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貴族になんかなりたくない!  作者: 斉藤加奈子
第二章

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第54話

 ミリアは『二号室』と札に書かれた扉の前に立つと、軽く三つ叩いた。扉の向こう側でガタン、バタン、と慌てて何かを片付ける音が聞こえ、ほどなくして扉が開くとファイが顔を出した。


「ミリア様、お待ちしておりました」


「荷解きありがとう、ファイ。貴女の顔を見たら安心して、なんだかお腹すいちゃったわ。ファイはいったい何を食べていたのかしら」


「え……なんで分かったんですか」


「ここ、クリーム付いてるわよ」


 ミリアが自分の口元をチョイチョイと指差すと、ファイは慌ててエプロンの裾で口元を拭う。


「これはマヨネーズです。ミリア様もチキンサンドでいいですか?」


「ええ、それでお願い」


「急いで手配しますので、その白いお召し物は汚さないよう着替えてください」


「そうね。私も早く着替えて楽になりたいわ」


 聖女服はミリアのサイズに合わせて誂えられているのできつくはないが、どうにも窮屈に感じてしまう。ミリアはクローゼットを開き、ロザンナに持たされたドレスの中で最も楽そうな淡いグリーンのワンピースに着替えた。

 ロザンナはジルベスターと別れろと言う割にミリアをぞんざいに扱ったりはしない。彼女が神殿入りするために必要な日用品や着替えを揃え、手続きもしてくれた。 


 ミリアのために用意された部屋は、アイボリーを基調にした上品な部屋だった。調度品も派手さを抑えつつも高級感がある。白く塗装された丸テーブルで、ミリアとファイは向かい合って遅めの昼食を摂っていた。


「ミリア様、遅かったじゃないですか。聖得式が終わってずいぶん時間が経ちますけど」


 食べかけだったチキンサンドをほおばりながらファイが聞く。


「神官長に施設の案内してもらっていたのよ」


 ミリアも同じようにチキンサンドをほおばる。ファイは侍女ではあるが、時には友人のように接することもあり、仕事の日には一緒に昼食を摂る仲でもあった。


「神官長って、まさかエドワード殿下のことですか」


「殿下って……やっぱり王子様……」


 急に食欲が失せてしまい、ミリアは手にしていたチキンサンドを皿に戻した。


「ちょっとミリア様、そのくらいは常識ですよ。第三王子でいらっしゃいます。でも、何でエドワード殿下がミリア様の案内を?」


「仮だけど私の担当神官をしてくださることになって」


「あれ? 確か担当神官は不要だとロザンナ様が要請したはずですけど」


「そうみたいね。だけど担当神官は治癒を必要とする信者と聖女を繋ぐ役目を担っているから、まったく無しにする訳にはいかないらしいわ。だから『仮』っていうことで神官長が受け持ってくださることになったの」


「そういうことでしたか。ではパトリシア様を優先的に担当なさるんですね」


「パトリシア様って?」


「エドワード殿下が担当神官を務めていらっしゃる聖女様です。年齢十九歳の公爵令嬢です。保有する魔力量が膨大で、解毒ができる聖女様として有名なお方です。エドワード殿下と結婚するという噂がありますが、婚約には至っておりません」


「どうして婚約なさらないのかしら?」


「エドワード殿下が嫌がっていると耳にしておりますが、正確なところは調べがついてません。お調べしましょうか?」


「そこまではいらないわ。ただ、お二人がそういう仲だとしたら私って邪魔な存在でしょう? 敵視されるのも怖いなって」


「あー、話には聞いていますが……ブリジット様みたいなことになりかねませんね……」


「そうなのよ」


 ミリアも後で知ったことではあるが、ブリジットはジルベスターとの婚約が正式に調う前に、ジルベスターの庇護下にあったミリアを疎ましく思い、頭から水をかけ、金を渡して遠ざけようとしたことがあった。仮令エドワードとパトリシアが婚約関係になかったとしても恋愛感情は別である。再び同じような目に遭いたくはなかった。


「念のため研修期間中もなるべくミリア様をお一人にしないようにします」


「頼りにしてます」


「了解でーす」


 ミリアは紅茶で口を潤すと、皿に置いたチキンサンドをほおばる。それから話はミリアと一緒に聖得式を受けたキャロリーナへと移った。彼女は曾祖父の代で貴族入りした新興の男爵令嬢で、最近十八歳になったばかり。

 聖女は成人である十八歳以上でなければなれないため、治癒魔法を使える貴族女性は皆、十八歳になると先ずは社交界デビューをして、その後大神殿に入って聖女研修を受けるのが通例となっている。

 キャロリーナも通例に従い、社交界デビューを果たした後に聖女になったのだが、そこでマリウスと担当神官にする約束を交わし、聖得式で正式に指名をしたのではないかとファイの話だった。


 その他、筆頭聖女のレイラは侯爵夫人であるとか、人気の高い聖女は誰だとか、主要な聖女や神官の家名や爵位など様々な情報がファイの口から教えられた。しかしミリアにとってあまり重要だと思えないせいかなかなか頭に入っていかない。ただ、近づかないでおこうと思うだけだった。

 食事を終えて、ファイは食器を返却するついでに買い出しに行ってくると言う。


「いいですか? 知らない人が来たら、絶対に扉を開けてはいけませんよ」


「わかってるわよ。子供じゃないんだから」


「なるべく早く帰ってきますので」


「はいはい、行ってらっしゃい」


 まるで子供に留守番をさせる母親のようなことを言って、ファイは部屋を出ていった。買い出しと言っても必要なものは全て揃っている。情報収集と屋敷へ戻ってジルベスターへ報告をしに行くのであった。


 夕刻、ファイが戻ると「今晩手紙が届きます」と言った。その言葉の通り、夜になってミリアが一人で寛いでいると、訪いを告げる扉を叩く音が聞こえた。


「どちら様ですか」


「お嬢様にお手紙をお届けに参りました」


「お待ちください、今開けます」


 ゆっくり扉を開けると、ミリアは目の前に立つ人物に思わず破顔する。


「ジル!」


「お嬢様、お手紙をどうぞ」 


 ジルベスターを部屋へ招き入れると、彼は少しいたずらっぽく笑いながら敢えて恭しく手紙を差し出した。


「ありがとう」


 ミリアが手紙を受け取ると、ジルベスターは頬を指先でチョンチョンと触れてキスを催促する。「はい、ご褒美よ」と言いながらミリアはつま先立ちになって軽く唇を付けた。


 手紙の差出人はフェルナンドだった。それにしても返信が早い。馬車で往復十日はかかるところを、六日で返事が届いた。

 二人はソファに並んで座ると、ファイが眠れなくなるからと紅茶ではなくハーブティーの用意をしてくれた。ミリアが手紙を開封すると、ジルベスターが横からのぞき込む。内容は休暇の三カ月延長を許可するもので、是非にでも解呪を習得して、代理の治癒士を派遣してくれた実家の病院にその力を貸してあげて欲しいと綴られていた。


「フェルナンド医師の実家は確かアルツトーラ病院だったな。そこにも呪いを受けた患者がいるのか」


「そのようね」


 ジルベスターのために聖女になる覚悟をしたが、他にも解呪を習得する意味がある。この国で解呪ができる聖女は筆頭聖女のレイラしかおらず、彼女に解呪してもらうためには多額のお布施が必要となる。それが用意できないとなると――。ミリアの脳裏に、胸元に植物の根が蔓延ったような痣に侵されたミディアム卿の顔がよぎる。


「誰のことを考えている、妬いてしまうな」


「そんな、誰のことも――」


 考えていないわ、と言う前にジルベスターに唇を塞がれた。

ジルベスターがわざわざ手紙を届けに来たのは、当然ミリアに会いたかったのもあるが、急遽、仕事の都合で領地へ帰らなくてはいけなくなったことを伝えるためだった。


 フェルナンドへ返事の手紙を書くのならついでに届けてくれると言うので、ミリアは休暇の許可のお礼と、解呪を必ず習得してみせますと認め、ジルベスターへ預ける。彼はミリアとの短いひと時を過ごした後、またすぐに王都へ戻ると言って部屋を出ていくのであった。


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