取り消し
両親の部屋に入り、静まり返った暗闇の中で一人、布団に横たわる。
今日一日で起きたあまりにも過酷な出来事の数々が、脳裏を次々と駆け巡っていた。
劇での決別、理科準備室で目撃した絶望、そして正気を取り戻した郁美の涙……。
頭がじんじんと重い。
ぽっかりと空いた胸の痛みを誤魔化すように、俺は郁美から久しぶりに手元へと戻ってきたスマートフォンに目をやった。
冷たい暗闇の中で、液晶の仄明るい光がぼんやりと天井を照らし出す。
久々に触れる自分の端末は、どこか余計に冷たく感じられた。
画面の通知欄を開いた、その時だった。
「……っ?」
そこに刻まれていた文字に、俺の息が止まった。
発信者は——【桜】。
しかし、そこに表示されていたのは文面ではなく、無機質な一行のシステムメッセージだった。
『メッセージの送信が取り消されました』
「桜……?」
慌ててトーク画面を開く。
だが、文面はない。
しかし桜は、間違いなく俺に何かを伝えようとしていた。
メッセージを打ち込み、送信ボタンを押し——そして、どのような感情の葛藤があったのか、すぐさまそれを取り消したのだ。
(何を……書いたんだ?)
舞台の上で放った俺の冷酷な拒絶への怒りだろうか。
それとも、関谷と付き合うことになった報告だろうか。
あるいは、傷ついた末の助けを求める悲鳴だったのだろうか。
消された文字の向こう側に隠された桜の表情を想像しようとするたび、胸を締め付けられるような激しい焦燥感が押し寄せてくる。
今すぐ画面をタップして、指を走らせたくなる衝動に駆られた。
『どうしたの?』
『何か言いたいことでもあったのか?』
文字を入力しては消し、入力しては消す。
画面上で点滅するカーソルを見つめながら、俺は深く息を吐き出した。
……ダメだ。
取り消されたメッセージに対して、追い縋るように「どうしたの?」なんて送るのはどこか変だし、野暮すぎる。
もし桜が迷った末に消したのだとしたら、追及するような追いLINEは彼女をさらに追い詰めるだけだ。
文字なんていう不確かなものでやり取りする局面は、もう過ぎている。
(……大事なことは、ちゃんと会って話そう)
明後日のクリスマス。
郁美が用意してくれたあのダブルデートの場で、逃げずに桜と向き合う。
彼女の本当の目を見て、自分の口から言葉を届けるんだ。
俺はそう強く心に言い聞かせると、スマホの画面を伏せ、サイドテーブルの上に置いた。
暗闇が再び部屋を包み込む。
冷たい夜の静寂の中、俺は静かに目を閉じた。




