刹那の悪夢
殺さないと——頭に木霊する。
あれは俺にとって忌むべき存在だと——頭の中で衝動が吼えたてる。
まずは——
「はい? えっ……ちょっと何ですの、その目は? まさか……私?」
虚どるなよ、神楽愛里州。お前も一端の序列持ちなら、俺程度どうとでもなるだろ? 現にさっきまではそうだったじゃないか。
——そんなに今の俺が怖いか? じゃあ……
瞬きの間に距離を詰め、視認できない速度で上段から剣を振り下ろす。節々が音を立てて軋みを上げるが、それは今更何の障害にもならない。今はこの衝動だけが俺の体を突き動かす。
「逝け」
「——っ!」
それは刹那を超えた速度。
人の視認できるそれを凌駕した俺の一撃は——
愛里州が咄嗟に構えた鉄扇の端を切り裂いたのみで、愛里州自体には傷一つ付ることが出来ずに刃先を地に埋めていた。
これは……
「………………な、何でしたの? いったい何が……」
加減をしたつもりもなければ、確実に俺は殺意を持って剣を振るった。愛里州が躱した? いや、愛里州には俺の剣筋どころか、挙動すら視認できなかったはず。現に今も、自身の身に何が起きたのかさえ理解できていない。
じゃあ何故? いまさら俺が一閃を外すなんてこと……
「あーあー…………そうじゃねえ、坊主。そのチカラは——そう使うんじゃねぇ」
横合いから呆れたような声。
その声の主は先までの剣気が嘘のように静かなまま、俺の方へと歩み寄ってくる。
新免武蔵守狂夜
倭国にて最強を名乗る侍。
だが、今の俺なら此奴にも……
「逸るな、坊主。今のお前は限りなく俺に似てるが……その様子じゃあ、まだまだ……」
その言葉も言いきらぬ内に、狂夜は俺の鳩尾めがけて拳を放ってくる。
「ぐっ……!」
文字通り鉛の一撃。
息が止まり、呼吸が不安定になる。だが、まだ意識は途絶えない。怨讐は晴れず、一刀はまだ健在。然れば俺のとる行動は——
「おっと、下手に動くなよ? まだ俺の用事が終わってねぇ」
今度は蹴り上げ。
視認出来ても躱せず、身体が宙に投げ出される。
くそっ……だが、これは好機に変えさせてもらうぞ。
勢いのまま地に堕ち、それと同時に地を這うように翔ける。
地を裂いたままの刀を引きづるように逆袈裟へ。
「死ね——最強」
「甘ぇよ、だが、悪くもねぇ」
俺の一閃は軽く身を引かれただけで躱される。
それどころか、そこから派生させた追の二閃までもが、いとも容易く躱されてしまう。
何だ? そんなはずは——そんな簡単に躱せるはず——
「あーあー、無理すんな。まぁ今のお前に言っても聞く耳も持たねえだろうが、そのまま動けば——確実に死ぬぞ?」
何を戯けたことを……貴様等、侍は俺が————
そこで視界が闇に閉ざされる。
どうした? まだだ、まだ終わってない。
此奴等を俺はまだ——
「律っ!」
膝から崩れるように倒れた友に駆け寄る。
くそっ、呼吸が小さい。
問題はこの腹の傷だ。コイツ、こんな傷を抱えながら今まで……
気付かなかったのは、このヴィンセント・ロータスの失態。
ここからは一寸の間違いも許されない。
コイツは間違いなく我が国の功労者——そして、オレが未来を託した一人の友だ。その友を連れてここから脱出するには——
「ちっ、簡単に意識失いやがって。血を流しすぎだ。何だ、その腹の傷は。こっからが楽しいところだったってのに……。まぁ、本物だって分かっただけでも十分か。そこの兄さんもそんな顔すんな。別に今更獲って食おうって気もしねえ」
「ちょっ……一人だけ分かったような顔をしていないで、説明して下さいな! 今のは何だったんですの? 今の彼の動き……尋常ではない剣気。あれはいったい……」
「あれは剣気じゃねえよ、ありゃあ紛れもなく鬼気だ。っと、面倒臭え説明はそこにいる剣鬼にでもしてもらえ。俺はもう国に帰る。散々な任務だったが、それなりに愉しめもした——本番は次の機会でも十分だろ」
見逃す——というのか?
この男、このオレでさえも底が見えない。
「ほう、儂が貴様を逃すとでも? それに魔鉱石はどうする」
「ハッ、石っころより確かな収穫がありゃあ十分だろ。それに、本気も出さねぇ奴を相手にしても、俺も燃えねえもんでな。次に相見えることがあったなら、その時はあんたの全力も拝みたいもんだ。愉しみにしてるぜ、あんたか其奴か——俺はまだまだ乾ききってるもんでな」
そうして余裕綽々の歩みをもって、狂夜と呼ばれた侍は女剣士の横を通り過ぎていく。
女剣士もその歩みを邪魔することなく、その場から一歩も動かない。
「————新免武蔵野守か、想像以上に狂った奴よのう。で、其方はどうするつもりじゃ?」
「くう〜〜何奴も此奴も勝手なことばかり! 分かりました。失礼します。失礼させて頂きます。それ以外に選択肢などないでしょうに!」
ははっ、これも女神の加護か。こっちが策を巡らすまでもなく、侍達はこの場を去っていく。正直、泣きたいぐらいの奇跡だ。こうなれば後に残るのは……
「ふむ……ここが勝鬨の頃合いか?」
妖艶に和装を着崩した女剣士がそう問い掛けてくる。まるで先ほどの一幕など、何も無かったかのように自然な笑みを浮かべなら。
怖ろしい人だ。そう来られては、こちらも紳士的に応じなければならない。
「——ええ、まさに絶好の機会かと。淑女悪い夢を見ていた気分ですよ」




