを放つのみに留まっていた。
発掘品であるアーティファクトが使用不可になるだけで、魔法具には影響がない。そのため、魔法具である街灯自体には何も影響がないものの、街灯に魔力を送る機構がアーティファクトであるがために破綻してしまっていると言うのが現状であった。だから街中で見る光を宿す街灯は、人力で魔力が注がれているのだろう。そうなると必然、光を灯す街灯の数は限られ、アルザスの夜は長くとどまることを許されていた。
俺たちはその暗闇に紛れて移動を開始した。だが、その刹那。俺たちは足を止めざるを得なくなる。
「ウェイドさん」
「あぁ、分かっている。なんだ、この……死体の数は」
暗闇に閉ざされたアルザスの中で、かすかな光とトルネとサンドラの土地勘だけを頼りに難民区を歩いていた俺たちが足を止めた理由。それは、道行く端々に転がる無残な死体の数々であった。
「……死後、数日と言ったところか」
「ウェイドさん。この人……、呪い人じゃありません」
「リリスさん、こちらの方は、呪い人のようです」
「……トルネ、サンドラ。この中に見知った顔はあるか?」
「いいえ。ですが、この格好から察するに、恐らくは周囲の村々からの避難民、と言ったところでしょうか」
「どう言うことだ? なぜ、難民たちを殺す必要がある? ただでさえ減少して困る労働力だぞ。一体、アルザスで何が起こっているんだ?」
街中での死体は、決して珍しいものではない。帝都ですら、路地を奥に進めば浮浪者の死体が転がっていた。だが、それらは総じて、人目につかない都の影にあるもの。だと言うのに、難民区の至る箇所、難民区に一歩でも踏み入れば見て取れる場所に、亡骸がいくつも転がっているではないか。俺たちの目の前に広がる難民区の光景は余りにも異常だと言う他無い。死の風でも舞い込んだのかと思わざるを得ない程に死体の数が多く、そして何よりも、ほぼ全ての死体が驚愕と絶望の色を湛えた表情であるのが俺たちの肝を冷やす。
一体この場所で、アルザスで何が起こったのか。
この異様な空気を前に愕然とする俺たちに反して、平然とした様子を見せるのは、エルフの男、ラクロロだけだった。
『酸っぱい臭いは、こいつらの吐瀉物か……。いや、気になる臭いは、向こうから──』
「何か、分かるのか?」
『……』
しかし、話し掛けるとラクロロは一瞬で興味を失ったかのように表情から色を失くし、そっぽを向いてしまう。
なんだこいつ、と腹を立てずにはいられないが、死体ばかりの難民区で無駄に時間を費やしている場合ではない。
目の前の光景は明らかな異常事態であるが、この異常事態を引き起こしたアルザスの街に何が起こっているのかを調べなければならない。その目的を果たすべく前を向く。
「悪いが、こいつらを弔ってやることは出来ない。俺たちは先を行く。いいな?」
苦い顔をした三人が頷き、俺たちは難民区の亡骸の間を歩いて抜けていく。
アルザスが眠りについている間に、俺たちは夜闇に紛れなければならない。ただでさえ人が全滅した難民区から出てくる人影があるとすれば、それは必然的に目立つことに繋がる。ましてや、これを成した犯人が俺たちを目撃するやもしれないのだ。
目立つことは避けるために人目の無い朝方を選んだのだから、この時間を無駄にするわけにはいかない。俺たちには、急ぐ理由があった。
だと言うのに。
「おい、何をしている」
『……』
エルフの男、ラクロロは地面に落ちた椀のような物を見つけて、しゃがみこんでしまう。
時間が惜しいと言うのに、この男はメアから何を言われているのか、と苛立たし気に男の腕を引いて立ち上がらせる。
「時間が無いんだ。行くぞ」
『チッ。……人間風情が、指図するな』
言うやいなやラクロロは盛大に舌打ちした後、俺の手を乱暴に振り払い、外套のフードの隙間から覗いた双眸に嫌悪に厭悪と言った悪感情をこれでもかと詰め込んだ眼差しで睨みを利かせると、落ちていた椀を踏み砕き、難民区に盛大な音を生む。
この瞬間、もしも帝都に出たばかりの過去の俺だったら掴みかかっていたところだが、俺は月日と経験を経て大人になったのだ。これくらいのことでは動じない。
そしてラクロロの態度と語感だけで何を言ったのか粗方察しがついているものの、一応、とリリスに確認を取った。
「今、なんて言ったから分かるか?」
「えっと、恐らくですが、『人間如きが指図するな』、でしょうか」
「やっぱりそうか」
ざくざく、と俺たちを待とうとせずに進んでいくラクロロ。
しかし、無計画に建物とは呼ぶに値しない建築物によって拡張され続けた難民区に真っ直ぐな道という概念は存在しておらず、入り組んだ道を分け入ろうとしたところでトルネに「そっちじゃないです」と呼び止められては、不服そうな顔をしながら俺たちの後ろに回って不機嫌さを露わにする。……なんなんだ、こいつは。
難民区の大量死に後ろ髪を引かれる思いのまま、俺たちは二人の案内の下進んでいき、朝が訪れる前にアルザスの街に踏み入れる。
俺たちはそのまま俄かに目を覚ましつつある街の様子を探りつつ、路地を一本入った人目を避けられる場所で顔を見合わせる。
「──当初の計画通り、これより俺たちは二手に分かれる。俺とトルネが軍事関連を、リリスとサンドラが領主邸の調査だ。それでいいな?」
俺たちには、とにかく人員と時間が足りない。
そのためにも、ただでさえ少人数な編成を更に分割する。そうでもしないと、三日やそこいらで調べ尽くせる程アルザスは小さくない。
だから当初の予定通り、俺たちを二分する形で手分けするのだが、そこで思いもよらぬ方向から「待った」がかかる。
「私とトルネを交代させてください。アルザスの街並なら、きっと私の方が詳しいです」
「……案内してくれるのなら、どちらでも構わない。トルネも、良いんだな?」
「はい。僕は貴族として、難民区の支援にも当たっていましたから、難民区周辺の方が詳しいかと」
それならそうと立案段階で言わんかい。
そう思っても、言わない。態度に出さない。それが大人と言うものだろう。それらを決しておくびにも出さず頷き返した俺を見て、なぜかサンドラが意外そうな顔をする。提案してきたのはお前達の方だと言うのに。
そもそも俺が口にした通り、案内が出来るならどちらでも構わないのである。元より案内役に全てを託す程、俺やメアは愚かではない。案内役は多少の土地勘さえあればそれでいいのだから。
だから「申し訳ございません」と頭を下げるトルネに「謝らなくていい」と言って頭を上げさせてから、俺は言葉を続けた。
「俺とサンドラ、リリスとトルネの二手に分かれる。合流するのは、明日の夜。調査期間は二日だ。合流地点はあの難民区。それから……、お前達にはこれを渡しておく」
「これ、って……! わ、割符じゃないですか!」
割符。帝国領内で度々見られる、旅商人や傭兵のような、根無し草の身元をその街が保証する物。その審査は厳格かつ公正であり、それを持っているだけで身元の保証がされる優れものである。もちろん、そんな物があればアルザスの街に真正面から入って行けばいい話なのだが、生憎と手に入れられたのはリリスとトルネの二人分のみ。エルフが街の外で奪い、使用用途の分かっていないエルフからそれをメアが体よく奪い取った特別な品だ。この割符さえ持っていれば、少なからず見つかり次第、兵士たちに即座に囲まれる、と言ったような状況は回避できるはずだ。
本来であればサンドラがこの安全牌を持つはずだったが、今更無くても文句は言うんじゃないぞ?
「用意できたのは、二人の分だけだ。いいか、絶対に無理だけはするな。いいな?」
「……はい。ウェイドさんも、お気をつけて」
「サンドラ、ウェイドさんに迷惑を掛けるなよ」
「トルネに言われなくても」
ただ、割符があるとは言え、それによって必ずしも二人の身が保証された訳ではない。中にはそれでも疑いの目を向けてくる者だっているはず。
とは言え、その割符を持たない俺たちの方が危険であるのは言うまでもない。もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれない。そう頭では分かっていても、俺たちは膨れ上がるその感情を表に出すことはないまま、互いに背を向け合った。
一分一秒すら惜しいのが現状である。俺たちは早速気持ちを切り替えようと前を向くのだが、俺の頭の中では尋常ならざる葛藤が渦巻いていた。
「……ウェイドさん、酷い顔ですよ?」
「自覚はしている」
振り向いた矢先、軽妙な口調のサンドラが待ち受ける。
俺が守ることが出来るのは、精々が俺の手の届く距離にある命だけ。当たり前だが、別行動をとるとなるといざと言う時にリリス達を守ることが出来なくなる。俺の目の届かない場所で、俺が守ると誓った相手を守ることができないことなど、あってはならないのだ。それが例え、今のこの状況のように、俺にはどうしようもないものであったとしても。俺にはその事実が、腸が煮えくり返りそうになるくらい許せないものだった。だから表情が曇るのだが、それでも俺たちはこうして二手に分かれる他無い。俺たちがこの戦争に勝つためには、俺がこの汚濁を飲み干さなければならないから。
「……お前は、こっちだ」
『俺に、触れるな』
リリスにこんな協調性の欠片もない足を引っ張るだけのお荷物を預ける訳にはいかないためラクロロの手を引くと、相変わらず刺々しい態度で俺の手を振り払い、一定の距離を開けてついて来る。
そうして三人になった俺たちは、目を覚ましていくアルザスの街に気配を埋めていく。
「……ウェイドさん。まずは、何処に向かいますか」
「まずは、そうだな。市場に向かう。こんなご時世でも市場は開催しているはずだ。人々の交流は、生活の基盤だからな」
「それでしたら、人が集まる中央から外れた市場の方が兵士の目を掻い潜りやすいかと。私とトルネも、食料を盗むなら決まってそこでしたから」
「……そうだな。頼む」
一人、また一人と起き出して活気を取り戻していくアルザスの街。その水面下の暗闇の中で、息を潜めて行動を起こす。一歩でも間違えたら、俺たちは即座に殺される立場にある。だから慎重に。けれども迅速に事を為さねばならない。
兵士たちの動向に気を配りながら、俺たちは薄暗闇が明けていくアルザスの街中を人目に触れずに移動していくのであった。
補足と言う名の、言語解説。
【侵入経路】
サンドラとトルネがかつて使ったアルザスの下水が流れ込む難民区の排出口。
アルザスには何本もの排出口があるが、その内の一つ。雨の日でもなければ荒れることの少ない道で、紫晶災害以前の難民区の起こりは、そこから入り込んだ浮浪者集団だとも言われている。




