ひどく冷たい風
「まったく、酷い目にあった」
あの後、シスターの説法を延々と聞かされ続けた俺は、現在、疲労困憊の体であてがわれた屋根裏部屋に腰を落ち着けている。
しかし、よくあそこまで話し続けられるものだ。
それに関しては、もはや尊敬するといっても過言じゃあない。
気付けば日もとっぷりと暮れ、小窓からは夜の空が覗けるような時間になってしまっている。
日々の生活の態度。言葉遣いの是非。果ては、祈梨の面倒の見方についてまで、これじゃあまるで、親に叱り飛ばされる子供の姿じゃないか。
そりゃあ教会を訪れた信者の奴等も、そんな情景を目にすれば、一目散に背を向けて帰っていくだろうよ。
お陰様で今日の情報収集は、ほぼ零といっても過言じゃない。
「無駄に疲れただけの一日――――いや、一概にそうも言えないな」
今日だけでも十分に、シスターの人となりを理解できた。
それに、あの破天荒を絵に書いたようなリナでさえ、あそこまで他人のことを考えているということも、俺の中では十分に価値のある収穫だった。
『私も聞いてあげない』か、生意気なことを言いやがって、元より、そこまで弱みを晒すつもりは毛頭ないっていうのに。
――――所詮。俺にはこういう生き方しか出来そうにもないんだよ。
さて、気を取り直して型の稽古でもしよう。
日々の修練こそ、日進月歩の基本。
俺は壁に立てかけていた大型の剣を手にし、教会の裏手へと足を向ける。
表に出たとたん、冷えた風が体を打ち、徐々に神経が研ぎ澄まされていく。
―――― 一心を一刀に、刃に命を叩き込む。故にその踏み込みは一歩となり一速と化す。
己の中で信義を口にし、剣を真上へと振り上げる。
袈裟、逆袈裟にはじまり、唐竹、逆風で一巡。
右薙ぎ、左薙ぎではじまり、刺突で二巡。
本来ならここで、抜刀、納刀の三巡に繋げるところだが、あいにくと、いまは借り物の西洋剣を使用している。
故に一巡、二巡を徹底的に繰り返す。
風を斬る。その音が鳴り止むほどに剣速を速める。
西洋剣は日本刀と違い、その圧力をもって相手を粉砕することに重きを置くと聞いた。
その違いを受け入れろ。俺の本質は斬ることを重視している。
いかに借り物であろうと、己が速度を維持するように。
『名乗りはいらんぞ。勝負になどなろうはずもあるまい』
『賞賛しよう、、、東洋の剣士よ。決闘の名に、、、恥じぬ戦いだった。冥府で誇れ!』
この国に来て二度。もう二度も俺は闘いに敗れている。
技量も器もまだまだ足りない。
然らば精進するのみ、迷いなく曇りなく、ただただ強くあろうと願い続けろ。
『姉さん! 姉さあああああああああん!!!』
ガキンっという鈍い音をたて、剣の先端が空へと舞い飛んでいく。
――――ちっ、嫌なことまで思い出させる。
おかげで目測を誤り、地面に剣を打ちつけてしまった。
しまったな。この剣は修練用ということで、モフランがわざわざ借してくれた物だっていうのに、さて、どう言って謝ったものか。
……まあ、それはその時にでも考えれば良いか。
まずは折れた剣先の回収だ。
俺が気持ちを新たにその場を動こうとしたその時、思いがけない声がかけられる。
「精がでますね」
そう言って、教会の裏手口に佇んでいた人物は、ゆっくりと俺の方へと歩み寄ってくる。
「すまない、シスター。不快な音をさせたみたいだな」
「いえ、お気遣い無く。それよりも、随分と集中なさっていたようですね」
どうにも様子がおかしいように思うのは、俺の気のせいか?
「修練というものでしょうか。正直、ここまで鬼気迫るものだとは思いもしませんでした」
月明かりが、シスターの姿を徐々に鮮明にさせていく。
「彩霞さん。ひとつお尋ねしたいことがあります。――――あなたはそこまでして、どうして剣を振るい続けるのでしょうか?」
世界中のすべての音が鳴りやんでしまったかの様に、その言葉はしっかりと俺の耳を貫いた。
「どうして、だって?」
「はい。どうしてです」
「そんなこと……」
「本来なら、他人が口を挟むような事情ではありません。ですが、私にはどうしても、その訳が知りたくなってしまったのです」
シスターは風になびく修道着を手で押さえ、あくまでも上品にそう言ってのける。
「なあシスター。いったいどうしたって……」
「『ふざけるな』」
「!」
「これはこの教会を初めてあなたが訪れた時、その時、あなたが私に対して口にした言葉です。覚えておられますか?」
ああ、もちろん覚えてはいるさ。
だが、いまさらそんな言葉を持ち出して、シスターはいったい何がしたいんだ。
「私はあの時、あなたにこう言った覚えがあります。戦というものは相手の命を奪い取り、そしてその相手にも、守るべき何かがあったのだと」
確かに、その言葉には聞き覚えがある。
剣の先の未来。シスターが言いたいのは、結局はそういうことなんだろ。
「なあ、シスター。何を勘違いしているのかは知らないが、俺は別にあんたの持論に反発したかった訳じゃ……」
「反発などといった些細なこと。それこそ、私からすればどうでも良いことなのですよ。この国にいるすべての人々が、女神教の教えを敬っている訳でもありませんしね」
そう言って笑うシスターの姿に、寒気にも似た感覚が走りぬける。
不自然すぎる。
いま俺の目の前にいるシスターは、本当に先程まで教会内で祈りを捧げ続けていた人物と同一人物だっていうのか?
「世界は不平等なのですよ。結局は、誰かから物を奪わなければ、誰かが満たされることも少ない。そして、いつもその原点には、『闘争』という名の『狂気』がまとわりついているのです」
俺の心情をよそに、シスターは言葉を紡ぎ続ける。
「ねえ。彩霞さん。あなたはその『狂気』について、いったいどの様なお考えをお持ちなのでしょうか?」
「正直なところ、そこまで崇高な精神は持ち合わせてはいない。俺はただ、自分の矜持に従うことにしか興味はない」
「『矜持』ですか。それならなおさらのこと、私はあなたのその『矜持』を聞かせて欲しいと思って止まないのです」
「いい加減にしろよ、シスター。あんたいったい何が目的でそんなことを……」
「三年前、私の両親と祖父母は、女神教の教えに身を焦がし、戦地へと足を運び、帰らぬ人となりました」
「! 一般人を戦地に連れて行くなんてこと、一国の軍が簡単に認めるはずが……」
「いいえ、彩霞さん。あなたはまだご存知ないのかもしれませんが、この国において『女神教』とは、それほどまでに力のあるものなのです。そして、その女神教を崇拝する戦士たちにとってブラザーやシスターが戦地へとおもむくことは、この上ない士気の向上につながる」
それはきっと、事実だ。
戦において、それがどれほどの意味をもつのかなんて、俺自身が知らないはずもない。
だが、その事実がひどく俺の心を揺さぶってくる。
「それが私の両親と祖父母における『矜持』としての行動だとしたら、それを世間はどう捉えるのでしょうね」
英雄。もしくは分をわきまえぬ愚物といったところだろうか。
どちらにしろ、残された者にとっては、はた迷惑な称号だ。
「彩霞さん。私は常日頃からこう思っているのです。時に人は、自分の『矜持』を捻じ曲げてでも、幸せになる道を選ばなければならない。『死んでも守る』だなどといった『矜持』は、持たない方がその人の為なのだと」
シスターはそう言うと、自分の懐に手を入れ、ひと振りの小刀を取りだす。
「『ふざけるな』と仰った時、そして今しがた剣を振り回していた時。彩霞さん。あなたの目は、そのどちらの時も、私の両親祖父母とまったく同じ様な目をしておられました」
冷たい風が、俺たちの間を吹き抜けていく。
「私がもしも、今からこの刃を祈梨ちゃんに向けるものとして。あなたは自分の『矜持』の為に、今この場で、私を殺すことが出来るのでしょうか?」