【149】返事のチーズ
残りの包みを開けた。油紙が指に貼りつく。
中身は燻された羊肉だった。香りは深い。けれど表面に、灰をはたいたような膜がある。完全な毒ではない。上書き訓練で作った灰色の粥に似ている。食べる人の心を、半歩だけ後ろへ引く気配。
麻袋からこぼれた穀物は麦に近く、粒が丸い。寒冷地のものだろう。これにも灰色の影が絡む。ガラス瓶の琥珀色の液体は果実酢に近い匂いで、チーズと同じく芯が抜けていた。
奥厨房の中央に、ゼルギウスの食卓の材料が並ぶ。
芯の抜けたチーズと果実酢。
灰を被った肉と穀物。
それから、短い手紙。
「……一皿じゃないな。食卓だ、これは」
グスタフが肉の繊維を指で確かめながら言った。
「料理人が組んだ籠だ。分量も悪くない。あの女、腕は確かだな」
「褒めます?」
ラルフが瞬きをする。
「腕のある敵を、腕があると言わんでどうする。下手ならもっと怖い。何をしたいか見えんからな。これはまだ、料理の言葉だ」
ヴィクトルは手紙を畳んだ。
「灰色は名刺だ。殺すための量ではない。リーゼさんがどう扱うか見ている」
殿下がわたしの方へ向いた。
「やれるか」
「やります」
舌が先に動いた。
やってみます、では薄い。鍋の前に立つ返事が要る。
* * *
チーズの包みを小鍋の横へ寄せた。
芯の抜けた食材へ、いきなり強い味を押し込むと割れる。乳は小鍋にカップ半分。エマの酵母を匙の先ほど溶かし、火へかける。沸かさない。指を入れて、皮膚が逃げない温度で止めた。そこへチーズを薄く削る。
白い欠片が乳の表面に浮き、鍋肌へ寄った。
沈まない。
「火、足します?」
「まだ」
匙の背で押す。エマがパン種へ粉を足す時の手を思い出す。拒んでいるというより、入口が見つからない。
乳の金色が、削ったチーズの縁へまとわりつく。しばらくして、内側へ染み込んだ。小さな欠片が、息を吸ったように膨らむ。
「入った」
ラルフが息を漏らす。
「浅いぞ」
グスタフがすぐに言う。
「はい。だから、次を当てます」
羊肉は紙ほど薄く切り、乾いた鍋へ並べた。脂がにじみ、鍋底でぱち、と鳴る。その湯気へ、エマの酵母から取った酸味のある蒸気を当てる。灰色の影がほどけ、煙の香りに混じっていく。
消さない。
灰色だけを消そうとすると、煙の香りまで死ぬ。ロレンツォさんの魚醤を一滴。多ければ負ける。瓶口を指で押さえ、鍋肌へ落とした。焦げる直前の香りが立ち、肉の表面に深い金色が走る。
穀物は粥にした。
こちらの米を混ぜかけ、手を止めた。相手の穀物だけで炊く。水を吸う速度が遅い。寒い土地の粒は、火にも警戒心が強い。
「火を上げますか」
ベルントが薪へ手を伸ばす。
「上げない。底だけ焦げる」
弱火で待つ。果実酢は三滴。四滴目で酸が勝つ。空だった瓶の酸味が、粥の輪郭を引き締めた。
乳の鍋が傾きそうになり、エマが布巾ごと取っ手をつかむ。ラルフは肉を返し損ね、一枚だけ焦がした。ベルントが粥の灰汁をすくい、匙ごとグスタフに取り上げられる。
「取りすぎだ。旨味まで捨てるな」
「はいっ」
ヴィクトルの声が背後から飛んだ。
「灰色、肉の端に残る」
わたしはその一枚を皿の端へ避けた。使えるところは残す。無理なところは捨てる。手が増えると、失敗も早く見つかる。
皿に盛る頃には、ゼルギウスから来た食材は、わたしたちの厨房の温度を持っていた。
* * *
毒見の順番だけは崩せない。
それでも皿を前にすると、体が勝手に動いた。フィンさんが先に手を伸ばす。
「リーゼさん」
「……はい」
「約束です」
「分かっています」
「その足は?」
見下ろすと、右足が半歩前へ出ていた。声は柔らかい。袖をつかまれたみたいに止まる。
フィンさんはチーズと乳の皿を取った。小さな匙で一口。舌の上に置き、すぐ飲み込まない。毒見の体が、食べ物を調べている。味を楽しむ前に、異変の影を探す。
肉を噛むのに時間をかけ、粥は舌の下にも行き渡らせる。果実酢の小皿では目を閉じた。
シュタウブが脇で解毒薬の栓に親指をかけ、殿下の手は剣の柄ではなく、机の端を押さえていた。
フィンさんは最後の皿を置いた。
「異常ありません。舌の痺れ、喉の熱、なし」
息が、奥厨房のあちこちから同時に落ちた。
「あと、美味しいです」
その言葉で、グスタフが鼻を鳴らす。
「毒見に味の講評までさせるな」
「皿の中までが職務です」
フィンさんは平然としていた。けれど匙を置いた後、指先だけが一度震えた。
小皿は、狭い卓をすぐに渡りはじめた。
殿下の前に小皿を置き、将軍には肉を一切れ多く。フィンさんは二口目も受け取り、ヴィクトルは灰色の端を確かめてから頷いた。グスタフ、ラルフ、ベルント、エマ、シュタウブへ皿が回る。わたしの分は、鍋底をこそげた一匙になった。奥厨房のテーブルは肘がぶつかるほど狭く、皿は小さい。それでも、敵から送られた材料で作った返事の食卓がそこにあった。
羊肉は強い香りの奥に、寒い修道院の石壁のような静けさがあった。チーズは乳の温度を得て丸くなり、穀物の粥は酸味で立ち上がる。
口を開いたのは、粥を抱えたベルントだった。
「うまいです」
あまりに素直で、エマが吹き出し、ラルフが咳でごまかした。
将軍は皿を見下ろしたまま言った。
「敵が料理で話しかけてくるとは、面白い時代になったものだ」
「敵、ですか」
「敵だ。そこは間違えるな」
将軍は肉を噛み切る。
「ただ、同じ皿を挟める敵ではある」
殿下は何も言わず、粥の小皿を空にした。
わたしは鍋の取っ手から手を離した。
最後の小皿が空くと、わたしはダリアの籠を洗った。泥を落とし、布で拭き、乾かす。
返事を出すなら、この籠を使う。
水は二度替えた。布巾が一枚、灰色になった。蓋の留め紐が切れていたので、エマに替え紐をもらう。
戻っていく途中で壊れては困る。




