悪鬼が如く
俺はライアスに先導されながら、薄暗い階段を下りていく。
ここはララーナ国で唯一の牢獄らしい。湿った空気と鼻につく鉄の匂いが何とも言い難い。
この牢獄に収監されているのは、窃盗や恐喝で捕まった無法者だけじゃない。殺人犯や政治犯ですらもまとめてこの場所に集められている。だからこそ、それなりの警備体制を敷き、見回りや門番を配置しているわけだが……
「ライアス・ゴア中将です。そこを通してください」
「はっ! 偉大なる中将殿! ご苦労様です!」
ライアスはさっきからこの調子で衛兵をやり過ごし、奥へ奥へと足を向けていく。
ちなみにその際、俺に向けられる懐疑的な目には、もう慣れた。
(はあ……、重犯罪者とでも思われてるのかねえ……)
「彩霞くん、いまさらではありますが、今回のことについては謝罪させてもらいます。本来ならあのようなやり方を取らずとも、君をここへ連れて来ることは……」
「いいよ、俺だって状況は理解している。あの場でああやって振舞うことで、あんたは自分自身への反感を強めた。……俺のクラスの奴等は見事に殺気立ってたぜ?」
ライアスはヴィンの考案した次の作戦を遂行するにあたり、囮役として貴族以外の騎士見習いに嫌われる必要がある。それは、ライアスが貴族連中に与する者として爺どもの確固たる信頼を得るためだ。あの場にオブリルの爺が現れたことが計算かどうかは知らないが、どちらにせよそれを上手く利用したんだろう。
「……いいのかよ? あんたほどの騎士なら……」
「彩霞くん、私はこの国のために騎士になったのです。そのためなら多少の汚名を着ることも厭いません」
この件が片付いても、失った信頼はそう簡単に取り戻せない。
俺は暗にそういったことを口にしようとしたのだが、ライアスは先回りして、その心配を打ち消した。
「……あんたがそう言うなら、俺には何も言うことはない。俺は与えられた任務を粛々とこなすだけだ」
「ええ、助かります。今回お任せする任務も、君ならば無事成し遂げてくれると信じていますよ」
ライアスはそこで足を止める。
どうやら、目的の場所に着いたようだ。
見たところ、ここは牢獄に最下層にあたるのか。
すいぶん堅牢な独房だ。鋼鉄製の扉は、それだけでここに凶悪犯が収められていることを物語っている。
(こんな場所に幽閉されているような人物に心当たりは……)
ライアスは手馴れた様子でその扉を開け放つ。
「……懲りない奴だ。いくら鞭を振るわれようと、キサマ等に話す言葉はない」
ぞくっとした感覚が背中に走りぬけた。
「……どうやら、今日は珍客がいるようだな」
俺はこの声を、いや、この闘気を知っている。
こいつはかつて、俺と死闘を繰り広げたあの……
「久しいな、彩霞律。またキサマとこうして会えるとは夢にも思っていなかったよ」
リクセン軍が上位三傑『焔のクロウ』に間違いない。
「……ライアス、説明してくれ。これは一体どういうことだ?」
頭が現実を処理しきれない。俺の中でこいつはもう、とっくに処刑されているものだと思っていた。それがどうして、こんな場所で鎖につながれているんだ。
「彩霞くん。君には説明していませんでしたが、彼の命は私預りとなっています。当然、先の戦争が終わった後、彼は斬首刑に処させるはずでした。それを私の嘆願により、こうして生きながらえさせた」
「……甘く見るなよ、ライアス・ゴア。いくら拷問にかけられようが、祖国の恩義に恥じる真似はせん」
クロウは刺すような視線でライアスのことを睨みつけている。
誇り高き戦士にとって、散り際を邪魔されることは何事にも代え難い屈辱だ。
――だが、何かがおかしい。
ライアスがクロウを生かす理由は分からなくはない。
敵国の将校ともなれば、その身柄はおろか、知っている情報にもさぞかし有益な使い方があるはずだ。当然、尋問や拷問をしてでも引き出す価値はある。
俺が腑に落ちないのは、どうしてクロウが生きているのかということだ。
誇り高き戦士であればあるほど、こういう場合は舌を噛む。すなわち、自害する道を選ぶはずだ。そこに名誉も未来もありはしないが、敵国の手に落ちた以上、戦士が選ぶ道はひとつしかない。
「クロウ、この度、我が軍は貴方がたリクセンが誇る『チェザーナ要塞』へと進軍することになりました。貴方には知っていることを洗いざらい話して頂きたい」
俺の懸念を知る由もなく、ライアスは淡々とした口調でクロウに詰め寄っている。しかし、クロウとてそれを素直に聞き入れるはずがない。
「……笑止。俺はキサマに話す言葉を持ち合わせていない。――とっとと去れ」
クロウの顔は酷くやつれていたが、獣のような視線は健在だ。隣で話を聞いているだけの俺にまで殺気が伝わってくる。
「なるほど、やはりこちらの要望には応えて頂けないということですか……」
「くどいぞ、ライアス、俺を甘く見るな。キサマにも分かるはずだ。戦士がそう易々と……」
「それでは、――貴方が祖国に残した大切な人を、その矜持のために失うということですね」
その時、初めてクロウの顔が固まった。
「キサマ、何を根拠にそのような戯言を……」
「貴方は将校でありながら謀計というものに疎すぎる。戦士としては比類なき人間だと思いますが、軍師としての才能は皆無と言わざるを得ない。個人の情報など国家を相手取ればいくらでも調べはつきます」
自分が詰められているわけでもないのに、寒気を感じる。
それほどまでにライアスの声は冷たく、この場に重く伸し掛っていた。
「貴方には祖国に娘がいるそうですね。それも、ずいぶんと変わった病気をお持ちのようだ。そんな娘を一人残し、貴方はこの場で潔く戦士としての死を迎えると――何とも身勝手な話です」
「……見損なったぞ、ライアス! キサマも所詮は傀儡か!」
鎖を軋ませ、クロウがライアスへと飛びかかろうと身を乗り出す。
しかし、四肢を拘束された状態じゃ、それも無意味な抵抗だ。
ライアスはもとからその行動を予測していたのか、クロウからは決して手が届かない場所に立っている。
「勘違いしないで下さい。私は別に、貴方の娘に危害を加えるつもりはありません。ただ、この戦争に我々が勝てば、貴方の娘は敵将校の娘というだけで、命を奪われることになるでしょう。それを貴方は良しとするのでしょうか? この場で自害するでもなく、わざわざその娘のために生き延びようとまでしている貴方が……」
ようやく合点がいった。
俺が感じていた違和感はそういうことだったのか。
クロウが自害をしないのは、祖国に残した娘の身を案じ、一縷の希望を抱いていたからだ。戦士としての誇りよりも、大切な者の身を選び、藁にもすがる思いで生き延びようとした。
(狂戦士に似合わず、ずいぶんと高尚な決意じゃないか……)
「俺はこの命を祖国へと捧げた身だ! いくらキサマに陥れられようと、俺の心が折れることはない! 例えそれがアイツを失うことになろうと、そんな覚悟はとうの昔に……」
「では、仕方ありませんね。――彩霞くん、ここからは君の仕事です」
唐突にかけられた言葉に面を喰らいながらも、俺は自分に迫る厄介ごとの気配を、ひしひしと感じ取っていた。
「冗談だろ? あんた、いったい俺に何を……」
二人から視線を向けられ、俺は自然と後ずさってしまう。
「君にはリクセン国へと侵入し、ここにいるクロウ・クリエストの娘を保護してもらいます」
「!!!」
クロウの顔に驚愕の色が浮かび上がる。
「ライアス、キサマいったい……」
「私は戦争に勝つためなら、手段を選ぶつもりはありません。これが貴方にとっての切り札となるなら、私は喜んでその道を選び抜きましょう。クロウ――あまり私の覚悟を舐めない方が良いですよ? 貴方には貴方の目の前で、絶望を味わって頂きます」
そう言って嗤うライアスの顔は、悪鬼に取り憑かれたかのように歪んでいた。




