アドリブ
「ジュリエット……愛している」
台本上のト書きでは、ここは『顔を近づけ、角度を変えてキスをしたふりをする』とだけ指定されていたはずだ。
生徒や保護者が見ている前ということもあり、いくら郁美でも実際に唇を重ねることまでは想定していない。
彼女はうっとりと目を閉じ、俺の顔が寸前で止まるのを待っている。
そして、観客席からの無数の視線が注がれ、劇の感動のボルテージが最高潮に達したその瞬間——。
俺は台本を完全に無視し、郁美の唇を塞ぐように、深く『本物』のキスを落とした。
「……んっ!?」
想定外の接触に、郁美が驚いてわずかに目を見開き、震える唇を開く。
観客席からは、迫真のラブシーン(アドリブ)にドッと沸くような歓声が上がった。
だが俺は、ロマンチックな空気とは裏腹に、郁美の後頭部に手を回して絶対に逃げられないように強く固定した。
そして、驚いて開かれた彼女の唇の隙間から、口内に含んでいた彼岸花の汁を一気に、無理やり喉の奥へと流し込んだ。
「……んっ、んんっ……!?」
想定外の接触と、口内に流れ込んできた強烈な苦みに、郁美がむせ返ろうとする。
だが、俺は彼女の後頭部を強く押さえ込み、一滴たりとも吐き出させないようにその唇を固く塞ぎ続けた。
観客席は、台本外の迫真すぎるラブシーンに息を呑み、水を打ったようにシーンと静まり返っていた。
その静寂を破るように、一部の女子たちから「キャーッ」という黄色い声がポツポツと上がり始める。
やがて、ゴクリ、と。
郁美の喉が動き、彼岸花の汁が完全に飲み込まれたのを確認した瞬間——。
ドンッ、という鈍い音と共に、重い暗幕が完全に下り切った。
「……っはぁ……!!」
幕が下りて客席の視線が遮断された途端、郁美は弾かれたように俺の胸から離れ、激しく咳き込んだ。
そして次の瞬間、ビクンッ!と全身を大きく痙攣させると、糸が切れた操り人形のように、その場にへたりと崩れ落ちた。
「郁美……!」
俺は慌てて膝をつき、気を失いかけた彼女の体を抱き留めた。
数秒の沈黙。俺自身の心臓の音だけが、耳の奥でうるさいほどに鳴り響いている。
やがて、郁美の長い睫毛が微かに震え、ゆっくりとそのまぶたが開かれた。




