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三節 諜報1




 ◇




「さぁ、いよいよだ。準備と覚悟はいいかい?」


 チャタ村で合流してから、二日後。俺たちは遂にアルザスへの密偵作戦の決行を目前に控えていた。

 時刻は早朝。まだ朝鳥すらも眠る頃。小さな灯りで密偵装束の俺たちを照らすメアは、皮肉るように「似合ってるじゃん」と薄ら笑いを浮かべて言う。


「こんな格好、褒められても嬉しくもなんともない」

「そう? リリスちゃんは喜んでるけど」

「ウェイドさんとお揃いですよ! 喜ばないはずがありません! ね、お二人とも!」


 情勢的にも、そして物理的にも顔が割れている俺とリリスは夜の暗闇に溶け込むような外套に身を包み、フードを目深に被る。一目見て分かるような俺の呪い人(ネビリム)としての証とも呼べる、右眼周辺で主張する紫水晶は、限界まで削った後に包帯でぐるぐる巻きにしている。右目の視界はゼロになるが、お陰でパッと見て俺が呪い人(ネビリム)だと見抜ける者はいないだろう。見た目の安全性を犠牲に、俺は作戦の安全性を確保したわけだ。もし怪しまれれば、極度の火傷を負っている、とでも言えば乗り切るつもりだ。

 そしてリリスがお揃いですよ、と惚気るように言ってのけたように彼女もまた似たような装い。違いは包帯の有無くらいのものだ。

 そんなリリスから同意を求められた案内役であるトルネとサンドラの二人は困ったように眉を寄せて愛想笑いを浮かべていた。


「あ、あはは……」

「こいつは特殊なんだ。トルネ、サンドラ。真似するなよ」


 土地勘のない俺たちを案内役として導く任を担ってくれた、トルネとサンドラ。

 彼らは俺たちとは異なり顔が割れておらず、呪い人(ネビリム)として変異した部位だけを隠した軽装だ。だが、二人は数少ない『再覚醒者』。俺の右目の変異と同じく、結晶体を持った変異部位を削って、包帯を巻いている。トルネは二の腕、サンドラは太腿と、人目に付きやすい場所ではないとは言え、どんなリスクも最小限に収めるのが俺たちの行動指針であった。


『……』

「なあ、メア。本当にこいつ、付いてくる気なのか?」

「仕方ないんだよ。エルフ側が僕らを監視するって言って聞かないからさ。妥当だとは思うけど、邪魔だけはしないように言いつけてあるから、多分、大丈夫……、だと思うよ?」

「心配しかないんだが?」


 それなら問題無い、と言い切ってくれなければ、一抹の不安が残り続ける。

 リスクは最小限に。それを真っ向から否定するかのように、俺たち密偵作戦を行う四人の傍に、エルフが立っていた。


 彼の名は、ラクロロ。長身で細身の多いエルフの中では小柄で、筋肉質。だが、その容貌はメアよりも美しく、リリスよりも華がある。ただでさえ道行けば振り返られるような存在を共だって行動するなど、リスクが跳ね上げるだけである。メアは何度もそうやってエルフ達に申し立てを行っては、疲れた顔をして帰って来るのがこの二日間の主な出来事だった。

 だが結局エルフ達は折れず、このまま平行線では時間だけが無為に過ぎていくとあって、メアは渋々エルフの監視の目を受け入れた。受け入れざるを得なかったと言うべきか。


「エルフの言い分も分からなくないんだよ? アルザスの街は、エルフが立ち入れない場所だ。即ち、彼らの目が無い場所に当たる。そこに向かった君たちが自分達エルフを売るかもしれないとなると気が気じゃなくなるわけだ。だけど僕らには、どうにかしてアルザスの街に入る手段がある。ならばそこに直接エルフを捻じ込めばいい。実に簡単かつ、僕らが拒否すればエルフの危惧が確定したと言うようなものだ。僕らは彼を受け入れるしかなかったのさ」

「だけどな……」

「分かるよ、うん。分かる、分かる。忍ばなきゃいけないのに、こんな目立つやつ連れて行けない、って言いたいんでしょ? でも、こればかりはどうしようもない。だから、頼むよウェイド……」


 いつになく殊勝な態度のメア。メアは決して、謝れない男では無い。謝る非があるなら、非が判明する前に挽回する男なのだ。それが良いか悪いかは置いておいて、メアがどうしようもないと言うのであれば、俺たちにはどうすることもできないということだ。ここは大人しく引き連れる他ないのだろう。


「……分かったよ。だが、自分の身は自分で守ってもらうからな」

「ありがとう。君らには、かなり危険な橋を渡らせることになる」


 エルフの男が混ざり、計五人での隠密行動。

 その困難さは言うまでもないだろう。


「彼には、戦士長を通して言い聞かせているけど、油断しないようにね」

「あぁ、もちろんだ」

「作戦概要は覚えてる?」

「俺達に必要な情報は、敵勢力、増援の有無、帝国の詳しい情勢。この三つだ。その内で欠かせないのは、敵勢力。指揮官と軍の規模は必ず手に入れなければならない。そして、帝国がエルフとの小競り合いを続ける要因、だったな。それを探ることで、帝国の現在の情勢も分かるかもしれない。そして何よりも、三日以内でそれらを探らなければならない。そうだよな?」


 子供を遣いに出す親のように不安が宿る、メアの横顔。

 メア自身が付いて来られるなら良かったが、メアは代表者としてエルフ達と今後の話し合いもあるし、メア自身、いい加減腰を落ち着けるべきでもあった。

 十分な食料と、怯えずに済む寝床を得た俺たちは、二日に渡る休養で十分な回復が出来た。森の行軍で削ぎ落された肉も取り戻されつつある。だと言うのに、メアに関しては、日中はエルフとの交渉を、夜は夜深まで作業に没頭したりと、一向に休まる時間が無い。だからこの機にメアを休ませてやってくれ、と留守番組のウォルマンに頼み込んであるが、果たして。


 俺がそんな事を考えているとは思っても無いのか、それとも見透かされているのか。繰り返して言った作戦概要に注意書きを加えるかのように付け足す。


「そう。だけど、最長で三日だ。長居すればするだけ君らの痕跡がアルザスに残る。だから出来るなら毎日寝泊まりする場所を変えて過ごすように。それと、アルザスに着いたらこの『フジツガイ』を人目に付かない場所で放ってくれ」

「協力者、か」

「うん。恐らく、僕らの動向が気になって仕方が無いと思う。協力を取り付けるよう手紙に記してあるけど、難しそうなら関わらなくていい」

「分かった」

「それから……、これは、忠告しておくべきだと思うから言うけど、聖神教には気を付けて」

「聖神教……。だけど、二人の話によれば、難民区には呪い人(ネビリム)がいて、聖神教が保護しているのだろう? 協力できるなら、した方がいいだろう」

「そうだね、戦力が増強できるなら願ったりだ。でも、今のこの世の中で聖神教ほど得体の知れない存在はないよ。あそこは、ただでさえ一枚岩じゃない。彼らの目論見がなんなのか判明するまでは、下手に手を出さない方がいい。それに何より、奴らはずっと……、きな臭い」

「珍しいな。お前が勘に頼るなんて」

「そう言う気分もあるってことさ。それはともかく、君らは情報を狩りに行く身だけど、深追いは絶対にしないように。最悪の場合、何も持ち帰れなくてもいい。命を再優先に頼んだよ」

「あぁ、もちろんだ。トルネとサンドラは、命に代えても──」


 どこか投げ槍な態度に訝しく思いつつ、けれども無事に帰って来いと言うメアに頷き返したところ、どうしてかメアの「待った」が掛かる。何もおかしなことは言ってなかったはずだが、メアはどこに引っ掛かったのか。


()()()()()()()()()。最悪の場合、君とリリスちゃんだけは必ず帰って来るように」

「っ……! おい、メア!」


 危険を冒してわざわざ案内役を買って出てくれた二人のことは、命に代えても守り抜く。

 それが俺にとっての贖罪であり、覚悟の証だった。だけどもメアはそんな俺の覚悟を踏み躙るかのように切り捨てた。


 冷徹にして冷血。本当に赤い血が流れているのかと思わずにはいられなかった。危険と分かっていながら案内役を買って出てくれた二人の決意にも泥を塗るようで、それを撤回させるべく瞬間的に頭に血が昇って、メアの胸倉を掴む。

 だが、返って来るのは一切の感情を含まない冷たい視線。


「君が怒るのも無理のない話だ。でもね、これは言っておかなければならない話だった」

「お前……っ! わざと、この瞬間まで黙っていたな……!」


 こんな大事な話、俺が知ったらこうして食って掛かってくると踏んでいたのだろう。だからメアはこうして出立の直前まで黙っていたし、俺の口からこの話題が出るのを徹底して避けていたのだ。時間があれば、俺がトルネやサンドラの代わりに死んでも任務を遂行してみせると御託を並べることができたのだが、生憎と今は時間が無い。

 だが、もしそうなった場合でも、いくら俺が罰を自覚していようと罪悪感に駆られていようとも、メアに論理的に話を進められて言いくるめられるのが目に見えている。結局メアの当初の目論見通りに事が運ぶのだが、話し合いの場すら設けずに反論する暇すら与えずに結果だけを押し付けるなんて、何よりもメアらしくない。

 ここでいくら感情的になったとしても、答えは出てこない。

 けれど、彼ら紫晶災害の被害者たちの扱いに本気で向き合わなければ、俺は俺であることを放棄することになる。それだけは絶対に風化させてはならず、その中でも冷静さを失ってはいけない。

 ……俺の最も苦手とするものだ。


 リリスが、トルネとサンドラが、心配そうに目を向ける中、俺は胸倉を掴む手を離して言った。


「どう言うことか、説明しろ。メア」

「どうもこうもない。単純な話さ。これはあくまでも優先順位の問題だ。二人には納得してもらっているよ」


 淡々と言い放つメアの言葉に振り返って二人の顔を見ると、トルネは困ったように、サンドラは決意の固い様子で頷き返される。その答えに俺は衝撃を受けざるを得なかった。

 もしや二人は、俺のようにメアに言い包められたのか。それとも、自分達が捨て駒になってもいいと本気で覚悟を持って挑んでいるのか。そのどちらであっても俺は彼らの人生を変えた災厄の存在として責任を取るべく声を上げなければならなかった。どんな存在、どんな瞬間であろうと、彼らの命が危ぶまれることなど絶対にあってはならないのだから。


 それが俺の取るべき責任であって、それを放棄しろなど、メアであっても譲れるものでは無い。俺は、この腕の中の彼らを守ると、決して見捨てないと、誓った。それすら失ったら最後、俺は立ち上がることすら出来なくなる。だから俺は、と奥歯を噛み締めてメアに視線を戻すのだが、俺が反論を紡ぐより先にメアの口が動いた。


「君は、何か勘違いしているんじゃないか? これは、森の中を往くハイキングとは違う。人間を相手にした、正真正銘の戦争なんだ。僕らの戦争は、もう始まっている。もしかして君は……、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……っ」


 メアの言葉に、俺は頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。


「これは、戦争だ。エルフと帝国の戦争なんだ。断じておままごとや物語の中の話じゃない。君は、その勘すらも鈍ったのかい? 甘っちょろい考えじゃ、戦場に呑まれるよ」

「分かってるよ……」

「いいや、分かってない。死神と呼ばれていたかつての勇姿は何処にいったのさ。今じゃすっかり、牙の抜け落ちた飼い犬だ。もう一度だけ言うよ。──戦争は、もう始まっているんだ」


 俺が帝国軍に所属していた三年の間に戦場へと駆り出された数は、優に三桁を超える。帝国と隣国の国境では常に戦線が張られており、俺たち帝国軍人に休む暇などほとんど与えられなかった。だから戦場での兵士たちの命の軽さを、俺たちは誰よりも知っている。散っていった仲間や、散らしていった敵を目の当たりにしているからこそ、俺はそのことを理解していなければならない。


 そして、戦争が「一、二の、三」で始まるわけでは無いことを俺たちは知っている。戦場は時と場を選ばずに開かれる。そして戦火は数多の不幸をもたらすのだ。

 戦場における命の価値は、等価である。虫も、動物も、魔物も、人も、エルフも、敵も、味方も関係なく、命は等しくなる。それを前にして、敵は殺して、味方は殺させないなど、都合の良い話があるわけが無かった。


 メアの言う通り、ここは、既に戦場だ。

 そして敵地に乗り込むのであれば、トルネとサンドラは勇敢で立派な戦士だ。それはつまり、命を捨てる覚悟でもって臨んでいるということでもあり、彼らの戦士としての覚悟を否定することは、誰であっても許されない。


 だから俺にはこの場で折れることしか許されていなかった。


「……分かったよ。だけどな、優先順位と言う言い方はやめろ。俺たちの命に順位なんかない」

「言い方が気に障ったのなら、素直に謝ろう。けどね、優先順位はあるよ。僕らがこの戦争に首を突っ込んだのは、君が発端でもあるんだから。もし敗北することがあったとしても、君は全員の死に様を見届ける責任がある。だから、君が死ぬのは僕の後だ。一番最後でなければならない。それが、正しい責任の取り方ってもんだろう?」

「…………その通りだよ。なら、俺が責任もって全員生かして返すし、全員生かして勝つ。それなら、文句ないな?」

「僕は初めから文句なんか、一言も言ってないけど?」

「……チッ。あぁ、そうだったな」


 俺は一体、いつになったらメアに口で勝てる日が来るのだろうか。もしかしたら一生、勝てないままかもしれない。

 歯ぎしりしながら睨んでみても、メアは涼しい顔で俺の背中を押してくる。


「ほらほら、ちんたら話していたら夜が明けてきた。さっさと行かないと、作戦に支障が出るよ」

「クソッ! 絶対に全員無事に戻って来てやる! 文句はその後だ! いいな!」

「はいは~い。いってらっしゃ~い」


 覚えてろよ! と舞台劇の野盗ばりの台詞を口にしながら、荷物を担ぎ上げる。結局、何をどう弁解しようと、メアの思い描いた通りの結末になるのだから黙って従えと言わざるを得ないのだが、どれだけ困窮しようと、やはり譲れないものは譲ってはならない。捨てて良いのはくだらない矜持だけで、俺に残された数少ない人間性を捨てろと言われたら、今後も抵抗するつもりだ。喜んで口答えしよう。

 だけども、俺たちを見送るメアの満足そうな表情は、俺がこうして反骨心を宿すのも見透かしているようで釈然としない。どこまでがあいつのシナリオ通りなのか。


 そして、俺がやるべきはメアのシナリオを崩すことではなく、俺に出来ることを全力でやり通すことだけだ。

 少なくとも、メアと俺は向いている方向は一緒のはずだから。


「うぇ、ウェイドさん! 待ってくださーい!」


 先行く俺に続いて、リリス、トルネにサンドラが追って来る。エルフの男、ラクロロはメアと何らかのやり取りを交わした後で続く。流し見たエルフの様子からして、恐らくだが注意の繰り返しだろう。俺も先のやり取りの中ではきっと、似たような表情を浮かべていたに違いない。


 旅立ちと言うには奇妙な見送りを背に、俺たちは東都アルザスへと足を向けるのだった。










補足と言う名の、言語解説。


【フジツガイ】


異性の特定の匂い、フェロモンを追う習性を持つ小鳥。飛行可能距離と体調管理に徹底した調整が必要なため帝国でも主流にならない伝書鳩。サイズは手のひらサイズ。メトロジア大森林を横断する際に最も大変だったことはと聞かれた時、メアはフジツガイの体調管理だと答える。互いのフェロモンを嗅ぎ分ける習性があるように繊細な生き物であるため、すぐに弱ってしまう。リリスの持ち馬、エースとは種族の壁を超えた大親友。

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