歌劇場を回る 4
「あの、この住所に住んでいる人を探してるんだ。このへんだよね?」
「どれどれ……」
その女性は目を細めて少し紙を遠ざけるように持ち、書かれている文字を読み取ると、「一本向こうの通りだね」と教えてくれた。
「家の扉に番地が記されたプレートが嵌まってるから、それを見たらどの家か分かるよ」
「そっか。ありがとう!」
ルーシェリアはうきうきと礼を言い、はずむような足取りでまた歩き出した。
こうやってするすると調査が進んでいくのはたとえようもなく楽しい。やりがいを感じるのはまさにこういうときで、これでお金ももらえるのだから言うことなしである。
「これで、後はアルマン・タイラーさんに話をして、公爵様との面会を取り付けるだけだ。思ったより楽勝だったな」
鼻歌を歌いたくなるような気分で教わった通りもう一本北側の街路に入り、家々のプレートを確認していく。同じような建物がずらりと並んでいるから、この数字がないときっと見分けがつかなくて大変だろう。
やがて探している数字を見つけたルーシェリアは、とんとんとノッカーを打ちつけた。
「こんにちはー」
扉の向こうにも聞こえるように大きな声を出してみる。やがて、「……どなた?」という女性の声が聞こえた。
「人探しをしている者だよ。ここにアルマン・タイラーさんが住んでるって聞いて、会いに来たんだ」
「うちにそんな人はいないけど」
「……え?」
ルーシェリアはぱちくりと目をしばたたいた。念のため、メモの数字と扉の数字をもう一度見比べてみたけれど、やはり間違ってはいない。だったら、どこかで通りを間違えたのだろうか。
「あの、ここ、タイラーさんの家じゃないの?」
「違うわ」
あっさりした断定にますますわけが分からなくなる。
「あの、この住所のメモ、見てもらえないかな。ここだって言われて会いに来たはずなんだけど」
返事の代わりにドアが開き、20代くらいの女性が現れた。ルーシェリアをうさんくさそうに見つめ、「どれを見るの?」と聞く。
「これだよ。ここの住所じゃないの?」
受け取った彼女はちらりとそのメモに視線を落とし、「確かにうちの住所だけど、そんな人は住んでない」と首を振った。
「あれ……? でも、確かに聞いてきたんだ。ここにアルマン・タイラーっていう歌手の男の人が住んでるって」
「うちの前に住んでた人じゃないかしら」
女性の後ろから別の声が聞こえてきて、ルーシェリアははっと顔を上げた。
中年女性がエプロンで手を拭きながらやってきて、やはりルーシェリアをじろじろと眺めている。先に出てきた若い女性と顔立ちが似ているから、親子なのかもしれない。
「うちはまだここに越してきて3か月ほどなの。その前のことかもしれないね」
「……そっか……」
うまくいったと思い込んでいただけに、まさかの結果に意気消沈してしまう。そのがっかりした雰囲気が伝わったのだろう、母親らしい女性が少し雰囲気をやわらげた。
「その人を探していたの? それは残念だったね。私たちは役に立てないけど、もしかしたら、この物件を紹介してくれたラウリア商会なら、前の住人のことを知ってるかもしれない」
「ラウリア商会……?」
「そう。このへんの物件はあちこちの商会が押さえてて、この家はラウリア商会が仲介してるの。あんたが探しているその人がここを借りてたんだったら、ラウリア商会に記録が残ってるはずだから」
「この家の大家さんってこと?」
「まあ、そんな感じね。行ってみようと思うんなら場所を教えてあげるけど」
もちろん行くに決まっている。ルーシェリアはメモを取り、切れかけた糸をかろうじてつないでくれたその女性に心から礼を述べた。
「見つかるといいね。まあ、頑張りなさいな」
母親らしき女性に同情交じりに激励され、「ありがとう。頑張るよ」と返す。同情してくれたのか、娘とおぼしき若い女性のほうがいったん引っ込んだかと思うと、手に何か赤いものを持って現れた。
「ほら、お駄賃がわりにひとつあげる。ちょうどこれから食べるところだったの」
彼女が手にしていたのはなんとひと粒の苺だった。苺! 店先に並んでいるのはもちろん見るけれど、ほとんど口にしたことはない。去年、一度だけリドリーが買ってくれて、キリアと3人で分けたことがあるくらいだ。
「そ、それ……まさか、本当に、くれるの……!?」
ルーシェリアのおおげさな反応がおかしかったのか、ふたりともがぷっと吹き出した。「もちろん。ほら」と若い娘がルーシェリアにその輝くように紅い果実を手渡してくれる。ルーシェリアは手にした苺をうっとりと見下ろした。
「ありがとう……! これで百年くらい頑張れそうだ」
「百年って、おおげさねえ」
おかしそうに笑った母親らしき女性が、「探し人が見つかることを祈っていてあげる」とルーシェリアの肩をぽんと叩いた。
「ありがとう。頑張って探すよ。じゃあ、いろいろとありがとう。特に苺ありがとう!」
苺のおかげですっかり気分が上向いたルーシェリアは、元気よく手を振って親切なふたりに別れを告げ、また歩き出した。
少し歩いたところで道端に寄り、もらった苺をかじった。みずみずしい甘酸っぱさが口中に広がり、あまりのおいしさに身体が震える。
「お、おいしい……!」
果物は腹を満たしてくれるものではないので、貧民街では贅沢品だ。ルーシェリアも仕事上で必要な買い物として買う以外は自分ではほとんど買うことはない。
情報屋の仕事が軌道に乗ってきたここ2年ほどで、懐に少し余裕ができてきたリドリーが、たまにすももやりんごなどの出盛りのものを買ってくれるようになったくらいだ。
めったに口にできないものだけに、思いがけずもらえたこの苺が尊い。ひと口めをじっくり味わって食べたルーシェリアは、名残を惜しみつつ残りも口に入れた。分けてくれたあの若い女性に心の中で感謝を捧げながら、ほどよい甘みと酸味が完璧に調和した味わいを堪能する。
「ああ、おいしかった……優しい人もいるもんだなあ……」
さて、次は教えてもらったとおり、ラウリア商会なる店に行かないといけない。苺のおかげですっかり元気になったルーシェリアはてくてくと歩き出した。




