リールズ公爵邸への訪問 4
「兄上が発見されたのはマドロン地区だとうかがいましたが、この居酒屋は確かにその地区にありますね」
「発見された場所はその居酒屋からもう少し離れた場所だったようだ」
「この筆跡は兄上のものですか?」
「断言はできないが、たぶんそうではないかと思う。残された他の書類などの筆跡と比べてみた印象では、同じではないかと」
「そうですか」
リドリーが考え込んだ。横からルーシェリアは口を挟む。
「公爵様、この紙は?」
「紙、とは?」
意味が分からなかったらしく、ティリアンが問い返した。ルーシェリアは説明する。
「この紙はたぶん手帳からちぎったものでしょ。その手帳がお兄さんのものだったか、ということだよ。お兄さんは手帳を使っていた? その手帳は残っている?」
「……ああ」
ティリアンはすぐには答えなかった。いったん言葉を切り、そしてまた口を開く。
「私は……10年前に軍に入って以来、兄とは会っていなかったのだ。だから、兄に手帳を使う習慣があったかどうかはわからない。戻ってきた後で、私は公爵領の本邸とこの王都の屋敷で兄の遺品をざっとまとめたが、手帳らしきものは出てこなかった。もともと使っていなかっただけかもしれないが、もしかしたら、当日身につけていて、奪われたのかもしれないな」
「そうですね。手帳については推論の域を出ませんが、この紙片が兄上の筆跡であるのなら、それを書いた紙も兄上のものだと考えるのが自然です。いつも身につけていれば、当然なにか書きつけるときにはそれを使うでしょうから。手帳を使う貴族は多いですし、兄上もお使いだったと考えても無理はないでしょう。そうであれば、当然、襲われた夜も身につけていたはずです」
「そして犯人に奪われたのかもしれないな……証拠隠滅のために」
リドリーの推測にティリアンが補足し、長いため息をついた。
「兄は……なぜそこへ行ったのか。誰と待ち合わせていたのか。ずっと、それを考えている。公爵という地位にあった兄が、夜にマドロン地区に単身で向かうようなことなど、普通ならありえない。そもそも、こんな場所を指定されても、知らないから行きようがないはずだ。なぜ兄はそんなところに呼び出され、しかもそこに行けたのだ? そもそも、兄は相手を警戒しなかったのだろうか。だったら相手はよほど兄と親しかったのだろうか……疑問だらけだ」
「……あるいは、脅されていたのかもしれないね」
言いたくはなかったがルーシェリアはその可能性も指摘すべきだと判断して口を開いた。ティリアンが鋭い目を向ける。濃い青の瞳がナイフの切っ先のように光った。
「兄が……? 私の知る限り、兄はそんな……脅されるような弱みを持つ男ではなかった」
「他人から見える部分なんて、それほど多くはないものさ。まして公爵様、あなたは10年もお兄さんに会っていなかったんだろう? そのあいだに何かがあったとしても不思議じゃない。借金、女性問題、不名誉になるような行い、あるいは犯罪的行為……仮に、そういう秘密をお兄さんが誰かに握られていたとしたら、その相手の言うなりになるしかなかったのかもしれない」
実の兄にそのような後ろ暗い秘密があったかもしれないと考えるのは苦痛かもしれないが、可能性としては排除するべきではない。そう言うと、ティリアンは苦く冷たい笑いを浮かべた。
「……そうだな、確かに。……ただ、少なくとも兄には借金はなかったと思う。借用証もなかったし、帳簿を見る限り、不自然に大きな金の動きは見つからなかった。そもそもリールズ公爵領は豊かな領地で、少々の借金があったとしても揺るがない」
「貴族にとっては、お金なんて、使おうと思えばいくらでも使えるものじゃないか。贅沢すぎる暮らしをしていたってことはないの?」
「兄が極端に贅沢な暮らしをしていたわけでもないのは、少し調べただけで分かった。この屋敷の者にも聞いてみたが、賭博場や娼館に通い詰めるといった悪癖もなかったらしい。つまり、私が調べた範囲では、浪費の証拠は見つからなかったということだ」
「それくらいの調べ方で分かるようなことは秘密とは言わないよ。もっと隠されていたことがあるのかもしれない。……もちろん、お兄さんに秘密があってそれをもとに誰かから脅されていた、というのは仮説のひとつに過ぎない。ほかの可能性だってある。今はいろいろな可能性を検討してみないと」
「兄上の交友関係はいかがでしたか? どんな方と親しくされていたかご存じですか?」
黙ってふたりの会話を聞いていたリドリーが発言した。ティリアンは首を振る。
「私はまったく知らない。ハーディスが知っているのではないか。近いうちに聞きに行くといい」
「相手のお名前が分かったとして、その方々に話を聞くことはできるのでしょうか」
いや、とティリアンが難しい顔になった。
「おそらく、そのどの相手とも、私は会ったこともないはずだ。画策できないことはないが……かなり不自然にうつるだろうな」
「だったら伯爵様に協力してもらったほうがいいかもしれないね。伯爵様なら知ってるんだろう?」
「おそらくな」
「交友関係が原因だった可能性だってあるから、さぐりを入れるなら慎重に考えないといけないけど……」
「まあ、それもひとつの仮説ということですね。それから、兄上の近侍を務めていらした方に、話を聞きたいのですが。もしかして、もうお話をされたということはないですか?」
近侍という立場の使用人は貴族男性の身の回りの世話をするのが役目だから、あるじの行動や嗜好、持ち物など、把握している情報が他の使用人に比べて格段に多い。貴族の調査をするならば、男性なら近侍、女性なら侍女に話を聞くのは基本中の基本である。
「兄の近侍とは話していない。私が兄の死の知らせを受けて赴任先の戦場から公爵領に戻ったときには、葬儀もとうに終わり、近侍はすでに職を辞して故郷に帰っていったとのことだった。その頃はまだ兄の死に不審な点があったとは知らず、ただ爵位の継承に伴う膨大な事務作業で手一杯だった。屋敷でこの紙片を見つけて初めて兄の死に疑問を抱き、調べてみようと思ったのが、今から10日ほど前のことだ。近侍の故郷については執事が知っているから、あとで呼んで話をさせる」
「ええ、彼から話を聞けるかどうかはかなり重要です。それから、この屋敷の使用人の方々からも順に話を聞いていきたいと思っていますので、近々その機会を設けてはいただけないでしょうか……できれば、あなた様抜きで」
リドリーが最後に付け加えた言葉にティリアンは片眉を上げた。




