姉弟弟子
昌運はそう口にすると颯爽と刃をひるがえし、その場からその姿をかき消してしまう。
――まずい!
そう思ったが最後、その気配は突然背後にあらわれ、そしてそれを俺が認知する前に、今度は突然前方へと姿をあらわす。
認識の外まで速度を上げる雅流一仭が奥義、無辜の足捌き。
対象はおろか、土埃や空気でさえも捉えることのできないそれは、まさに何をも侵食し、何をも侵食されない極地の足技。
――こいつ、
極地には極地を、俺は腰の刀に手をやり、自分が思い描く最小の動作でそれを抜き放つ。
雅流一仭が初伝、無音!
「ハアッ!!!」
静寂を打ち破るのは、キンっとした鍔鳴りの甲高い音のみ。一心に一刀を込め、これを陰陽となす。足捌きが追いつかないのなら、それを上回る剣速で叩き斬ればいい。
捉えきれないものを捉えきれない速度で死に追いやる。それがこの流派の極意であり、陰陽の理。
あとに残るはその末路のみ。だが……
「へぇ、思ったより速いじゃん」
刹那の間の交差、その後に残るのは肩口を切り裂かれ膝をつく俺の姿。
そして昌運はそんな俺を見下ろしながら愉悦を含んだ笑みを浮かべ、大太刀の切っ先を大地へと下ろしている。無論、昌運の身体に傷の一つもある訳もない。
「驚いた。腑抜けは腑抜けなりに修練でも積んだの? 一瞬とはいえ、あたしの速度に追いつくなんて」
「……よく言う。あれだけ手加減されれば嫌が応にも切っ先ぐらいは追いつく」
おまえが本気だったなら、いまごろ俺の首は胴体と繋がってないだろうさ。
それほどまでに実力に差があり、それほどまでにこの女は強すぎる。
――血が沸き上がるように踊り狂う。この感覚は久しぶりだ。
クロウと闘りあった時にも似たような感覚を覚えた。
強者との闘いにおける自分自身の戦意抑揚。
だが昌運と闘り合っているそれは、ひと味もふた味もその他のそれより消化がしやすい。
それはきっと……
「阿呆だね。刀身半分の弟相手に全力で斬りかかる姉弟子がどこにいるっていうんだよ。頭すげ替えちゃうぞ」
腐ってもこの女は俺の姉弟子にあたり、性格に難はあるものの俺が超えるべき目標となる人物の一人だからだ。
「しっかしあんたも偉くなったもんだよねぇ。まさか姉弟子であり、都で一番の刀匠と名高いこのあたしに、手紙一枚で刀を打てとは……。いまので少しは身の程ってやつを弁えることができた?」
「いきなり襲いかかってきて何かと思えば、あいかわらずその狂犬っぷりは治ってないみたいだな」
「あんたの方こそあいかわらずだよ。その口の利き方、それが愛しの姉弟子に向ける言葉遣い?」
郷愁なんて感じる柄じゃないが、このやり取りに懐かしいものを感じているっていうのも不思議な話だ。
おかげ様でずいぶん身体も暖まってきた。
こうなればもう、この後の展開は約束されたようなものだ。
「いまさら細かいことは気にするな。それよりも、まさかこの程度の打ち合いで満足したわけじゃないんだろう?」
「偉そうな口を聞くねぇ、やっぱりあんたには反省が必要かな。次はカスリ傷じゃ済まないよ?」
俺は笑い、昌運も嗤う。
この威圧感に、肌を刺すような禍々しい殺気。
懐かしいな。倭国にいた頃はこれが当たり前の毎日だった。
「「さあ、続きを始めようか」」
刀を抜いたからにはそれ相応の結末が必要だ。
それこそカスリ傷程度で済むようなら、わざわざ刀を抜くまでもない。
「じゃあ今度はこっちから……」
「待て、彩霞律」
しかし、そんな俺の闘気を断ち斬るかのように、目の前に片刃の剣が差し出される。
「何だよ、フェリア。見ての通り、いまは取り込み中だ」
「馬鹿を抜かせ。キサマは自分のしていることをしっかりと理解しているつもりか?」
呆れ返ったかのようなその声には、言外に「またかキサマは」と言っているかのようにも聞き取れる。
「訓練場内で私闘を始めただけでなく、この相手方はいったいどこの誰だというのだ。この場は仮にも王国管理下となっているのだぞ。こんな光景を上官に目撃されでもしたら……」
「そうだよリツ。いったい何がどうなってるのかは分からないけれど、これはちょっとやりすぎだと思う」
「ん。バレたらまた懲罰いき」
気付けば俺の背後にはいつもの面子が並び立っている。
闘いに夢中になっていたとはいえ、これは不覚以外の何ものでもない。
「なに、そいつ等? ずいぶん上から目線で講釈をくれるじゃない?――邪魔するなよ、いまはあたしが律と遊んでんだから」
肌を刺すような殺気に振り返れば、そこには獣のごとく身を低くした昌運の姿があり、
「っ! 止めろ、昌運!!!」
俺が静止する間もなくその姿はフェリア達の元へと移動し、その大太刀を上段に振りかぶっている。
あいつ等の実力じゃ、あの一撃は認識すら出来ない。
ふざけるなよ! 昌運!!!
とっさに駆けだすも、俺の速度とあいつの速度では土台に差があり過ぎる。――間に合わ……
「んん? 何だ、とんだ勘違いだったみたいだね」
だが俺の予想に反して昌運は大太刀を振り下ろすことなく、そのまま背中の鞘へときっちり納めてしまう。
何だ? いったい何が……
ようやくそこで俺はフェリア達の前に身体を滑り込ませ、真っ向から昌運を睨みつける。
「そう力まないでよ、律。今日のところは白けちゃったからこれでお終いにしよう」
何をいきなり勝手なことを、こっちにはまだおまえをぶっ飛ばす理由が……
「にゃははっ、そんなところはまだまだひよっこだなあ。――あたしはあんたに見逃してやるって言ってんだ、勘違いすんなよ?」
屈託なく嗤うその姿に、背筋が凍えるほどの寒気を覚える。
これが俺と昌運の本来あるはずの実力の差。
――いままで本気を出してなかった癖に、こんな時だけ闘気を発しやがって。
「まあ、あたしとしては不肖と言わざるを得ない弟弟子が、日々研鑽していたってことだけで大満足だよ。強くなったじゃない、律」
俺以外、その場にいる全員が呆気にとられた様相を見せている。
それもそうだろう、これだけ喜怒哀楽で表情をころころ変えられたら、初見の人間はまず驚くしかない。
「では、律。呆けた顔してないで、この方々を紹介してくれないかな? 見たところ、あんたの仲間のようだし」
「……ちょっと待て。いきなり過ぎてこっちの整理が追いつかない」
息を整え、頭の中で情報を整理する。
まずは何から……
「はあ~、あいも変わらずまどろっこしい奴。じゃあこちらから自己紹介させてもらうよ」
これみよがしにため息つきやがって、いちいち頭にくる奴だ。
そもそもそれが出来るなら最初からそうしろよ。
そんな俺の思いをよそに、昌運は身体を丁寧に折り曲げ、フェリア立ちに向けて口を開く。
「はじめまして皆様。先ほどはいささかお見苦しい姿をお見せしました。あたしの名前は昌運小桜。倭国生まれの倭国育ち、律とは同じ流派の姉弟弟子。この度、わが愛すべき弟弟子からの熱い手紙に応え、遠路はるばるこの国までやって来た右も左も分からぬ『侍将』です。よろしければ是非ともご贔屓頂ければと思います」




