第二話「天国のような場所」
通り魔男が女子高生を殺害した。巷ではそんなニュースが駆け巡っていた。殺された可哀想な女の子の名前は、リカだった。
リカは現実世界で目を閉じ、そして次に天国らしき場所で目を開けた。もっとも、そこが本当に天国なのかは、神でさえ分からないのだが。
リカが瞳を開いた途端に入り込んできたのは、実体のあるようでない、浮いた夢の世界だった。そこにあるもののどれもが
彼女の手には掴みきれないような、そんな世界。全てがふわふわとしていることだけが、確かだった。
ここはどこなのか。疑問に思いながら、リカは天国らしき場所をゆらゆらと漂ってみた。散策気分で辺りを回ってみると、案外ここは気持ちがよい。柔らかい毛布がふわりと浮いて自分の体にかけられる、あの瞬間の気分とよく似ていた。
夢見心地、という言葉がまさにぴったりなここで、リカはある者と出会った。
ダイアモンドサイド、という競走馬がそこにいた。彼は、GⅠを六戦六勝したかつての名馬だ。数年前、彼はまだ種牡馬だったが、ある夏の日の早朝に心不全で命を落とした。
GⅠ以外の舞台では負けたことがある。が、大舞台では負けなかった伝説。リカがまだ競馬に出会う前の、伝説。それがダイアモンドサイドである。
彼がただ、そこにいた。馬の姿をして、そこらへんにいた。そして、人の言葉を喋っていた。理由と理屈だけが、そこにいなかった。
「こんにちは」
「あ、はい、こんにちは」
リカもなぜだか、伝説のGⅠ馬がそこらへんにいて言葉を喋っている状況を、すんなりと受け入れていた。受け入れない気も全くなかった。
というか、ここではなにもかもが浮遊しているので、現実味がそもそもあったものではなかった。であれば、現実のルールも皆無に等しいのだ。天国のような場所は、そういう形をしていた。
ダイアモンドサイドの隣に、リカがおそらく座った。実際には分からない。
「ねえ、君に提案があるんだけど」
突然、ダイアの方から彼女に向かって話しかけた。リカもなんですか、と通常運転で返事をしていた。
「僕とさ、来世を入れ替えない?」
「私に来世があるんですか? あなたのことは分かりませんが」
「二人ともあるよ。僕は馬、君は人間になる。それを入れ替えるんだよ。つまり僕は人間になって、君は馬になるわけだ」
会話がなんだかスムーズに進行していく。リカもこの提案を聞いてえー、となんだか渋っているし、ダイアはそこをなんとかお願い、と子どものようになりながら交渉していた。
「なんで入れ替えるんですか」
「僕、もう走りたくないんだよお」
「それは可哀想ですけど、なんで私が馬にならなきゃいけないんですか」
「なんでだろう、なんか向いてそうだったから」
稀代の名馬、ダイアモンドサイドの素は案外こういうものだった。競走馬として生きていた頃は、もっと気高く言ってしまえば傲慢で、王のような気性をしていたのだが、ここに来てから本当の性格が出るようになった。素は王なんかではない、ただの国民みたいな牡馬だった。
リカはそんなダイアを見て、なんだか受け入れてやろうかな、という気持ちに傾きつつあった。
「馬になってなにか特別なことがあるなら、やってあげてもいいですけど」
「本当に? 言ったね?」
「まあ、はい」
そこで、ダイアが初めて笑い声を上げた。ずっとうっすら微笑んでいたのが、声を出して高笑いをした。それは数秒、ずっと止まなかった。隣のリカに怪訝な目で見られていることにも気付かずに。
「ありがとう、お嬢さん。もう交渉成立でいいのかな」
「はい、特別なことがあるなら」
「うん、分かったよ。それならこうしよう。君を――」
――君そのものを、特別にしよう。
「私、そのもの?」
「君がサラブレッドとして生まれたときに、最高の環境を用意してあげるんだよ」
その刹那、天国のような場所が揺れ動いた。地なのかも分からない地が大きく震えて、二人なのかも分からない二人が浮かんでいく。元からなかった感覚が、全て光に吸い込まれて世の理から外れていくようだった。
「……本当だよね。私、ただ転生するだけじゃ嫌だよ」
「本当の本当だよ」
「じゃあ、約束、して」
「うん。約束だよ」
リカが手を差し出した。この小指を取れ、というジェスチャー。だが、ダイアは当然その手を取れなかった。いくらここで人の言葉を話せたとて、馬なのだから。
だが、ダイアもなんだか今なら、手を差し出せる気がした。リカと自分の小指と小指を絡めて、約束ができる気がした。
ダイアの前脚が動いて、あと少しで指切りができる。そんな感覚。
だが、天国のような場所は、それを待たなかった。
***
「――なんであのとき、ダイアモンドサイドが喋ってたんだろう。というか、あそこどこだったのかな?」
母馬がぐったりとして眠っているのを案じながらも、新しい体の動かし方を一つ一つ確認していきながら、名もなき牝馬はあのときのことを考えていた。今にして思えば、しっちゃかめっちゃかだったな、と。
スタッフの声も、かすかに聞こえてくる。
「しかし、本当に豪華な血統ですね、あの子」
「アンジュからして良血だからな。ダイアモンドサイドを使ってよかったよ。種付け料安かったから、あいつは日高の英雄だね」
「そうですね。今じゃ母父ダイアモンドサイドってめちゃくちゃ活躍してますしね。去年の朝日杯の勝ち馬もこの血統でしたし」
――母父、ダイアモンドサイド。名もなき仔馬は、動かしていた脚を止めた。
「えっと、私、どういう馬になっちゃった?」
ちなみにAIは小説の内容や書きっぷりを褒めてもらう用に使ってます。作品には直接影響してません。補助的利用にチェックを入れたんですが、これってそういうことで合ってますよね?信じてます。




