マドロン地区の市へ 5
「蹴飛ばすなんてひどいじゃねえか」
「人の頬を引っ張るほうがひどいよ」
「そんなことはない、蹴飛ばすほうが絶対ひどい」
「引っ張るほうがひどい」
お互いに一歩も譲らずに睨み合う。
「ニコラスさん、僕みたいなずっと年下の子供とこんなことで張り合うなんて、大人として恥ずかしくないの?」
「いーや、信念を貫き通すことこそ大人の男の生きざまってもんだろう」
「大げさだよ、足を蹴飛ばすのとほっぺたを引っ張るのとどっちがひどいかなんて論争に、信念も生きざまもあるもんか」
「知らないのか、神は細部に宿りたまうんだぞ。小さいことを大切にしてこそ大事を成し遂げられるってもんよ!」
「その理屈を適用する方向が違うでしょ、完全に!」
「……ぎゃあぎゃあとうるさいよ、おまえたち。ちょっとくらい静かにできないのかい?」
奥から怒鳴られ、ふたりははっとして口をつぐんだ。びくびくとリーサの機嫌をうかがうふたりの前に、大きな皿を持ったリーサが現れる。
「まったく……ニック、おまえは自分がどれだけ年上なのか分かってるのかい。いい大人が子供と同じ目線で口喧嘩してるなんて情けないねえ」
「そうだよニコラスさん。いったい何歳なの? ほんと、大人げないんだから」
リーサの加勢を得てこれ幸いとたたみかけると、ニコラスはじろりとこちらを睨んだ。
「おまえな、もうそんなに自分で言うほど子供じゃねえだろ。都合のいいときだけしれっと子供になりやがって」
「14なんだからニコラスさんから見ればじゅうぶん子供でしょ。だいたいニコラスさんだって、僕のことガキだガキだって言うくせに、リーサさんに怒られたら『言うほど子供じゃない 』って、なんか矛盾してるよね」
ぐうっと押し黙ったニコラスに、リーサがにやりと笑った。
「これは勝負あったねえ」
「正義は勝つんだよ、リーサさん。ところでそのお皿はなに?」
ルーシェリアはきらきらと瞳を輝かせてリーサの持つ皿を見つめた。ほら、とリーサがカウンターにその皿を置く。そこには大きなオムレツがほかほかと湯気を立てていた。
「うわあ! おいしそう!」
「いま取り分けてあげるから、ちょっと待ちな」
リーサはいったんまた奥へ引っ込み、そして小さめの皿やカトラリー、パンの入った籠などを載せた大きな盆を持って現れた。それもカウンターに置き、大きなスプーンでオムレツを取り分けて皿に載せてくれる。
「はいよ。パンも食べな」
「ありがとう!」
ルーシェリアはほくほくしながらさっそくオムレツをすくって口に入れた。優しい卵の風味と炒めた挽肉の旨味、そして同じく炒めた玉ねぎの甘味が合わさり、たまらなくおいしい。ルーシェリアは陶然となった。
「リーサさん、おいしい……幸せ……」
「……そりゃあよかった。たんと食べな」
ニコラスも横でがつがつとパンとオムレツを食べている。朝から何も食べていないと言っていたから、腹も空くだろう。ことに、夜をひとりで過ごしたわけではなく、気に入った女とよろしくやっていたとなれば、この食べっぷりも納得がいくというものである。
「ゆうべ一緒にいた人って、ニコラスさんの恋人?」
パンを食べていたところだったニコラスはげほげほとむせ、慌ててそばにあったコップをつかんだ。中のエールをごくりと飲んでからこちらを睨む。
「なんだいきなり」
「いや、ふと疑問に思ったものだから」
「ふん、マセガキが。そんなたいそうなもんじゃねえよ」
「なんだ。じゃあ、一夜のお遊びってやつ? 罪な人だね、ニコラスさんも」
「……おい、おまえな……」
「ニコラスさん、もてそうだからほっといても向こうから寄ってくるでしょ。そんなニコラスさんが一緒に夜を過ごすんだから、きっと素敵な人なんだろうに、恋人じゃないって言うからさ」
「その年で知ったような口をきくんじゃねえよ」
ニコラスがぴんとルーシェリアの鼻を弾き、ルーシェリアは「いてっ」とそこを押さえた。ふふんと笑ったニコラスが自分の皿に残った最後のオムレツをすくい、口に入れる。
おいしそうに目の前の料理を平らげて満足そうな顔になったニコラスは、客観的に見ればものすごくいい男だ。あいにくルーシェリアとしゃべると残念なところが露呈する傾向はあるが、それだってまあ、親子ほど年の離れたルーシェリアとわざとじゃれているような雰囲気もある。
実際の切った張ったの修羅場ではおそらく情け容赦なく戦うのだろうし、ルーシェリアに見せているのが彼のほんの一面に過ぎないであろうことは察せられる。リーサに顎で使われ、ミートパイを巡ってルーシェリアと争うだけの男ではないのだ。当たり前だが。
「何をじろじろ見てるんだ、ルーシェ」
「いやあ、ちょっとニコラスさんの多面性について思いを巡らせていただけだよ、うん」
「……はあ?」
ニコラスが呆気に取られた表情になった。
「多面性?」
「そう。ほら、人にはいろんな一面があるからね。ニコラスさんに限らず、さ。そういうことをつらつらと考えていただけなんだ。僕に見せてる面だけが全部じゃないってことをね」
ルーシェリアが何気なく口にしたその言葉は思いのほかニコラスに刺さったらしく、ニコラスは一瞬、虚を衝かれたように顔から表情を消した。だがすぐにいつもの人を食ったような笑顔に戻る。
「そういうことだ。おまえには見えない大人の男の魅力ってもんが、ほかのやつにはちゃんと見えてるってことさ」
「自分で言わなけりゃ、もう少しそれっぽい感じになるのに、もったいないなあ。それにしてもこのオムレツ、本当においしいよね。ありがとうリーサさん」
(おっと。今のはどうやら、言っちゃいけないことだったみたいだ)
ニコラスの反応を見るに違う話題にするほうが無難だろうと、ルーシェリアはリーサに視線を向けてオムレツを褒めたたえた。オムレツがおいしいのは本当だ。贅沢に挽肉まで入ったオムレツがおいしくないわけがない。




