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公爵と情報屋 ~男装美少女は氷の公爵から一途に愛される~  作者: やまのみき
第2章 初夏

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クラブでの調査 4

『出来損ないの跡取り』


 その言葉はまるで切っ先の鋭いナイフのようにティリアンの胸を切りつけた。兄はそんなふうに呼ばれているのか。目もくらむほどの怒りが沸き起こったが、ティリアンはそれをぐっとこらえ、その少年を睨みつけた。


『兄は出来損ないなどではありません』


『何を言ってるんだ、父上たちだってみんなそう言ってるぞ。ピアノばかり弾いては詩だの文学だのにうつつを抜かす、リールズの名にふさわしくない不出来な長男だと』


『……兄は、リールズの名前に恥じるようなことなど、何もしていません。……失礼します』


 ティリアンはかろうじてそれだけ言い、足早に立ち去った。人気のないところまでなんとか足を動かし、茂みのそばにどさりと座り込む。血の気が引いているのが自分でも分かった。吐き気がこみあげ、口を押さえる。


 ずっと疑問に思っていた、兄が自分を(うと)む理由。いくつもの断片がかちりと組み合わさり、これまでのことがようやく()に落ちていった。


(兄上はきっと、こういうことを陰で言われ続けてきたのだ)


 星々を結んで架空の線を描くことで夜空に星座が現れてくるように、これまで見聞きしていたばらばらな出来事が明確な意味を持って再構成されていく。

 兄のいる音楽室から漏れてきた父の叱責の声。いつの間にか来なくなった音楽教師。体術や剣術の練習に励むティリアンに親戚の大人たちがことさらにかけてきた賞賛の声。親族が(つど)ってもその場に現れなくなった兄……。


 おそらく、一族の心ない大人たちが、兄に無神経な言葉をかけたのだ。あるいは、面と向かって言わなくても、皆が集まる席でそういうことを言い合っていたのかもしれない。それを聞いていた子供たちも、兄に直接いろいろとひどいことを言ったのだろう。さきほどの少年のような、意地悪な子供が。


 繊細な兄はそうした周囲の言動に傷つき、弟と比べられることが嫌になって……そして、ティリアンのことも、疎ましく思うようになってしまったのではないだろうか。


『……どうすればいいんだ』


 ティリアンは途方に暮れてつぶやいた。自分の存在が兄を苦しめているのかもしれないという気づきは、身を切られるような痛みをティリアンにもたらした。

 なんとか、分かってもらえないだろうか。自分が弟として兄を愛していること、兄のことを出来損ないなどとはかけらも思っていないこと、いずれ重責を担う立場となる兄を助けるためにこそ努力しているのだということを――。


 27歳になった今も、ティリアンは13歳だったあの日の自分が感じた痛みを鮮明に覚えている。


******


 結局、兄に対するティリアンの努力が実を結ぶことはなかった。

 何度も話そうとした。関係を修復しようと努力した。しかし、そのたびに兄から避けられたり鬱陶しそうに追い払われたりするうちに、ティリアンは諦めてしまったのだ。兄と面と向かって話すことを。昔のような笑顔を向けてもらえることを。そして別の道を――兄の前から姿を消すという道を選んだ。

 自分がそばにいなければ比べられることもない。自分がいないほうが兄の心が平穏でいられるなら、いなくなればいい。だから家族の反対を押し切って軍に入った。そして一度も帰ることはなかった。


 だが、今になって思う。もしかして、本当のところは、自分はただ逃げただけではなかっただろうかと。自分を拒む兄をこれ以上見たくなくて、兄の前から逃げ出しただけだったのかもしれないと。


 そして心のどこかで、いずれ兄も落ち着いて再び弟への親愛の情を取り戻してくれるかもしれないと願っていたのだ。公爵位を継いで立場が安定し、大人になった兄ならば、と。

 無意識のうちにそう期待していたからこそ、あえて一度も帰省せず、距離を保ちながらも、待っていた。時間が経ち、兄の気持ちが変化するのを。


 まさか――まさか、兄が突如としてその人生を終えてしまうなど、思いもしなかったのだ。


 兄が死んだという知らせは、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。戦場にいる自分が死ぬならともかく、なぜ兄が亡くなってしまったのか。兄の急逝を伝える手紙を震える手で握りしめながら、ティリアンは心がばらばらになるほどの後悔に打ちのめされた。


(諦めるのではなかった。逃げ出し、逃げたままでいるべきではなかった。兄の反応が怖くて屋敷に帰ることもないまま、いつか時間が解決してくれたらと根拠のない希望にすがるべきではなかった……!)


 いくら悔やんでも、もう遅かった。兄は死んでしまったのだから。


 ティリアンはグラスに口をつけ、残ったブランデーを一息に飲み干した。


 実際のところ、こうしていくら兄の死の調査に熱中したところで、兄が戻ってくるわけもない。兄との関係を修復する機会は永遠に失われてしまった。兄に伝えたかった言葉を届けるすべはもうなく、ティリアンの後悔を埋めてくれるものもない。この後悔の痛みを抱えながら生きていくしかないのだ。

 

 それでも調査を続けるのは、ひとえに兄の命を奪い去った憎むべき相手を見つけ出し、報いを受けさせたいという一念ゆえだった。


(いや、少しでも、最後に兄に何かしたいと……兄のために何かができたと、思いたいだけなのかもしれない)


 心の中で苦く笑う。


 向かいのハーディスは、ティリアンが物思いにふけっているあいだ、何も言わず静かにグラスをかたむけていた。ティリアンがランドールのことを考えているのに気がついているのだろう。

 ハーディスの思いやりに満ちた沈黙をありがたく思いつつ、ティリアンも黙って酒を注ぎ足した。


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