解呪
「……え……? あ、あ、れ……?」
俺を見上げるその瞳から、あのどす黒く濁った執着の靄が、嘘のようにスッと晴れていた。
代わりに浮かんでいたのは、怯えたような、困惑しきった本来の『郁美』の光だ。
「た、達也、くん……? わ、わたし……あれ、ここ、どこ……?」
「郁美、俺が分かるか?」
「う、うん……。でも、わたし……な、なんで、こんな目立つ服、着て……? それに、なんか口の中がすごく渋くて……あ、頭が、ぼんやり、して……」
少し吃音気味で、おどおどとした喋り方。
直前までの劇の記憶すら曖昧になっているらしい。
間違いなく、元の郁美だ。
ついに、呪いが解けたんだ。
「……良かった」
俺は深い安堵の息を吐き出し、へたり込んでいる郁美の腕を引いて、ゆっくりと立ち上がらせた。
「とりあえず立てるか? 大丈夫だから、少し休もう」
「あ、うん……ご、ごめんなさい……」
郁美に肩を貸しながら、俺はすぐに顔を上げ、薄暗い舞台袖へと視線を巡らせた。
「……桜?」
だが、舞台袖に固まっている裏方の生徒たちの中に、桜の姿はどこにもなかった。
焦燥感が胸を突き上げる。
俺は郁美を支えながら早歩きで舞台を降り、パイプ椅子に座って怪我をした足を抱えている木村の元へ駆け寄った。
「木村! 桜は!? 桜、どこに行ったか知らないか!?」
「達也……」
木村は、ひどく悔しそうに顔を歪めた。
「ごめん……。幕が下りる直前、宮野、泣きながら体育館の外へ飛び出していったんだ。俺も止めようとしたんだけど……この足じゃ、あいつの走るスピードに追いつけなくて……」
「外に……!?」
「ああ。……それに」
木村が、ギリッと奥歯を噛み締める。
「関谷の野郎も、すぐ後を追っていった。『俺が宮野を探してくる』って言ってな」
(……っ!!)
背筋に、氷水を浴びせられたような悪寒が走った。
あの精神状態の桜が、一人で遠くまで逃げられるはずがない。
人目を避けて、どこかの空き教室か、屋上か――とにかく、この校舎のどこかに隠れているはずだ。
「木村、郁美を頼む! ちょっと記憶が曖昧で混乱してるみたいだから、休ませてやってくれ!」
「お、おい達也!」
俺は郁美を木村の隣の椅子に座らせると、返事も聞かずに体育館を飛び出した。
文化祭の喧騒に包まれた廊下を、周囲の生徒を掻き分けながら全力で走る。
「桜……! 桜っ……!」
心の中で何度もその名前を叫びながら、思い当たる場所を片っ端から探し回った。
人気の少ない特別棟の空き教室。
鍵のかかった屋上へと続く階段の踊り場。
だが、どこにもいない。
息が上がり、肺が焼き切れるように痛む。
汗が目に入り、視界が滲んだ。




