第二話 「努力①」
第二話 努力①
この世界に来てから、二日が経った。
隼人は、まだこの世界のことをほとんど知らない。
なぜ自分がここに来たのか。
どうすれば元の世界へ帰れるのか。
何一つ分からなかった。
それでも、以前とは違った。
少なくとも今の隼人には、やるべきことがある。
――強くなること。
「隼人、起きてるか?」
朝早く、家の外から声が聞こえた。
「……はい!」
慌てて外へ出る。
そこには、腕を組んで立っている女性がいた。
「今日から訓練を始める」
「今日から……?」
「ああ。まずはこれに着替えろ」
女性は、隼人に服を投げ渡した。
「これは?」
「訓練用の服だ。今の格好じゃ動きにくいだろ」
隼人は自分の服を見る。
この世界に来てからずっと着ていたパジャマだった。
「……分かりました」
家の中へ戻り、服を着替える。
動きやすく、丈夫そうな服だった。
再び外へ出ると、女性が隼人を見て頷いた。
「よし。悪くない」
「あの……」
「なんだ?」
「まだ、あなたの名前を聞いてません」
「ああ、そうだったな」
女性は少し笑った。
「私の名前はローラだ」
「ローラ……」
「そして、お前の名前は?」
「俺は……隼人です」
「ハヤト?」
「はい」
ローラは少しだけ目を丸くした。
「珍しい名前だな」
「そうですか?」
「ああ。覚えやすくていい」
「……よろしくお願いします、ローラさん」
「さんはいらない。今日から私はお前の師匠だからな」
「師匠……」
隼人は、その言葉を小さく繰り返した。
昨日までの自分には、そんな存在はいなかった。
だから少しだけ、不思議な気持ちになった。
「じゃあ、始めるぞ」
「はい!」
ローラが木刀を一本、隼人へ渡す。
「まずは素振りだ」
「素振り?」
「剣を振るだけだ」
「それなら、簡単そうですね」
隼人が木刀を構える。
ローラは少し笑った。
「そう思うのは最初だけだ」
「……?」
「百回」
「百回!?」
「始め」
「はい!」
隼人は木刀を振り下ろした。
一回。
二回。
三回。
最初は何ともなかった。
「……十!」
順調だ。
「二十!」
まだ大丈夫。
「三十……」
少し腕が重くなってきた。
「三十一……三十二……」
肩が熱くなる。
「三十五……」
「フォームが崩れている」
「え?」
「剣を振ることだけを考えるな。身体全体を使え」
「はい!」
隼人は姿勢を直した。
「四十……四十一……」
腕がだんだん上がらなくなってくる。
「五十……!」
息が荒くなる。
「まだ半分だぞ」
「……分かってます!」
それでも続けた。
「六十……七十……」
汗が額から流れる。
「八十……!」
もう腕は限界に近かった。
「九十……九十一……」
「あと少しだ」
「九十九……!」
そして。
「百っ!」
隼人は木刀を下ろした。
「……はぁ……はぁ……」
その場にしゃがみ込む。
「素振りって……こんなに辛いんですか……?」
「今さら気づいたか」
「……」
「剣を振るだけに見えても、身体全体を使うからな」
ローラは淡々と答えた。
「これを毎日続ける」
「……毎日?」
「当然だ」
隼人は苦笑いした。
「……大変だな」
「嫌ならやめてもいいぞ」
その言葉に、隼人は首を横に振った。
「……やめたくないです」
隼人は木刀を握り直した。
「強くなりたいから」
ローラは何も言わなかった。
ただ、少しだけ嬉しそうに笑った。
次の訓練は、木を叩くことだった。
「この木を狙え」
「はい!」
隼人は木刀を構える。
「いきます!」
――ドンッ!
木刀が木に当たる。
「もう一度」
「はい!」
――ドンッ!
「もっと強く」
「はい!」
――ドンッ!
何度も繰り返す。手のひらが痛くなる。
腕も疲れてくる。 それでも隼人は続けた。
そして、少しの休憩を入れた後、ローラが木刀を構えた。
「私に向かって振ってこい」
「えっ?」
「遠慮するな。本気で来い」
「でも……」
「訓練だ」
「……分かりました!」
隼人は構える。そして全力で踏み込んだ。
「うおおおおっ!」
――ガンッ!
木刀がローラの木刀に弾かれた。
「……え?」
次の瞬間。隼人の身体がぐらりと揺れる。
「うわっ!」
ローラが軽く木刀を払う。
隼人の木刀は地面へ落ちた。
「……」
「……」
隼人は呆然とする。
「もう一回」
「はい!」
何度挑んでも同じだった。
攻撃する。
防がれる。
弾かれる。
転びそうになる。
その繰り返し。
結局、一度もローラに届かなかった。
「……ボロ負け」
隼人が呟く。
「そうだな」
「否定してくれないんですか?」
「事実だからな」
「……」
隼人は悔しそうに唇を噛んだ。
でも、不思議だった。
悔しい。
もっと上手くなりたい。
もっと強くなりたい。
――そんな気持ちが、久しぶりに生まれていた。
それから隼人は、休みの日でも身体を動かすようになった。
腕立て伏せ。
腹筋。
スクワット。
そして、村の外を走る。
「はぁ……はぁ……!」
最初は少し走っただけで息が上がった。
それでも止まらなかった。
昨日より今日。
今日より明日。
少しずつでも強くなる。
それが、今の隼人の目標だった。
しかし――。
夜になると、どうしても思い出してしまう。
学校。
裕太。
親の言葉。
そして、あの日の自分。
ベッドの中で、隼人は天井を見つめる。
「……」
静かな部屋。
誰もいない。
隼人は布団を握った。
「……俺、本当に帰れるのかな」
目から涙がこぼれる。
「……怖いな」
強くなりたい。
帰りたい。
でも、元の世界に戻るのも怖い。
そんな矛盾した気持ちを抱えながら、隼人は眠りについた。
数日後。
この日は訓練が休みだった。
だから、前にローラに教えてもらった果物を買いにいこうと思った。
村の市場へ向かう。
そこで隼人は驚いた。
「……すごい」
現代の店とは、まるで違う。
大きな建物の中に商品が並んでいるわけではない。
道の両側に、たくさんの屋台が並んでいる。
「野菜はいらんかね!」
「焼きたてだぞ!」
「新鮮な魚だ!」
村人たちの声が響いている。
まるで昔の市場のようだった。
歩いていると、道の端に小さなねずみがいた。
もう動いていない。
「……ねずみ」
隼人は少し驚いた。
この世界にも、ねずみはいるらしい。
「当たり前なのかもしれないけど……」
隼人はその場を離れ、果物を探した。
そして、一つの屋台で足を止める。
「あった。」
「グローフルーツだ」
グローフルーツとは、りんごによく似た赤い果物で、身体を成長させる効果がある。
隼人はグローフルーツを手に取った。
「これください」
そして、ローラからもらった少しのお金を店員に渡した。
「あいよ」
買ったグローフルーツを眺める。
「次から筋トレの後に食べよう」
店主に味を聞くと、
「甘くて酸っぱいぞ」
とのことだった。
「……楽しみだな」
隼人は果物を大事そうに抱え、家へ向かった。
帰り道。
村の中を歩いていると――。
「……あっ」
ドンッ。
「……!」
誰かと肩がぶつかった。
「す、すみません!」
隼人は反射的に頭を下げた。
「……大丈夫ですか?」
「ええ。こちらこそ――」
相手の女性が落としたものを拾う。
隼人も手伝おうとした。
そして、その女性が持っていたものに目が止まった。
「……本?」
それは一冊の小説だった。
「小説……?」
隼人は思わず呟く。
この世界にも、小説があるらしい。女性は本を胸元に抱え直した。
隼人は、その表紙をしばらく見つめていた。
この世界には、まだ自分の知らないものがたくさんある。
そう思った。
「……」
そして隼人は、もう一度だけ女性を見る。
――この人とは、また会うことになる。
そんな予感がした。
だが、このときの隼人はまだ知らなかった。
この何気ない出会いが、やがて自分の運命を大きく変えることを。
そして――。
この世界には、自分がまだ知らない秘密があることを。




