【44】味噌、仕込みました
おにぎり作戦、一日目。
まずは味噌の仕込みから始める。
この世界にも大豆に似た豆がある。「ゾンネ豆」と呼ばれる黄色い豆で、主に家畜の飼料として使われている。人間が食べることはほとんどない。
でも、前世の知識がある。
大豆を発酵させれば味噌になる。味噌は旨味の宝庫だ。
「まず、ゾンネ豆を一晩水に浸して、柔らかくなるまで煮ます」
ソフィアさまが横でメモを取っている。魔術学院の成績首席は、料理の記録にも手を抜かない。
「次に必要なのは、麹菌に相当する発酵微生物です。前世では米麹を使いましたが、この世界には米麹がないので……代わりに、これを使います」
わたしが取り出したのは、薬草園の隅で見つけたカビの生えた穀物だった。
「……カビ?」
「はい。このカビは、前世のアスペルギルス・オリゼ——麹菌に近い種類だと思います。デンプンを糖に分解する酵素を産生する特性があるので」
「カビで料理を作るの?」
ミーナが引いている。
「発酵食品はみんなカビや細菌の力を借りてるんだよ。チーズも、ワインも、ビールも」
「え、ビールもカビなの!?」
「ビールは酵母だけど——まぁ、似たようなものです」
ソフィアさまは学術的興味で目を輝かせ、ミーナは恐怖で目を見開いている。反応が真逆だ。
煮た豆を潰し、カビを混ぜ合わせた種麹と塩を加えて練り上げる。
それを陶器の壺に詰め込み、表面を塩で覆って密封する。
「これを三週間、温かい場所で寝かせます」
「三週間も?」
「発酵には時間がかかるんです。微生物が豆のタンパク質を分解して、アミノ酸——旨味の元に変えてくれます」
壺を厨房の暖かい棚に置いた。
あとは時間が解決してくれる。
* * *
並行して、リヒト粒の炊飯実験。
港町から取り寄せたリヒト粒は、前世の米より少し細長いが、形も大きさもほぼ同じだ。
問題は水加減と火加減。
前世の日本米なら、米の1.2倍の水で、強火→弱火→蒸らしという三段階で炊く。
でも、リヒト粒は品種が違う。デンプンの質も、吸水率も、糊化温度も異なるはずだ。
だから、実験する。
一回目:水を米の1.2倍。結果——パサパサ。水が足りない。
二回目:水を米の1.5倍。結果——べちゃべちゃ。水が多すぎる。
三回目:水を米の1.35倍。結果——少し硬いが、悪くない。
四回目:水を米の1.4倍、浸水時間を三十分追加。結果——
「……!」
蓋を開けた瞬間、湯気がふわっと立ち上った。
つやつやと輝く白い粒。ふっくらとして、適度な粘りがあり、一粒一粒が立っている。
前世の、炊きたてのご飯だ。
思わず、涙が出そうになった。
「リーゼ? 泣いてる?」
「泣いてない。嬉しいだけ」
一口、食べた。
甘い。
噛むほどに、ほのかな甘味と旨味が口の中に広がる。
前世の白米と同じだ。いや——旨味成分が多い分、前世の米より美味しいかもしれない。
「ちょっと味見させて?」
ソフィアさまがスプーンで一口すくって食べた。
「…………」
固まった。
「ソフィアさま?」
「何これ……この穀物、こんなに美味しかったの……?」
「炊き方次第で、全く別物になるんです」
ソフィアさまは無言でもう一口。もう一口。もう一口。
「止まらないんですけど」
「それが白米の魔力です」
魔力ゼロのわたしが言っても説得力がないけれど。
* * *
おにぎり作戦、二十一日目。
味噌が完成した。
壺の蓋を開けた瞬間、厨房に芳醇な香りが広がった。
濃い茶色のペースト。複雑で深い香り。
味見をする。
——完璧だ。
塩気、甘味、旨味のバランスが絶妙。
前世の信州味噌に近い味わいだけれど、ゾンネ豆特有のコクが加わって、より深みがある。
「これが……味噌」
ソフィアさまが、スプーンの先を舐めて目を見開いた。
「旨味の塊だわ。グルタミン酸がこれほどの濃度で……すごい。発酵の力って、すごい」
学者モードのソフィアさまは、味噌の成分分析に夢中だ。
ミーナは味噌をパンに塗って食べて「しょっぱいけど美味しい!」と叫んでいる。
食べ方が自由すぎるけれど、まぁ、間違いではない。
ネルは味噌を舐めて「ふん。悪くない」と言った。
ネルの「悪くない」は最高の褒め言葉だ。
「よし。材料は揃った」
リヒト粒。味噌。海藻の佃煮。塩。
あとは——殿下に出す日を決めるだけ。
「いつにする?」
「殿下が一番リラックスしている時がいい。データによると……」
手帖をめくる。
「来週の日曜日。授業も公務もない、殿下の唯一の休日です」
「場所は?」
「殿下の私室ではなく……できれば、屋外がいい。開放的な場所の方が、殿下の緊張が解ける」
「学院の裏庭に、見晴らしの良い丘があるわ」
ソフィアさまが提案してくれた。
「完璧です。日曜日の昼。裏庭の丘で、殿下に——最高のおにぎりと味噌汁を出します」
わたしは手帖を閉じて、拳を握った。
ネルが窓辺で欠伸をしながら言った。
「デートだな」
「デートじゃないよ! 味覚実験だよ!」
「はいはい」
三人(と一匹)の声が揃った。
……わたしの味方って、こういう時だけ足並み揃えるのやめてほしい。




