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公爵と情報屋 ~男装美少女は氷の公爵から一途に愛される~  作者: やまのみき
第1章 春

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リールズ公爵邸への訪問 2

 その部屋は、まるでどこかの事務所のようだった――部屋の内装の素晴らしさと置かれた家具の豪華さを除いては、だが。壁の片側には背の高い棚がずらりと並べられ、紙ばさみやら綴じられた書類らしきものやらがぎっしりと並んでいる。

 正面にあるじのための大きな書斎机が置かれ、少し離れたところにも別の机がふたつ置かれて、複数の人間がここで作業できるようになっていた。そして来客用の椅子やローテーブルもあった。今は主人であるティリアン・アースターが正面の机に座っているだけだ。


「さっそく来てくれて礼を言う。引き受けてくれると解釈してよいのだな?」


 ティリアンは鋭い瞳でふたりを見つめながらそう言った。

 一瞬固まっていたリドリーが、はい、とうなずく。そんなリドリーに、ティリアンは「座ってくれ」と来客用の椅子を指した。ルーシェリアは目を丸くした。


(えっ、いま、椅子を勧めてくれたの……?)


 そのひとことで、ティリアンに対する好感度がぐっと上がる。彼らに椅子を勧める者など、貴族や商人たち裕福な依頼人にはこれまでひとりもいなかったからだ。


 ティリアンが机の上に置かれていた呼び鈴を鳴らすと、廊下に控えていたらしい小間使いが進み出た。


「ご用でしょうか」


「お茶の用意を頼む」


 かしこまりました、と小間使いが下がるのを信じられない気持ちで見送っていると、かたわらのリドリーが小さく咳払いをした。慌ててまた前を向き、リドリーが腰を下ろした長椅子のもう片方におそるおそる腰掛ける。


 豪華な布張りの椅子は柔らかく、ルーシェリアの部屋にひとつだけある粗末な木の椅子とは、見た目だけでなく座り心地も雲泥の差だ。誘惑に負けてこっそりと座面に指先をすべらせると、張りのあるしっかりとした手触りが伝わってきた。


「お初にお目にかかります。フォート兄弟の兄、リドリーです。こちらはご存じとは思いますが弟のルーシェです」


 兄は頭を下げて挨拶し、ルーシェリアもそれにならった。


「私はリールズ公爵ティリアン・アースターだ」


 こうやって明るいところで正面から向き合ってみると、彼は最初に抱いた印象よりやや若いようだった。30歳よりは25歳に近いかな、と心の中で人物像を修正する。そして、つくづく顔のいい男だ、とも付け加えた。冷たい印象を与えるほど整った美貌は、さぞや貴婦人たちに騒がれていることだろう。


「弟からだいたいの事情はお聞きしました。今日はもっといろいろ話していただけるそうですね。まずはそちらから話を聞かせてください。途中でこちらからいくつか質問をはさませてもらうと思いますが、よろしいでしょうか」


 リドリーが確認すると、ティリアンは「ああ」とうなずいた。リドリーが懐から筆記用具と小さな反故紙(ほごし)の束を取り出し、要点を書きつける体勢になる。それをティリアンが「ああ、少し待て。もうすぐお茶が来るから、話はその後だ」と制した。


「これは失礼しました」


 苦笑したリドリーは、今日はよい天気ですね、などと当たり障りのない話題を振り、ふたりは他愛もない会話を交わしはじめた。


 基本的に、裕福な依頼人にとって情報屋など客ではなく、用事を申し渡すために呼びつけるだけの存在だ。だから椅子を勧められることはないし、ましてやお茶をふるまってもらえるわけがない。そんな扱いしか知らないルーシェリアにとって、ティリアンがまるでこちらが対等な立場の客人であるかのように接してくるのは驚き以外の何物でもなかった。


(もしかして、本当に、お茶を飲ませてもらえるのかな)


 ルーシェリアはその横で高まる期待に胸をときめかせていた。トントン、と軽く扉が叩かれて「お茶をお持ちしました」と声がしたことで、その期待は最高潮に達する。ティリアンの「入れ」という声でしずしずと入ってきた小間使いの押すワゴンには、確かに三人分の茶器が載せられていた。


(うわー……本当に、お茶が来た……僕たちの分まで……!)


 小間使いはワゴンの上で手際よくお茶をカップに注いでいくと、まずティリアンの机に、そしてルーシェリアたちの前のローテーブルにも、お茶の入ったカップを置いた。それから何かの食べ物が載った小さめの皿をワゴンから取り上げ、ティリアンの机に置く。同じものがルーシェリアたちの前にも置かれた。


「失礼いたします」


「ああ、ありがとう」


 ティリアンが礼を言うと小間使いはお辞儀をして部屋を出ていった。ルーシェリアの目は机の上のお茶と食べ物に釘付けだ。


「よかったら食べてくれ。薄く切ったパンに色々と具を挟んだサンドイッチだ。軽くつまむのにちょうどよい」


 ティリアンが優雅な手つきでカップを手に取った。お茶をひと口飲むと、動かないこちらに促すような視線を送る。


「彼女は紅茶を淹れるのが上手だ。熱いうちに飲むといい」


 ありがとうございます、とリドリーが返事をしてカップを手にしたので、ルーシェリアもおそるおそるカップに手を伸ばした。見たこともない薄くて高級そうなカップをそっと持ち上げる。顔に近づけると得も言われぬ芳香がふわりと鼻をくすぐって、ルーシェリアはうっとりとその香りに酔いしれた。


「ルーシェ、君にはミルクを入れたほうが飲みやすいかもしれないな。どうする?」


 ティリアンの声が聞こえて、ほとんど忘我の境地にあったルーシェリアははっと我に返った。


「あ、あの……どちらでも……」


 慌てて答える。横からリドリーが、「ミルクを入れたほうが熱くないし、味もまろやかになるから、おまえにはそっちのほうがいいんじゃないか」と助け舟を出してくれた。

 こくりとうなずくと、ティリアンが立ち上がってワゴンのほうに――つまりルーシェリアたちのほうに――近づいてきた。ワゴンに載せられていた小さなミルクピッチャーを手にして、ルーシェリアのそばにやってくる。


「カップを」


 ルーシェリアがおずおずと差し出したカップに、ティリアンはミルクをたっぷりと注いでくれた。あたためられたミルクから甘い匂いが立ち昇る。お茶の芳香とミルクの匂いが合わさって、いっそうおいしそうな馥郁(ふくいく)とした香りになり、ルーシェリアはその香りに陶然としながら「ありがとう……」とかろうじて礼を述べた。


「なみなみと入れてしまったから、こぼさないように気をつけて飲みなさい。……ミルクはここに置いておくから、リドリー、そなたもよかったら入れてみるといい」


 ティリアンはふたりにそう言うと、ミルクピッチャーをふたりの前に置いて、また自分の机に戻った。

ルーシェリアはゆっくりとカップを口もとに近づけた。思いきってひと口飲んでみる。


「……おいしい……!」


 思わず声が出てしまったが、それほどそのお茶はおいしかった。たまにリドリーの家で飲ませてもらうお茶とは味も香りもまったく違う。もはや別の飲み物だ。


「気に入ってもらえたなら何よりだ。サンドイッチもどうだ?」


 そう言われ、ルーシェリアはカップをいったん置いてサンドイッチなるものを手に取った。小さく切ってあって食べやすそうだ。ぱくりとひと口食べてみると、バターの香りとパンの中に挟まれた薄切り肉の程よい塩気が絶妙の味わいだった。ごくんと飲み込み、「すごく、おいしい」と熱をこめて答える。


「それはよかった」


 ティリアンもパンをひと切れ取り上げて口に入れた。ルーシェリアは手にしていたパンをまたひと口かじる。おいしすぎて涙が出そうだ。


サンドイッチ伯爵という人物が存在しない世界で「サンドイッチ」という名称を使ってよいものか悩みますが、ほかに呼び方があるわけでもないため、割り切って使うことにしました。

ティリアンは甘いものを好まないので、お茶うけとしていつもサンドイッチが用意されています。

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