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288/330

【288】包囲

 窓の結露を袖でこすったら、灰色の外に人影が浮いた。


 袖口がすぐ濡れた。石畳にも、夜の水気がまだ光っている。兵舎の門、井戸、搬入口。いつもと同じ場所に、暗い外套の者たちが立っていた。三十、いや、奥の角にもいるからもう少しいる。軍服ではない。武器も見せていない。けれど踵の置き方と、こちらを見ないふりで視線だけ動かすところが、鍋を洗う手ではなかった。


 内側にいるフィンの護衛は六人。槍はある。あるが、門と井戸と厨房口を全部見るには足りない。


「先生」


 エルマの鼻先が硝子につきそうになっていた。アリアも、トーマスも、その後ろで固まっている。竈の前に誰もいない。薪束だけが床で湿った匂いを出していた。


「窓から離れて」


「でも、あれ、門のところ――」


「見物料は出ません。米櫃を開けて。今日は粥。水は多め、火は細く」


 返事はばらばらだった。桶を持った子が取っ手を落とし、銅の縁が床で跳ねた。誰かが息を呑む。わたしは拾わない。拾わせる。


「手を空けない。外を見るなら、米を研ぎながらにして」


 冷たい水へ米を入れると、指の股がすぐに白く濁った。アリアは唇を噛んだまま研いでいる。米粒が二つ、桶の外へ飛んだ。トーマスが黙ってつまみ、鍋へ戻す。笑う者はいない。薪は一度くすぶり、煙が低く這って、年少の生徒が咳き込んだ。


「煙突の弁。半分開いています」


「……すみません」


「謝罪はあと。目が痛いなら玉葱を刻むよりましです」


 そこでやっと、ひとりだけ変な声で笑った。すぐ消えたが、それでいい。火打ち石を打つ手が戻った。ぱち、と乾いた音がして、湿った薪の端が赤くなった。


 フィンが来た。金具の鳴り方が短い。走ってきたのを、扉の前で止めた足音だ。


「リーゼさま。外の者は旧魔術院の元門下生です。名乗っただけで二十七。後ろにまだ控えています」


「刃物は」


「表には。外套の内側までは確認できません」


「要求は」


「学院の封鎖。講義停止。厨房の実習も含む、と。書面は出していません。こちらが押し返せば、先に手を出したと議会で騒げます」


「搬入は」


「北門で荷馬車を止められました。粉、卵、干し肉の小樽。代金は支払い済みです。商人は荷を戻すと言っていますが、馬を近づけられません」


 痛いところを突いてくる。鍋を割らず、火も消さず、材料だけを腐らせる。卵は長く待たない。干し肉の樽も、外で奪われれば買い直しだ。銀貨が飛ぶ。


 鍋の蓋をずらした。湯気が頬に当たり、米の甘い匂いが立つ。底はまだ焦げていない。


「カイゼル陛下へ。学院は閉じません。米は粥で伸ばします。畑の蕪と青菜を先に使う。井戸もあります。薪は湿っていますが燃やせます」


「陛下には排除命令を進言します。ただ、議会の承認が要ります。早くて三日」


 三日。


 米櫃は半分より上。干し豆は硬いが戻せば腹に溜まる。パンは焼きたいが、粉を惜しむなら粥の方が長い。塩を濃くすると水を食う。子どもが走れば腹が減る。授業は、座学を混ぜる。


「三日なら持たせます。卵は惜しいですね」


「……卵ですか」


「卵です。割られる前に回収したい。けれど人を出して怪我をしたら高くつきます。フィンさん、荷馬車の商人へ、待機料を払うと伝えてください。日陰に移せるなら卵だけでも」


「承知しました」


 フィンが出ていくと、外で誰かが短く笛を吹いた。合図か、ただの嫌がらせか。エルマの肩が上がったので、杓子を渡す。


「混ぜて。底から」


「はい。あ、熱っ」


「熱いものです」


 粥はゆるく炊けた。刻んだ葱は青いところだけにした。白いところは昼へ回す。塩はいつもより指ひとつ少ない。薄い。だが器を渡すと、生徒たちは両手で包んだ。赤くなった指に湯気が絡む。


 外套の者たちはまだ立っている。こちらは二十九人の生徒が椀を持っている。教える側も食べる。見張りもあとで食べさせる。守る人間に空腹で槍を持たせるほど、安い節約はない。


 匙が木の器に当たる。窓の向こうで靴底が石を擦った。誰かが門の金具をわざと鳴らし、年少の子が振り返りかける。


「食べて」


 短く言うと、首が戻った。


 粥は薄い。米粒はやわらかくほどけて、喉を通ると腹の底だけ温まる。味が足りない分、葱の青臭さが立った。アリアは器の縁についた一粒まで匙で追い、トーマスは二杯目を欲しそうに鍋を見て、何も言わなかった。


「欲しいなら言いなさい。働く分は出します」


「……薪割り、昼もやります」


「なら半椀」


 よそってやると、他の子の目が動いた。


「全員に足す余裕はありません。力仕事の分です。畑を掘る子にも出します。食べたら働く。働けない子は休む。嘘をついた子は、わたしが分かります」


 不満は出なかった。出す喉が、粥でふさがっていたのかもしれない。


 エルマが空になった器を抱えて、眉を寄せた。


「先生、次は蕪ですか」


「皮は捨てないで。葉も刻む。泥はよく落として」


「はい」


 桶に水が注がれ、木の器が重なった。外でまた笛が鳴る。わたしは窓を見ずに、濁った水を替えさせた。


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