わだかまり
こうして少し和んだ空気に胸を撫で下ろしたのも束の間、桜の視線がスッと横へとスライドした。
彼女の瞳が捉えたのは、俺のすぐ隣に立ち、静かに成り行きを見守っていた郁美の姿だった。
冬の澄んだ空気の中、二人の視線が静かに交錯する。
桜の瞳の奥に一瞬だけ浮かんだ複雑な色に、俺は再び背筋が伸びるような緊張感を覚えずにはいられなかった。
「郁美……」
「桜ちゃん……」
改札前の人混みの中、互いの名前を呼んだまま、二人の時間がピタリと止まった。
桜の瞳には戸惑いと微かな警戒心が浮かび、郁美は申し訳なささと罪悪感で身を縮こまらせ、その場に足が縫い付けられたように動けずにいる。
俯いて唇を噛みしめる郁美の小さな背中。
俺はそっと彼女の背中に手を添え、優しくポンと前へ押してやった。
大丈夫だ、と無言のエールを込めて。
その小さな温もりに背中を押された瞬間、郁美の中で堰を切ったように感情が溢れ出した。
「桜ちゃん……っ!」
郁美は躊躇いを捨て、ガバッと勢いよく桜の胸元へ飛び込んでいった。
パウダーピンクの綺麗なコートにしがみつくように、小さな両手で力いっぱい桜の体を抱きしめる。
「ごめんね……っ! 桜ちゃん、ごめんね……!
私、私……っ、すごいひどいことを……っ、グスッ……しちゃって……っ、グスン……!」
突然のことに、桜は最初「えっ……!?」と目を丸くして戸惑っていた。
けれど、自分の胸で子供のようにしゃくりあげ、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら必死に謝り続ける郁美の震える体温を感じるうちに、桜の表情から戸惑いが消えていった。
桜はそっと息を吐くと、愛おしそうに目を細め、郁美の背中に腕を回した。
そして、幼馴染を包み込むように柔らかいニットの袖で郁美の頭を優しく、何度も撫で始めた。
「郁美……おかえり……」
桜の目からも静かに涙が溢れ出し、白い頬を伝っていく。
ぎゅっと郁美の体を抱きかえし、愛おしさを確かめるように力を込めた。
「ふえっ……うぁぁあん……っ!」
桜のその一言で完全にとどめを刺された郁美は、さらに声を上げて泣きじゃくった。
通り過ぎる人々が少し驚いたように振り返る多摩センター駅の改札前で、二人は冬の澄んだ空気も忘れたように、5分ほど固く抱き合ったまま涙を流し続けていた。
これまで二人の間に横たわっていた暗いワダカマリが、涙とともに少しずつ溶けていくのが分かった。
そんな温かくも切ない空気の真っ只中に、気まずさで顔をひきつらせた男がノコノコと歩み寄ってきた。




