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【297】裁き

 議場の扉が閉まると、ルートヴィヒの名が呼ばれた。


 議場は硬かった。古い机に爪が当たる音、法服が膝に擦れる音、石床から上がる冷え。傍聴席に腰を下ろした途端、膝の上で組んだ指がこわばった。厨房なら火を足せばいい。ここでは誰も薪をくべない。


 裁く席にはカイゼル。検察側の報告はソフィアさまが読む。澄んだ声なのに、紙から出てくるのは苦いものばかりだった。砂糖をかぶせる余地のない薬だ。


 学院の生徒が数人、傍聴席の端にいた。外套も襟もきちんとしているのに、袖口から出た手には包丁だこが残っている。台所を離れても、手は嘘をつかない。


 街道を塞いだ馬車、学院を囲んだ人数、武器を買うために動いた銀貨。旧魔術院の連絡網で、誰へ何を流したか。ソフィアさまが一枚めくるたび、木の机の上に代価が積まれていく。


 反乱罪に該当する。終身監禁もあり得る、と書記官が低く読み添えた。包囲を見た身には軽い話ではない。けれど、斬って終わる鍋でもなかった。灰汁を取っただけで澄むなら、厨房はもっと楽だ。


 ルートヴィヒは立ったまま聞いていた。杖はない。七十二歳の老人が、膝の震えを背筋で押し殺している。横顔は紙みたいに薄いのに、口元だけは崩れなかった。


 後ろに立つ学者は二人だけ。かつて彼に従っていた者たちだ。紙束を抱え、半歩下がり、助命も弁明もしない。支えるでも逃げるでもない。ただ証人としてそこにいる。その距離の取り方が、いかにも学者らしくて腹立たしい。


 傍聴席の後ろでは、旧魔術院系の議員たちが視線を伏せていた。誰も口を開かない。切り捨てる時の沈黙だ。煮込みが失敗した瞬間に、鍋ごと見なかったことにするみたいで嫌だ。


 カイゼルが判決を告げた。立ち姿に迷いがない。刃を振るう人間の静けさだ。


「ルートヴィヒ・フォン・アルトシュタット。反乱の罪により——」


 議場が止まる。誰かの羽ペンが紙に刺さったまま、動かなくなった。


「——五年の公職追放。帝都への居住制限。ただし——」


 短い間が落ちた。議員たちの喉が一斉に鳴るには十分だった。


「エッセンス学院の安全管理顧問として、月に一度の助言を許可する。月一度だ。知識は国の財産だ。腐らせる気はない」


 議場がざわめいた。椅子が鳴り、小声が飛ぶ。反乱者に顧問職を与える判決など前例がない。ソフィアさまの睫毛が一度だけ動いた。驚いたのだろうが、表情までは崩さない。


 カイゼルはざわめきを待たなかった。机を軽く叩き、次の議題へ移る声を出す。判決は出した。後は働け。そう言っているのと同じだ。感傷へ付き合う気がない。


 その一打で、ようやく人が息を吐いた。不満も安堵も、椅子の軋みも混じる。旧魔術院側は助かった顔をしきれず、改革派は怒りきれない。軽すぎる、と誰かの眉が言う。では知識の穴は誰が埋めるのか、と別の顔が黙る。誰も喉の奥で噛んだまま、次の書類へ目を落とした。


 ルートヴィヒの顔が、その時だけ崩れた。目の縁が赤くなり、唇が開く。声を探して、見つからず、次の瞬間には元の老人へ戻った。


「——拝命いたします」


 掠れていた。頭は深く下げなかった。下げたら立っていられなくなるのかもしれない。


 判決文が書記に渡され、砂が振られ、印章が押される。乾いた事務の音が続く。人の一生を決める場なのに、最後は紙の端を揃える手順へ戻る。


 廊下へ出た途端、冷えた空気が肺に刺さった。紙埃と封蝋の匂いが混じる。中庭に面した窓枠では、枝の先で残った葉がかさりと鳴った。


 ソフィアさまが追いついてきた。歩幅は優雅なのに速い。


「陛下の判決。……リーゼさんが口添えを?」


「していません」


「本当に?」


「していません。カイゼルが自分で決めました」


「……相変わらず、読めない方ですね」


「読めないです。でも、間違った判決ではないと思います」


 ルートヴィヒの知識は本物だ。敵だから捨てるには高すぎる。学院の防壁一枚、警備の配置一つ、失敗例を知る人間に払わせた方が安い。カイゼルは許したのではない。使うと決めた。腹が立つほど高くつく老人を、今度はこちらの勘定に入れたのだ。


 廊下の先で、当のカイゼルが書記官へ短く指示していた。顔色一つ変えない。判決の余韻を味わう気など毛ほどもないらしい。


「陛下」


 声をかけると、こちらを見た。目だけで、少し待てと言う。


「後で。半刻だ」


 それだけ言って、また次の書類へ手を伸ばす。


 廊下の隅で、書記が判決文の写しを束ねる紐を引き絞った。きし、と乾いた音がして、紙束の角が揃った。


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