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【95】同志

 シャルロッテさまの薬膳料理は、わたしが知っている「料理」の輪郭を、鍋の湯気ごとずらしてしまった。


 夕食の膳に置かれたのは、薬膳粥だった。

 七種類の薬草を決まった順に鍋へ落とし、穀物と炊き合わせたもの。見た目は地味な白い粥だ。けれど匙を口に入れた瞬間、喉から胸へ、ぽっと火が移った。


 舌を焼く熱ではない。

 指先や膝の裏、肩甲骨の奥まで、旅で冷えたところを探して火を置いていく。強張っていた肩が一息にほどけ、肺の底まで空気が入った。


「これは——」


「薬膳の基本です。食べる人の体を診て、その人に合う薬草を選びます」


「わたしの体の状態を——診たのですか」


「顔を見れば、かなり分かります。目の下の隈、唇の色、爪の血色。旅の疲れで、血の巡りが滞っています。この粥は、巡りを助ける薬草を多めに入れてあります」


 わたしは、シャルロッテさまを見つめた。


 料理で、人の体を診る。

 食材の力を引き出し、舌だけではなく血や息にまで届かせる。エッセンスは、こんな方向にも伸びるのか。わたしの手元にはなかった発想だった。


「シャルロッテさま。あなたは、どこでエッセンスを学んだのですか」


 シャルロッテさまは、目元をやわらげた。


「独学です」


「独学——」


「わたしは、幼い頃、孤児でした。北の施設で育ちました。そこでは子供たちが厨房に立たされました。大人の分の食事を作れ、と」


 穏やかな声だった。けれど匙が器に触れる音の陰に、冷たい床の気配が混じる。


「冬に、妹のような子が熱を出しました。薬はありませんでした。わたしは——台所にある薬草を、粥に入れて、その子に食べさせました」


「それで——」


「粥が、光ったのです。金色に。その子は、翌朝、熱が下がりました」


 わたしは、息を呑んだ。


「それ以来、料理に薬草を入れることで、人を助けられるのだと知りました。修道院に引き取られてから、シスターたちに薬草の知識を教わり、料理と組み合わせる方法を、鍋の前で試してきました」


「シャルロッテさま。あなたは——」


「わたしは、エッセンスという名前を知りませんでした」


 シャルロッテさまが、わたしの目を見た。


「帝都で、あなたがエッセンスの研究をしている、という噂を聞いた時——初めて、自分のやっていることに、名前があると知ったのです」


 胸の奥が熱くなった。さっきの粥の温かさと混ざって、言葉がすぐには出てこない。


 シャルロッテさまも、名前を持たないまま鍋の前に立ってきたのだ。食材の力が光る瞬間を、誰にも教わらず、自分の手で掴んできた人。


 わたしが味から辿ったものを、シャルロッテさまは治癒から見つけていた。

 違う入口から、同じ火を見ていた。


「シャルロッテさま」


「シャルロッテで構いません」


「シャルロッテ。わたしは——あなたに会えて、本当に嬉しいです」


「わたしもです、リーゼ」


 シャルロッテが、わたしの手を握った。指の腹は薬草仕事でかさつき、関節のあたりに小さな傷がある。それでも掌は、まっすぐ温かかった。


「同志、ですね」


「はい。同志です」



 * * *



 翌日から、シャルロッテとの共同作業が始まった。


 日の高いうちは薬草園で薬草の種類と効能を学び、厨房に戻ると、二人で薬膳粥を作った。


 シャルロッテの薬膳は、七段階の温度管理が鍵だった。鍋肌に小さな泡がつくところで一束、湯気が太くなるところで次の葉、沸き立つ寸前で根。薬草によって、有効成分がほどける温度が違う。冷水から香りを出すものもあれば、煮立てて初めて効くものもある。七種類の薬草を、それぞれの適温で、手順を崩さず加えていく。


「この順序を間違えると、薬効が打ち消し合います」


「前世で言う、配合禁忌に近いですね」


「はい?」


「あ——別の世界の知識です。薬は、組み合わせで効き目が消えることがあるんです」


「なるほど。わたしたちの言葉では……『薬草の喧嘩』と呼んでいます」


 わたしは吹き出した。シャルロッテも釣られて、肩を揺らす。


 違う名をつけて、同じ鍋を覗いている。湯気の向こうで、それが妙に嬉しかった。



 * * *



 三日目の夕方、シャルロッテがわたしを、修道院の奥の部屋に案内した。


 そこには、年老いた修道女がベッドに横たわっていた。


「エルフリーデさまです。修道院の最長老。百歳を超えておられます」


 エルフリーデさまは、目を閉じて呼吸していた。白い髪が枕に散り、頬は透けるほど薄い。胸だけが、布団の下でかすかに上下している。


「エルフリーデさまは——百年前のシスター・マリアの弟子です」


「シスター・マリア……」


「マリアは、この修道院で、百年前、薬膳料理の基礎を作った人です」


 心臓が、肋骨の内側を叩いた。


 百年前。エルヴィンが、最後に辿り着いた場所。


「シャルロッテ。マリアとエルヴィンは——」


「分かりません。エルフリーデさまだけが、その記憶を持っているかもしれません。でも——」


 シャルロッテが、声を低くした。


「エルフリーデさまの意識は、最近、不安定です。目を開けてもすぐ疲れてしまう。話せるのは、一日に数分です」


「リーゼ。お粥を作ってくれませんか。エルフリーデさまのための、特別な薬膳粥を」


「わたしが——」


「わたし一人の薬膳では、エルフリーデさまの体を支えきれなくなってきています。あなたのエッセンスの力を、借りたいのです」


 わたしは、深く頷いた。


「作ります。シャルロッテの薬草と、わたしのエッセンスで」



 * * *



 その夜、わたしとシャルロッテは、修道院の厨房で、薬膳粥を作った。


 シャルロッテは薬草を刻み、香りを確かめて鍋へ入れる。わたしは米を崩さないよう火を見た。湯気の中で、二人のエッセンスが寄り合い、一つの粥になっていく。


 完成した粥を、エルフリーデさまの枕元に運んだ。


 シャルロッテが、匙で一口ずつ、エルフリーデさまの口に運ぶ。


 エルフリーデさまは、目を開けた。


 灰色に霞んだ瞳だった。それでも奥に、細い火のような意識が残っている。


「……この粥」


 かすれた声。


「マリアの粥に……似ている」


 わたしは、息を呑んだ。


「マリアは……エルヴィンの……」


 エルフリーデさまの視線が、わたしに止まった。


「銀の髪……紫の目……エルヴィンが言っていた……」


「エルフリーデさま——」


「マリアは、エルヴィンの……」


 エルフリーデさまの瞼が閉じていく。


「……恋人だった」


 言葉を置いたまま、眠りに戻った。


 部屋の空気が止まった。蝋燭の芯が、小さく爆ぜる。


 ネルが、わたしの肩で、固く目を閉じていた。


「……恋人」


 ネルの声は、喉を擦って出た。


「あの男は——最後の場所で——恋人のもとに——」


 ネルの翡翠の目から、光の粒がこぼれた。


 修道院の窓の外で、北の海が、暗く光っていた。

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