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281/330

【281】畑

 鍬を入れるたび、ごり、と嫌な手応えがあった。


 中庭の雑草を抜いた跡は、まだ畑の顔をしてくれない。一か月かけても、鍬の先には石が残る。古布を腰に巻いた生徒たちは朝からしゃがみ込み、根を引き、掘り返した土から白い根を見つけて舌打ちする。手のひらの豆は潰れ、爪の間の黒土は井戸水でこすっても取れない。台所の煤よりしつこい。


 最初の頃は、腰だの靴の中の土だの、鍬が重いだの、あちこちから声が飛んだ。分かる。わたしだって泥を膝までつけて喜ぶ性格ではない。けれど、昨日自分が水を運んだ場所から芽が出ると、文句の声が半分になる。抜く指と、残す指が分かれてくる。


 今は畝の輪郭がどうにか見える。蕪の列だけは早く揃った。人参は頼りなく、豆の支柱は斜めで、葉物は虫に先を齧られた。香草は踏まれると匂いだけは一人前に立つ。井戸の近くには湿り気を欲しがるものを寄せ、石壁際には日陰に強いものを押し込んだ。南瓜は実より先に蔓だけが威張っている。朝日が差すと葉脈が透け、土の水滴が白く跳ねた。火の前とは違う眩しさだ。


 座学の一部を、週に二度だけ外へ引っ張り出した。厨房から畑までは近いのに、運ぶとなると水桶二つで腕が痺れる。葉を一枚厨房へ入れるまでに、それだけ手間が食われる。料理人がそこを知らないと、鍋の中で無駄に切る。無駄に煮る。エルヴィンが庭まで見ていたと、ネルが何気なく言っていた。あの大賢者が鍬を持つ姿は、どう考えても似合わない。似合わないなら、なおさら理由がある。


 エルマが畝の間にしゃがみ、蕪の芽を見つめていた。髪の先に土がついている。


「先生。この蕪、隣のより大きいです」


「東側だから。朝の日が先に来る」


「それだけで変わるんですか」


「変わります。こっちは乾くのも早い。同じように水をやったつもりでも、残り方が違う。土を握って」


 エルマは指先で土をつまんだ。崩れる粒を受け止め、芽の根元へ戻す。引き抜く時の指ではなく、包み込む時の指になっている。


「まだ何も聞こえません」


「聞こえなくていいです。温度でも、葉の張りでもいい。手に返ってくるものを拾って」


「……温かい、です」


「どこが」


「この芽だけ、土の下が。手が返ってくる感じがします」


 わたしは隣の土を握って比べた。たしかに少し温い。声と呼ぶには早い。けれどエルマの視線は、皿の上へ飛ばず、まだ土の中に残っていた。


 畝の端では、トーマスが腕を組んで立っていた。鍬を肩に乗せたまま、露骨に不満そうだ。


「俺は料理を学びに来たんであって、農業をしに来たんじゃないんですが」


「農業も料理です」


「違うでしょう。畑と竈は別の場所だ」


「別の場所だから見に来るんです。鍋に入る前の機嫌を知らないで、火を入れてから文句を言っても遅い」


「腹に入れば同じです」


「同じなら、硬い蕪と柔らかい蕪を同じ時間で煮る?」


 トーマスは言い返しかけて、口を閉じた。保存の悪い蕪を押し込めば、鍋の時間が伸びる。薪が余計にいる。兵が待つ。軍の炊き出しをしていた人間なら、そこで怒鳴られた数くらい覚えている。


「鍬を置かないでください。あとで、自分の畝の香草でパンを焼きます」


「パン?」


「足りない分は隣から借りてもいいです。ただし返す時は、焼けた分から半分」


 昼前まで土を返し、葉を間引いた。井戸水で手を洗っても、土の匂いは落ちきらない。そのまま厨房へ入ると、粉袋に黒い指の跡がついて、アリアが布巾を投げてよこした。摘んだ香草を刻む。刃の下で葉が潰れ、青く鋭い香りが立った。生地に練り込むと、粉の甘さへ草の苦みが混ざる。手首に絡む生地まで、いつもより重く感じた。


 焼き上がりに窯の口を開けると、熱が睫毛を炙り、香りが中庭へ流れた。畑に残っていた生徒まで振り向く。ひとりが籠の中の葉を見下ろし、慌てて土を払った。


 トーマスは焼けたパンを受け取ると、黙って割った。湯気が立ち、刻んだ香草の緑が中からのぞく。一口齧る。顎が止まった。もう一口。


「どうですか」


 アリアが聞くと、トーマスは答えず、パンを持ったまま畑へ戻った。畝の端にしゃがみ込み、邪魔な草を一本抜く。二本目は根が残り、エルマに「そこ」と小声で指を差されている。わたしは焼き網の上の最後の一個を返した。


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