アルマン・タイラーを追って 4
「……馬車だ」
「……馬車だな」
間の抜けた感想がよほどおかしかったのだろう、腕を組んで向かいに座っているティリアンが思わずといったようすで笑った。
しかしルーシェリアはそれを気にするどころではない。ふかふかの座面はなんとも座り心地がよく、つい何度も腰を少し浮かせてはまた下ろしてみて、そのふかふかさを堪能してしまった。
それから壁際に近づいて、壁に貼られた美しい布の模様をとっくりと眺める。臙脂色と生成り色の中に金の糸が混じった、豪華極まりない布地だ。
中の木材部分はつややかな焦げ茶色で、指先で触れてみるとすごくなめらかだった。内装に使われているあらゆるものがいかにも高価そうである。贅を尽くした馬車というのはこういうものなのだろう。
初めて乗る豪華な馬車にルーシェリアはすっかり夢中になっていたが、しばらくしてはっと我に返ると、ティリアンがルーシェリアをおもしろそうに眺めていた。ずっと見られていたのだろうか。
「初めての玩具をもらった子供のようだな」
「似たようなものじゃないかな。こんな経験、したこともないし、今後またするとも思えないから、とっくりと味わっておこうかと思って」
特に咎められもしないので、そのまま心ゆくまであちこちにそっと触れてみる。座面に張られた天鵞絨は壁に貼られた布地の臙脂色と色を合わせてあってお洒落だし、壁のほうはよく見るとなんとも手の込んだ織り地だ。薔薇の花をモチーフにした模様のようで、華やかでいて重厚な雰囲気が、この馬車によく似合っている。
馬車の扉とその反対側につくられた小窓には色を合わせたカーテンが取り付けられていて、その生地はなめらかですべすべでずっと触っていたくなるほどだった。それからまたもとのように座り、もう一度ぽむぽむとおしりをはずませて座席部分の座り心地のよさをじっくり味わっていると、ティリアンがこらえきれないように笑い出した。彼のそんな笑いを目にするのは初めてだ。
「君を見ていると本当におもしろいな」
「そう? 特におもしろいことをしているつもりはないんだけど」
「好奇心のおもむくままに好きなことをしているのがよく分かっておもしろい」
否定はできなかったので黙っておく。だがじきにまた黙っていられなくなって、口を開いた。
「ねえ、この馬車の外に描かれているのって、公爵様のところの紋章ってやつ?」
「ああ、リールズ公爵家の紋章だ」
「あの竜とか一角獣とかには何か意味があるの?」
「わが国では、竜は強大な力、一角獣は秘められた知恵の象徴だとされている。どちらか片方だけではなく両方を兼ね備えるようにという意味だと思う」
なるほど、とルーシェリアはいたく納得した。力だけでは蛮勇になってしまうが、知恵しかなければ他者の力に負けてしまうだろう。どちらも必要だというのはもっともだ。
「何かの言葉が書いてあったけど、あれは何?」
「あれは古代帝国の言語だ。今の言葉に直すなら……<我が唯一の望み>だろうな」
「我が唯一の望み……どういうこと?」
首をかしげたルーシェリアに、ティリアンが言葉を選びながら説明してくれる。
「貴族の紋章には標語といって短い格言がついているのが普通で、多くは家訓というか家銘というか、代々伝わっている警句だ。源流をたどるなら、おそらくは戦いの際の鬨の声がもとになっているものが多いのだろうな」
「ときのこえ?」
「敵に向かっていくときに叫ぶ戦意高揚の言葉とでも言えばいいだろうか。味方の戦意を鼓舞し、戦う勇気を起こさせるための言葉だ」
「ふーん……」
「我が家の紋章の標語はいささか謎めいていて、私はそれが結構気に入っている」
ティリアンは小さく笑った。
「おそらくは<欲しいものを求めて進め>というような意味なのだろうと思うのだが……あるいは、問いかける意味があるのかもしれない。おまえの唯一の望みは何なのかと……一番大切にしたいものは何なのかと」
「なるほどね。短い言葉だから、いろいろと解釈できそうだ」
「そういうことだ。戦場でのことならそれは勝利を意味するだろう。だが、平時においては……なんだろうな。名誉、権力、誇り……何を<唯一の望み>とするかは、人によって違う」
それきりティリアンは黙った。ルーシェリアもそれ以上は何も言わずに黙っていた。きっとティリアンが、自らに問いかけているのではないかと思ったから――彼自身の<我が唯一の望み>について。
しばらくして馬車の速度が落ち、ティリアンが「そろそろ着くようだ」と窓のカーテンを開けて外を確認した。ちなみにそのカーテンも先ほどじっくりとさわってみたものだ。
やがて馬車が停まり、外側から扉が軽く叩かれた。
「ティリアン様、開けてもよろしいでしょうか」
「ああ」
ティリアンのいらえに応えて扉が開けられ、ティリアンは無造作に道路に降りた。ルーシェリアを振り返り、「降りられるか?」と尋ねる。もちろん、とルーシェリアはぴょんと軽い足取りで飛び降りる。そこは確かにさっき来たあのラウリア商会の前だった。
「しばらくしたら戻るから、待っていてくれ」
ティリアンは御者にそう言うと、「おいで、ルーシェ」と店に向かった。
「え、僕も行くの?」
「当たり前だ」
……当たり前なのだろうか、それ。ルーシェリアはそう聞き返したい気持ちをこらえ、小走りで彼の後に続いた。




