第55話
ミリアは聖女服に着替えると、四枚の葉を付けた小枝のブローチを胸元に着けた。今日から本格的な聖女研修が始まる。彼女の目標はこのブローチに四つの宝石の花を取り付けること。最初に習得しなければならないのは外傷の治癒魔法で、宝石は青のサファイア、次に内部疾患の治癒魔法は赤のルビー、その次の解毒は緑のエメラルド、最後に残る解呪は黄色のトパーズである。
ミリアはすでに解毒の治癒魔法が使えるので、さっさと三色の花を咲かせて、すぐにでも解呪の習得に取り掛かりたいと思うのであった。
「ミリア様、お支度はできましたか」
「ええ、大丈夫よ」
「では参りましょう」
ミリアが教本と筆記用具を抱えたところでファイに声をかけられる。今から小会議室で講義が始まるのだが、移動の間に他の聖女や神官に接触しないためにも、ファイに認識阻害の闇魔法をかけてもらうつもりだ。部屋の外へ出て、扉を閉めるとファイが鍵をかける。その時偶然にも隣の部屋の扉が開いた。
「キャル、急いで。遅れるよ」
「待ってぇ、マリウスぅ」
マリウス神官に甘えるように腕に絡み付きながら出てきたのは、同じく聖女研修を受けるキャロリーナだった。
「あら、ごきげんよう、ポーンズさん……だったかしら? 貴女にはお迎えがいないのね。お気の毒様」
お気の毒と言いながら、キャロリーナはどこか勝ち誇った顔をしていた。
「ご機嫌麗しく存じます。レイビット様、コストナー神官」
「ミリア嬢、担当神官が神官長では何かと不便でしょう。よろしければ朝のお迎えはキャルのついでに僕がしましょうか」
キャルとはキャロリーナの愛称のようで、マリウスは優し気な垂れ目を細めて言うが、その腕はキャロリーナの腰を抱いていた。一見親切心から出たような言葉は社交辞令であるのが明らかだった。
「いえ、今のところ不便はないので――」
「やだぁ、マリウスってば。貴方は私だけの担当よ」
「おや、やきもちかな。僕のかわいいレディ」
「そんなんじゃないわ、他の聖女に目移りしないで」
「やっぱりやきもちだ」
「違うわよぅ」
目の前でどうでもいい会話で盛り上がっている二人は、ミリアたちのことは目に入らなくなったようで、背を向けて小会議室へと歩き出す。扉の近くに居たキャロリーナの侍女らしき女性が、「いってらっしゃいませ」と頭を下げて部屋の中へと戻っていった。
「ミリア様、肩を失礼します」
「よろしくね、ファイ」
ファイがミリアの左肩にそっと手を置くと、認識阻害の魔法がかかり、たちまち二人の存在感が薄くなる。
「遅くなってすみません」
「大丈夫よ。あれくらい、絡まれたうちに入らないわ」
小声で会話しながら、まるで恋人同士のようなキャロリーナとマリウスの後ろを少し離れて歩くのであった。
小会議室に到着すると「終わる頃にまたお迎えに上がります」と言ってファイとは別れた。ミリアが扉を開けると室内には楕円のテーブルに椅子が三脚、そして壁際には黒板が用意されている。黒板の前には、一人の黒い神官服を纏った高齢の男性が立っていた。すでにキャロリーナは着席していて、どうやらミリアが最後の様子だった。
「お待たせして申し訳ありません」
「ふぉっふぉっふぉ、定刻より早くお集まりですのでどうぞ気になさいますな。まあお掛けくだされ」
高齢の黒色神官に促され、ミリアはキャロリーナの向かいの席に座る。
「ではお揃いのところで自己紹介から始めましょうかの。私はパウエル・グラウヴァルド。宗教学の研究をしている傍ら、聖女研修の講師を務めております。古くからこの職に就いてましてな、大神殿に所属する聖女のほどんどは私の講義を受けておられます」
そう言って穏やかにほほ笑む高齢のパウエルは神官というより教授といった風貌で、片眼鏡と長いあごひげが特徴だった。
「私はレイビット男爵家の長女、キャロリーナです。魔力量は貴族の中でもさほど多くはないけど、必ずや解毒を習得して人気の聖女になってみせるわ」
マリウスの前で甘えていた表情と変わり、強い意志を滲ませてキャロリーナは言った。
「よい志ですな。過去に男爵家出身の聖女で解毒を習得されたお方がいらっしゃいます。キャロリーナ嬢もきっと習得できましょう」
「ミリア・ポーンズです。ヴェルサス領で治癒士として働いています。魔力量が多いことを見込まれてロザンナ・ヴェルサス前辺境伯夫人に後見人になっていただき、聖女になりました」
本当のところは解呪を習得するためなのだが、ジルベスターとの関係などを明かすつもりはないので、間違いのない範囲で自己紹介をする。
「治癒士……? 平民……?」
小さな声でキャロリーナが呟く。平民が聖女になれるとは思いもしなかったようで驚いたように目を見開いていた。
「稀ですが平民出身の聖女はおりますぞ、キャロリーナ嬢。それでも多くは庶子だったりと貴族の血を引く方々ですがな」
「レイビット男爵家も祖を辿れば平民ですもの。私は貴女が平民でも平気でしてよ。ところで、どちらの家名の庶子で?」
「あ、あの……父親がどういう人なのかは……」
ミリアの脳裏に一瞬トマソン・マイワール元伯爵の顔が浮ぶ。しかしミリアは彼が父親であると認めていないので言葉に詰まってしまう。
「ふうん? 庶子がいることを公にできないのかしら? まあ、これ以上の詮索はしないでおくわ」
「ありがとうございます。レイビット様」
「キャロリーナと呼ぶことを許してあげる」
「恐れ入ります、キャロリーナ様、私のことはミリアと」
「そう、ミリアね」
キャロリーナはマリウスに甘えている時と随分口調が変わっていた。ミリアに対してつんと顎を上げて高飛車な言葉使いをするが、印象よりも悪い人ではなさそうだとミリアは思った。




