第三話 「努力②」
その女性を見た瞬間、隼人は一瞬だけ立ち止まった。
黒髪のボブ。
落ち着いた雰囲気。
どこか、現世で、付き合っていた女の子に似ていた。
「……」
隼人は、なぜかその女性から目を離せなかった。
「どうかしましたか?」
「あ……いや」
隼人は慌てて視線を逸らした。
「その本…」
「これ?」
女性が手に持っている本を見せる。
「……見せてもらってもいいですか?」
「…..うん。」
女性は本を隼人に渡した。
表紙を眺める。
そしてページを開いた瞬間――。
「……え?」
そこに書かれていた文字を見て、隼人は固まった。
「英語……?」
文章が、すべて英語で書かれている。
「これ、英語なの?」
「そうだけど……」
隼人はページをめくっていく。
見たことのある単語もある。
知っている文法も少しだけある。
だけど――。
「……全然分かんない」
「ふふっ」
「笑わないでくださいよ……」
「ごめんなさい。でも、珍しい反応だったから」
隼人はもう一度本を見る。
「単語はちょっと分かるんだけど……ほとんど内容が分からないや」
「英語、苦手?」
「まあ……」
隼人は苦笑いする。
女性は少し考えた。
「じゃあ、英語を教えてあげようか?」
「……え?」
「この本を読めるようになりたいんでしょう?」
「いいの?」
「もちろん」
隼人は少し迷った。
でも――。
「お願いします」
「うん」
女性は笑った。
「じゃあ、まずは自己紹介からだね」
女性は本を閉じる。
「私の名前は、エマ」
「エマ……」
「あなたは?」
「隼人です」
「ハヤト…珍しい名前だね」
「よく言われます。」
どうやらこの世界では隼人など、現世の日本で使われていた名前は珍しいらしい。
「よろしく、ハヤト」
「こちらこそ、よろしくお願いします。エマさん」
こうして隼人は、エマから英語を教えてもらうことになった。
二人は近くの店へ移動した。
木製のテーブルと椅子が並んでいる、小さな店だった。
隼人は椅子に座り、エマが隣に座る。
「じゃあ、この文章から」
「はい」
エマは本を開いた。
「ここは、こういう意味」
「なるほど……」
「この単語は?」
「えっと……確か……」
「惜しい」
「うわ、やっぱり違うか」
隼人は頭を抱える。
けれど、不思議と楽しかった。
「ここは過去形だから――」
「じゃあ、この場合は……」
「そう」
「……あ!」
隼人の表情が明るくなる。
「そういうことか!」
「分かった?」
「はい!」
エマは笑った。
「飲み込みが早いね」
「本当?」
「うん。ちゃんと理解しようとしてるから」
隼人はもう一度文章を見る。
少しずつ意味が分かってくる。
「ここは、こう言う意味だよね」
「すごい!あってるよ!」
「やったね!」
エマは自分の事のように喜んだ。
二人は顔を見合わせて笑った。
その瞬間。
隼人は久しぶりに、心から笑っている自分に気づいた。
その日から、隼人の日常は変わった。
普段はローラとの鍛錬。
休日はエマとの勉強。
そんな生活が始まった。
朝は六時に起きる。
「……眠い」
それでも布団から出る。
着替えて外へ出る。
「まずはランニングだ」
村の外を走る。
「はぁ……はぁ……!」
最初は辛かった。
何度も足を止めたくなった。
それでも走る。
走り終わったら家へ戻る。
汗を流すために風呂へ入る。
そして朝食。
「いただきます」
食事を終えると、すぐに訓練へ向かう。
「今日もやるぞ」
「はい!」
まずは素振り。
一回。
二回。
三回。
何十回、何百回と木刀を振る。
次は木を叩く。
「もっと腰を使え!」
「はい!」
――ドンッ!
「まだ弱い!」
「うおおおっ!」
――ドンッ!
そして最後は――。
「私と戦うぞ」
「お願いします!」
ローラとの対戦。
最初の頃は、一瞬で木刀を弾かれていた。
「くっ……!」
「遅い」
――カンッ!
「うわっ!」
木刀が飛ぶ。
「また負けた……」
「当然だ。まだ始めたばかりだからな」
「いつか勝ちます」
「その意気だ」
隼人は木刀を拾う。
そしてまた構える。
何度も。
何度でも。
昨日より強くなるために。
夜。
ベッドに横になる。
身体は疲れ切っている。
それでも、以前とは違った。
学校での日々を思い出すことはある。
辛くなることもある。
涙が出る夜もある。
だけど――。
「明日も、頑張ろう」
そう思えるようになった。
ローラとの鍛錬。
エマとの勉強。
そして、この世界での新しい生活。
少しずつ。
本当に少しずつ。
隼人は、この世界で生きることを覚えていった




