第49話
翌朝、ミリアとジルベスターはブルックナー家へ向かう馬車の中に居た。
「本当にこの格好で大丈夫だろうか」
ジルベスターは少し心配そうに着ている服の袖を摘まんだ。
「ええ。だって、ドリトン先生と奥様を驚かせてしまうもの」
ジルベスターには平民の服を着てもらっているのだが、彼が仕立ての美しい貴族のスーツを着て出かけようとするのを、ミリアが全力で着替えさせた。
実は、ミリアはドリトンとタニアには『紹介したい人がいる』としか知らせていない。貴族のことが嫌いで憎んでいるはずのミリアが、『王族の血を引くヴェルサス辺境伯閣下を連れて行く』など馬鹿正直に手紙に書いてしまえばどう思うのか。
ミリアが先の戦争で軍医隊として従軍させられたことにいい顔をしていなかったし、魔力量の多いミリアが貴族に捕らわれたと思う可能性が非常に高い。
だからジルベスターが「訪問にあたり事前に手紙を出す」と言ったときは慌てた。平民の家に突如貴族から書状が届けばどれほど驚くか。ミリアは必死で止めて欲しいと説得したのであった。
それに貴族が訪問するとなれば、迎え入れる方は準備にどれだけの手間と時間とお金が必要になるか。食材からメニュー、テーブルセットや飾り付けまでかなりの負担を強いることは目に見えていた。それを考えると、ジルベスターには城下へ視察に行く時と同じような平民服を着てもらい、ドリトンとタニアの受ける衝撃を少しでも和らげる必要があった。
馬車がブルックナー家に到着すると、ドリトンとタニアが玄関先で二人を出迎えた。いくら平民の服を着ていても、溢れ出す高貴な雰囲気は隠しきれないようで、ドリトンとタニアはジルベスターの姿を見て固まってしまった。
「先生、奥様、ただいま帰りました」
「ミリア……こちらは?」
「紹介します。私がお付き合いをさせていただいている、ジルベスター・ヴェルサス辺境伯閣下です」
「辺境伯閣下⁉ もしや王族の⁉」
長年、貴族の屋敷で専属医師をしていたドリトンは、少しばかり貴族の事情に明るい。辺境伯という地位は代々王族の家系から輩出されることを知っていた。
「あなた、失礼ですよ」
「……ご無礼致しました。ようこそ、ヴェルサス辺境伯閣下。私共はミリアの親代わりをしておりますドリトン・ブルックナーと申します。こちらが妻のタニアです」
「ブルックナー夫妻の直々の出迎え、感謝する。確かに私は国王の甥にあたるが、王族籍から抜けている。気楽に接して欲しい」
「……」
「あなた、応接室へご案内しなくちゃ」
「そ、そうだな。応接室へご案内します。どうぞ、こちらへ」
「ありがとう」
ドリトンに促されて、家の中へ入っていくジルベスターの後ろ姿をミリアが見ていると、タニアがそっと近付き小声で囁いた。
「困ったわ。てっきり普通の男性を連れてくるかと思って、私たちの食べるような料理しか用意してないのよ。閣下のお口に合うかしら……」
「奥様、大丈夫です。閣下は私の手料理を食べてくださるし、露店料理とか好きで買ってくることもあるわ。庶民の風習にも理解があるお方なの」
「そうは言ってもねぇ……」
タニアは頬に手を当てて浅い溜め息を吐きながら家の中へと入っていった。
応接室ではブルックナー家のお手伝いが好奇心を隠せない目線を寄こしながら、紅茶を出す。ソファにはドリトンとタニアが固い顔をして並んで座り、その向かいに堂々としたジルベスターと、彼のことをどのように説明しようかと悩むミリアが座っていた。
ミリアはドリトンとタニアには、ジルベスターと契約結婚をしていたことや、一カ月間軟禁されていたこと、そしてヘンドリックスに襲われたことなど二人に心配されるような過去を何一つ打ち明けていない。ヴェルサス領へ行くきっかけとなったのも、ジルベスターに治癒士としての力を見込まれたからだと話している。
それらのことはジルベスターには予め伝えているが、二人が恋仲になった経緯や、結婚はしていないが一緒に住んでいることなど、どのように説明すればいいのか、そういうところの話のすり合わせはすっかり忘れていた。
「本日はわざわざお越し下さり、ありがとうございます」
緊張した表情で、ドリトンは深々と頭を下げた。それに合わせてタニアも頭を下げる。
「こちらこそ、忙しい中時間を作っていただき感謝する。これは我が領地で力を入れている工芸品だ。挨拶代わりとして受け取って欲しい」
ジルベスターは青い化粧箱をテーブルの上へ差し出す。これはミリアと一緒に選んだヴェルサス領特産のガラス細工で、前脚を上げた雄々しい馬の置物である。ミリアも昨日に買ったチェリーパイの入ったバスケットをタニアへ手渡した。
「大変素晴らしい品、有難く頂戴します。しかし、ミリアが紹介したい男性が居ると言うのでてっきり平民の男性を連れて来るかと思いきや……いやはや、まさか辺境伯閣下がお越しになるとは……」
「縁あってミリアとは結婚とは違う形で一緒になることになったが、一生を添い遂げたいと考えている。それにあたりミリアの親代わりの貴方方にお会いして、認めてもらい、今後は縁戚に近い付き合いをしていきたい。もし、援助が必要なことがあればいつでも相談にのろう」
「閣下と親しくさせていただくのは大変光栄ですが、今のところ閣下に頼らねばやっていけないことは何もございませんので……一つ確認させて下さい。ミリアを愛人として囲うということでしょうか」
「対外的にはそう見られても致し方ないと思っている。しかし、私たちはそう思っていない。身分のせいで結婚はできないが、将来にわたってミリアと共に歩んでいくつもりだ」
ジルベスターははっきりとそう言ったが、ドリトンとタニアは本当にそれでいいのかと心配そうにミリアを見た。
「私、今とても幸せなの。閣下は平民の私を尊重して、治癒士としての私を応援してくださっているわ。生活の様式も私に合わせてくださっているし、万が一、私に危険が及ばないように護衛を付けてくださっているの。おかげで貴族に怯えない生活ができているわ」
「そうか……確かに、貴族の庇護のもとにある方が安全ではあるな」
「ミリア、私たちはミリアが幸せならそれでいいのよ。ナタリアの分も幸せになってちょうだい」
「閣下、くれぐれもミリアを頼みます」
「幸せにすると約束する」
「先生、奥様、ありがとうございます」
人に頭を下げることのない立場のジルベスターが、ミリアと一緒に頭を下げる。その姿を見たドリトンとタニアは驚くのと同時に、孫娘のようにかわいがっているミリアが信頼できる相手と巡り会えたのだと安堵した。
そこへ扉を軽く叩く音が聞こえると、先ほど紅茶を出してくれたお手伝いが顔をのぞかせる。
「奥様、お食事のご用意が整いました」
「ちょうどいいわ、ありがとう。閣下、ささやかですが昼食を用意いたしました。お口に合えば宜しいのですが……」
「ご相伴にあずかろう」
場所を食堂へ移して昼食会となった。テーブルの上には新鮮な野菜と、身の柔らかい雌の若鶏を丸々使った料理が並ぶ。平民にとって卵を産む前の鶏は高級食材で、祝い事があるときに食する物だった。
「閣下、洋酒は嗜まれますかな」
「ええ、好きで晩酌に飲むことも」
ドリトンはここぞとばかりにとっておきの洋酒を出す。それからは話の弾む楽しい食事会となった。いかにも身分の高い人特有の口調であるジルベスターだが、受け答えは柔らかく、丁寧に接してくれたおかげで、ドリトンとタニアの緊張も徐々に解れていくのであった。
しかし緊張が解れすぎるのも問題で、幼いころのミリアが包帯にいたずらして絡まって身動きが取れなくなった話や、五歳までおねしょをしていた話を暴露されてしまい、非常にミリアを慌てさせた。




