月下
シスターはその言葉をかわきりに、小刀をゆっくりとこちらの方に向けてくる。
「……もう一度言ってみろよ」
「何度でも言いましょう。――――もしも、私が今から祈梨ちゃんを……っ!」
シスターがその言葉を言い終える前に、俺はその首筋に剣先を添える。
「あんたらしくもない。人をおちょくるのも大概にしろ」
今この手を引けば、シスターの首を綺麗さっぱり斬り落とすことができる。
だから、とっとと否定しろよ。
今なら冗談で済ますこともできる。
「……どうして、斬り落とさないんですか?」
ひどく冷たい声。
まるで最初から用意されていたかの様な、陳腐な台詞。
「なら、どうしてあんたは震えてる」
能面を装おうとも、芯まで通った恐怖は隠しきれはしない。
「シスター、あんたはここで死ぬことを恐れている。だからこそ、いま一度問いかけよう。――――撤回するなら、これが最後だ」
もしも、あんたが本当に祈梨に刃を向けるというのなら、――――俺は何の躊躇いもなく、ここであんたを――――。
「やはり……、私の思った通りなのですね」
「シスター。無駄話は不要だ。いいからさっさと……」
「やっぱり。彩霞さんは甘すぎる」
うな垂れ、地に落としたままだった腕が、勢いよく水平に振り抜かれる。
「ちっ!」
すんでのところでその凶刃を躱し、いま一度シスターに向けて刃先を向けなおす。
「……ねぇ。彩霞さん。どうして今、私の首を落とさなかったのです? ご存知のとおり、私は一介の聖職者です。闘うすべももたなければ、その様な技術に触れたことすらない」
「なあ、シスター。あんたいったい何が……」
「無抵抗の人間を殺すとなれば、騎士としては都合が悪いのでしょう? だから、わざわざこちらから殺しやすくしたにも関わらず、私はいまだに生きています」
狂気、正気。そのどちらともつかない。
だが、あきらかにこれは何かがおかしい。
「彩霞さん。あなたはきっと、何かを『守る』ために、何かを奪う道を選んだ人間なのでしょう? だったら、どうして今この場で躊躇う必要があるのです」
その言葉は小さく、それでもなお、俺の神経を逆撫でさせる。
「その様な甘い考えで、どうして人を守れるだなんて思うのでしょうか?」
「舐めるなよ。俺は俺の矜持のためなら……」
「私の両親祖父母は! 女神エルファリア、いえ、エルファリアというひとりの人間に憧れを抱き、その姿を尊いものだと考え、戦地にて命を散らしました」
「大切なものを守るためだと、あなたを守るためなんだと、何度も私に言い聞かせ、その人生に終止符を打ったのです」
「その結果!!! 私には何が残ったのでしょうか」
「戦争は終わることなく、女神様にすがる信者は増えるばかり!」
「私はね、彩霞さん。あなたと祈梨ちゃんには、そうなって欲しくないと考えているのです。――――いえ、そうなってはいけないと忠告しているのです」
「剣の先の未来。それは、剣などといったものが不要になるような未来。――――あなたはこの国から身を引き、祈梨ちゃんと二人で穏やかに暮らしたほうが良いのです」
月が雲に覆われたせいで、シスターの顔はよく見えない。
だが、そこには確かに、この人なりの矜持と教示があらわれていた。
別段、やりすぎの様な気もしなくはないが、それも聖職者ゆえのお節介か、それとも、そこに何らかの別の意図があるのだろうか。
――――正直、俺としては、そのどちらでも構わない。どうせ、答えは変わらないんだ。
「シスター。いくらそんな言葉を重ねられても、俺には俺なりの戦う理由がある」
「…………」
「シスターの身の上話に思うところなんて何もない。俺から言わせればそんなもの、この世界を漁ればいくらでも耳に入ってくるような話だ」
――――なら、どうして
「俺にも、守りたかった人がいた」
――――俺はこんなことを口にしているんだ?
「それは……祈梨ちゃんとは違う人ですか?」
――――わざわざ話す必要なんてないだろうに
「ああ。でも、俺はその人を守ることが出来なかった」
――――何を重ね合わせる必要がある
「俺は……俺の目の前で! 俺が無力なせいで! 大切な人を失くしたんだ」
『律。私にとって、他人は他人でしかないの。でも、あなたのことは絶対に私が守るから。大丈夫、絶対に私が守ってみせるから』
「その人と約束した。その人の姿に憧れた。だから、俺は何をもってしても、この道を違えることはない」
自分の中で何かが溢れ出してくる。
激情も、後悔も、己の無力さだけが、次から次へと溢れ出してくる。
「そうですか。それがあなたにとっての――――剣の先の未来」
雲が晴れ、月明かりがシスターの顔を照らしだす。
その顔は、何故だか穏やかで、何故だか諦観めいたものを宿している。
「ひとつ、教えていただけませんか?」
「……何を?」
「あなたがあの時、女神エルファリア様の伝承に悪態をつかれたのは……」
「…………」
「そうですか」
無様なものだ。
それが確かに事実だったにも関わらず、それを自分自身の口から語ることも出来ないなんて。
「似て……いるのかもしれませんね、私たち」
「悪いが、俺は信仰心の欠片ももたない一介の騎士見習いだ。聖職者なんていう立派な立場にいるあんたとは、似ても似つかない」
シスターは頭を振り、言葉を続ける。
「私はね。聖職者である前に、ひとりの人間なのですよ。そして、それはあなたも同じこと」
「あんた、……」
「ええ。私は女神教の教えを尊いと考えながらも、女神教の教えが『正しい』とまでは口にすることが出来ないのです」
「それは問題発言じゃないのか?」
「ふふっ、ここだけの話にしてくださいね。――――だって、仕方ないじゃないですか。女神教の教えに従ったばかりに、大切な人達は亡くなり、私はひとりぼっちになってしまったんですから」
それが根底。それがシスターの本音か。
「よくそれで女神教のシスターなんてやってられるものだ」
「だから言っているでしょう? 私は心から女神教を崇拝していますし、それが無様で滑稽な姿だとは露ほどにも考えておりません」
「それは結構なことで。それにしても、これは少しやり過ぎだ」
「私は女神教のシスターとして、そして、ソフィー・グラネットという一人の人間として、あなたの様な人間を放っておけなかっただけです」
「それは俺が、あんたの両親達と同じ様な目をしていたから?」
「いいえ。そうとも言えますし、そうでないとも言えます」
まるでイタズラを思いついたかの様に、シスターはそう笑う。
「祈梨ちゃんですよ。私は、あの子に感情移入し過ぎてしまったようなのです。だから、こんなものまで持ち出して、あなたの覚悟を試そうと考えてしまった」
そう言うと、シスターはいまだその手に握ったままだった小刀を地面へと投げ捨てる。
「私はあの時、私の大切な人達を止めることが出来ませんでした。そして、あの人達にとっての『矜持』がどれほどのものなのかを、私はいまだに理解が出来なかった」
「それを、俺で試したと」
「申し訳ありません。でも、それでも知りたかったのです。あなたがどれほどの思いを抱いて戦場へおもむき、どれだけのことを成し遂げたいのかを」
「結果は?」
「残念ながら、私一人の命も奪えないようでは、本当に大切な人なんて守れはしないでしょう」
「…………」
「でもね、彩霞さん。私はその『甘さ』こそが彩霞さんの未来につながり、剣の先を導くものだと思うのです。なり振り構わず人を殺めようとする人間だなんて、女神エルファリア様もお許しにはならないでしょうから。だからきっと、今はそれで良いのですよ」
ここへきて初めて、シスターはそう言って笑顔を見せてくれる。
買いかぶりすぎだよ。
俺は人を殺めることに慣れすぎているだけだ。
実際、シスターからほんの少しでも殺意を感じていたら、あの場でその首を斬り落としていただろうさ。
「冷えてきましたね。そろそろ中に入りましょうか」
「ああ。そうだな」
互いの傷を晒し合うのも、その傷を舐めあうような真似も、これでおしまいだ。
なあ、ライアス。俺にはやっぱり、この人が反乱を企むような人間だとは思えないよ。




