表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/188

【80】草原の宴

 草原の宴は満月の夜にひらかれる。ユーリアがそう教えてくれた。


 ユーリア族にとって、夏いちばんの祭りだ。

 羊を丸ごと火にかける。

 馬乳酒の樽を抜く。

 族の女たちはみな家の味を盆や鍋に盛って運び、男たちは馬の競走に出る。


 その宴に、わたしも帝都の料理を持っていくことになった。


 言い出したのは、ユーリアだった。


「リーゼ。お前の世界の料理を、族の皆に披露しろ」


「いいんですか?」


「我らの料理だけでは、舌が寝る。新しい風が入った方が、宴は面白い」


 ユーリアが片頬を上げた。


「お前さんの馬乳酒のお粥を、皆で食べたい、と女たちが言うとる」


 わたしは、胸の前で手を握った。



 * * *



 宴の前日、わたしは鍋と籠を並べて、仕込みにかかった。


 大鍋には、馬乳酒のリゾット風お粥。

 ユーリアとボガートに出した、あの一皿だ。族の女性たちも欲しがっていたから、大鍋いっぱいに仕込む。


 リヒト粒は塩で握る。

 帝都のおにぎりだ。中には、草原のハーブをすり潰した味噌風のペーストを詰める。草原の食材で、帝都の形を作る。


 スープには、ユーリア族の乾燥チーズと、帝都の海藻。

 草原と海の旨味を、同じ椀の中で合わせる。


 甘味は——アリアの出番だった。


「アリア」


「はい!」


「明日の宴で、デザートをお願いしたい」


「わたしが、ですか?」


「ユーリア族の女性たちにも、喜んでもらえるものを作って」


「リーゼさま、わたし、まだデザートは——」


「アリアならできる。馬乳酒を使った、ヨーグルト風のデザート。どう?」


「馬乳酒を、デザートに……」


 アリアの目に、ぱっと火が入った。


「やってみたいです!」


「失敗してもいい。アリアの舌と手で、作ってみて」


「はい!」


 わたしは、アリアの肩を軽く叩いた。


 弟子が、自分の料理を探しはじめている。

 仕込み場の火より、その横顔の方がまぶしかった。



 * * *



 満月の夜。


 草原の中央広場は、篝火で赤く照らされていた。

 何十もの炎が風にあおられ、火の粉が夜へ散る。

 串に刺された羊が脂を落とし、炎がじゅっと舌を伸ばす。

 女たちは布に包んだ皿や大鍋を運び、男たちは馬乳酒の樽栓を抜いていた。


 子供たちは足音まで弾ませ、笑いながら人の間を駆け抜けていく。


 わたしは長い木のテーブルに、自分の料理を並べた。


 大鍋の馬乳酒のお粥。

 籠いっぱいのおにぎり。

 湯気を立てる、海と草原のスープ。


 そして——アリアのデザート。


 アリアは最後の仕上げに夢中だった。

 白いヨーグルト風のベースへ、草原の蜂蜜を糸のように垂らす。

 その上にベリーを置き、刻んだナッツを指先で散らした。


「リーゼさま、見てください!」


 アリアが皿を両手で差し出した。顔が、篝火より明るい。


 わたしは皿を見て、一瞬、息を止めた。


 白い面に、紫、赤、茶色が浮かぶ。

 夜の草原で見上げた星空が、そのまま皿の上へ降りてきたみたいだった。


「アリア、すごい!」


「えへへ」


「これ、自分で考えたの?」


「はい! 夜の草原の空が、すごく綺麗で——あれをデザートにできないかなって」


 わたしはアリアの頭を撫でた。


 皿の上に景色を作る。

 アリアの中で、料理人の芽が確かに動き出していた。



 * * *



 宴が始まった。


 ユーリアが中央の岩へ上がる。

 手には、馬乳酒を満たした銀の杯。


「夏の満月の夜」


 ユーリアの声が、草の上をまっすぐ渡った。


「我らの族は、今年もここに集まった。馬は健康。子供は育ち。乳は潤う」


 族員たちが、銀の杯を掲げる。


「今宵、客人を迎える」


 ユーリアの目が、わたしへ向いた。


「異邦の料理人、リーゼ。彼女は、我らの料理を本に書き残してくれる、と約束した」


 視線が一斉に集まり、頬に熱が差した。


「彼女は、外人だ」


 ユーリアが言い切る。


「だが、我らの族の知恵を敬う心を持っとる。先生の後継者だ」


「先生——」


 古い族員たちが、ざわめいた。


 バルダックさまが、うなずく。


「百年前の先生だ。バルダックさまも認めとる」


 古い族員たちの顔が、バルダックさまへ向いた。

 バルダックさまは目を閉じ、もう一度、首を縦に振った。


 ざわめきが火の音へ沈んでいく。


「リーゼも、料理を作って持ってきた」


 ユーリアが、わたしのテーブルを指した。


「皆、彼女の料理を食べろ。そして、感想をリーゼに教えろ。それが客人への礼だ」


 族員たちがうなずいた。


 ユーリアが銀の杯を高く掲げる。


「乾杯!」


「乾杯!」


 篝火が揺れた。

 馬乳酒が杯へ注がれる。

 宴の音が、一気にふくらんだ。



 * * *



 族員たちが、わたしの料理へ手を伸ばした。


 最初にお粥を口にした年配の女性が、匙を止める。

 しわの深い頬に、涙がひとつ落ちた。


「これは——わたしの母さんの味だ」


 女性は手の甲で目元を拭った。


「母さんは二十年前に死んだ。馬乳酒で、お粥をよく作ってくれた。忘れとった、その味を」


 別の女性が、おにぎりを噛みしめてうなずく。


「米と塩とハーブ。飾らんのに、深いな」


「アロル(乾燥チーズ)と海藻のスープ——」


 ある男が、椀を覗き込んだ。


「我らのチーズが、海の物とこんなに合うとは知らなんだ」


 子供たちは、アリアのデザートの前で足を止め、声を上げた。


「綺麗!」


「夜の空、みたい!」


「食べていいの?」


 アリアが顔を輝かせ、子供たちにデザートを配っていく。


 子供たちは一口頬張り、そろって目を丸くした。


「美味しい!」


「もう一個!」


「お母さんに、これ、教えて!」


 アリアの目に涙が滲む。

 わたしも唇を噛んだ。


 弟子の料理で、人が笑っている。

 その横顔を見ていたら、喉の奥に熱いものがせり上がった。



 * * *



 ユーリアが、わたしの隣に腰を下ろした。


 馬乳酒の銀の杯を、こちらへ差し出す。


「リーゼ。我らの族の最高の馬乳酒だ。飲め」


「ありがとうございます」


 わたしは銀の杯を口へ運んだ。


 馬乳酒は、舌の上でほどける味だった。

 乳の甘みが先に来る。

 そこへ乳酸の爽やかな酸味が走り、アルコールの熱が喉を撫でた。

 飲み込んだあと、深いコクが鍋底から湧くように残った。


 小さな職人たちが、舌の上で桶を叩き、火を起こし、味を組み上げていくみたいだった。


「ユーリア」


「ん?」


「美味しいです」


「ふん。当たり前だ」


 ユーリアが、鼻で笑った。


「リーゼ」


「はい」


「お前さんに聞きたいことがある」


「何でしょう」


「お前さんが料理人として目指すものは、何だ」


 わたしは息を吸い、杯の縁を親指でなぞった。


「すべての人が、毎日、美味しくご飯を食べられる世界です」


「すべての人——」


「魔力があっても、なくても。貴族の食卓だけが温かくて、平民の鍋が冷めているのは嫌です。男でも、女でも、子供でも、老人でも、自分の食卓で、自分の料理を作って笑える世界。それが、わたしの目指す世界です」


 ユーリアは銀の杯を置いた。


「壮大だな」


「壮大すぎますか」


「いや」


 ユーリアは首を振る。


「いい目標だ。だが——」


 その目が、わたしをまっすぐ射た。


「お前さん、自分の身が危なくなるぞ」


「え?」


「全員に料理を行き渡らせる、というのはな。今の力の並びを揺らすことだ。貴族だけがいい料理を食う、その特権に手をかけることになる」


 ユーリアの声が低くなる。


「お前さんは、今の権力者から敵視される。すでにされ始めとる、とわしは感じる」


 わたしは息を呑んだ。


「ユーリアさま、何かご存知ですか」


「使い魔——ネル」


「うむ」


「お前たちの後を追ってきとる影がある。我らの族の北の偵察隊が報告しとる」


 ネルが目を細めた。


「やはり、追跡されとるか」


「赤い蝋印章をつけた男たち。三人。馬で、お前たちを追っとる」


 ボガートが近づいてきた。

 篝火の影で、彼の険しい顔がさらに濃く見えた。


「姉さん。明日、リーゼの一行を北へ案内する。早めに出発した方がいい。追っ手を引き離すために」


「ボガート」


「明朝、五時、出発でどうだ」


 わたしはボガートを見た。


「ボガートさん、わたしたちのために、そんな——」


「気にするな」


 ボガートが短く言った。


「お前は、姉さんの同志だ。姉さんの同志は、わしの客人でもある」


 わたしは頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ふん」


 ボガートは馬乳酒の杯を掲げた。


「リーゼ。お前さんの料理は美味かった」


「ありがとうございます」


「次に来る時、もう一度作ってくれ」


「必ず」


 わたしは、ボガートの銀の杯に自分の杯を合わせた。


 満月の下で、銀が澄んだ音を立てる。

 帝都の料理人と、草原の有力者の杯だった。



 * * *



 宴がほどけはじめた頃、ユーリアが革袋を持ってきた。


 中には、馬乳酒の菌の株。

 チーズの乾燥した株。

 二種類の発酵の母種。


「これを、お前さんに」


「ユーリア——」


「これさえあれば、お前さんは帝都で馬乳酒もチーズも作れる。我らの族の味を再現できる」


 わたしは両手で革袋を受け取った。


「大切にします」


「ふん」


 ユーリアが、わたしの肩に手を置いた。


「いつか、戻ってこい」


「はい」


「我らの族は、お前さんを待っとる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ