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公爵と情報屋 ~男装美少女は氷の公爵から一途に愛される~  作者: やまのみき
第2章 初夏

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クラブでの調査 3

 ふたつのグラスにブランデーを注ぎながら「すごい記憶力だ」とハーディスが感心したように(うな)る。


「まったくだ。あそこまで兄のことを答えてもらえるとは思わなかった」


「客のことを全部覚えているという噂は伊達(だて)ではなかったわけだ。たいしたものだな」


「職業上、覚えることが習い性となっているのだろうな。……王宮の呼び出し係のようなものか」


 貴族年鑑をそっくり暗記しているという噂のある王宮の人物を思い出してティリアンが答えると、「そうかもな」とハーディスが笑った。


「ここで一度何か少し特別なことを頼むと、必ずそれが把握されていて、次からは言わなくてもちゃんと出てくる。ほら」


 ハーディスはテーブルに置かれた小皿を指さす。そこにはアーモンドや胡桃(くるみ)などの木の実が入っていた。


「酒を飲みながらつまめるようにナッツをつけてくれと頼んだら、それ以来、私が飲むときは必ずついてくる。ちらりと従僕(じゅうぼく)に注文しただけなのに」


「ギボンズの采配がゆきとどいているのだろう」


「ああ。執事の(かがみ)だな」


 ブランデーを口に含む。いい銘柄を置いているようで、とてもおいしい酒だった。さすがは『アイヴズ』である。


「しかしそもそも、皆、ここに来て何をしているのだ」


 素朴な疑問をぶつけてみると、ハーディスは呆れたようにティリアンを見た。


「何を……と言われても、色々だ。知り合いと話したり、何か食べたり、酒を飲んだり……興がのればカードをしたり撞球(どうきゅう)をしたりもするし、賭け事をすることもある。『アイヴズ』の賭け帳は有名だぞ」


「ほかには?」


「ほかは……そうだな、私はよく新聞を読むな。さっきも言っただろう、ここに来るとうちで取っていない新聞も読めるから。図書室もあるぞ。まあ、たいていはがらんとしているが」


「どの客もみなそんな感じか?」


「そうだな、同じだと思う。ランドールだってそうだっただろう……カードや撞球はしていなかったらしいが」


「……兄がそんなふうにしているところは、確かにあまり想像できないな」


 ティリアンの記憶の中の兄は、たいていいつもピアノを弾いているか本を読んでいるかのどちらかだ。こういう紳士の社交の場に来てくつろいでいる姿を思い浮かべるのは難しかった。そう言うと、ハーディスも「確かに」と苦笑した。


「あいつはいかにもこういうところには来なさそうだ。おそらく、ラングドンあたりに引っ張ってこられていただけではないのか」


「あまり来なかったとギボンズも言っていたものな」


 ティリアンは手の中のグラスに視線を落とした。


 兄の死の調査をしていると、こうして兄のことを頻繁(ひんぱん)に思い出すのだが、記憶にある兄はほとんどこちらに視線を向けてはいない。ピアノや本、あるいは音楽教師など、自分ではないものを見ているのだ。思い出すのは兄の横顔や後ろ姿ばかりであることに、ふいに胸が締めつけられた。――そう、いつの頃からか、兄はティリアンを見ようとしなくなった。


******


 兄に(うと)まれ始めたのは、いつの頃からだったのだろうか。


 少なくとも、幼い頃は、普通に仲のいい兄弟だったと思う。兄の弾くピアノによく耳を傾けていたものだったし、そういうとき兄はティリアンに簡単な曲を教えてくれたりもした。星が好きだった兄は星座にも詳しく、夜の星空をふたりで見上げたこともよくあった。


 ティリアンは3歳年上の兄が大好きだった。細く長い指先で魔法のように美しい音楽を奏で、古い物語や伝説を情感豊かに聞かせてくれ、星座を教えてくれて、しでかした悪戯(いたずら)がばれて怒られるティリアンをいつもかばってくれた兄を心から愛していた。

 リールズ公爵家を継ぐという重責をいずれ担うことになる兄の助けとも支えともなれたらと願い、そのためにと日々の鍛錬や勉学にも励んだ。

 

 その想いがまっすぐに届かなくなってしまったのは、いつからだったのだろう。


 兄は長じるにつれてティリアンを疎んじるようになっていった。いつしか弟を避けるようになり、笑いかけてくれることも、ピアノを聞かせてくれることもなくなった。寄宿学校の年に二度の長期休暇のときも、いつも兄は家族から逃げるように私室にいてばかりで、誰とも話をしようとせずに自分の殻に閉じこもるようになってしまったのだ。


 母とはそれでもなんとか話していたようだったが、父やティリアンのことはあからさまに避けていて、気がつくともう、ティリアンは兄と向き合ってまともに話すこともできなくなっていた。


 兄からなぜ避けられるようになってしまったのか、その理由が分かったのは、13歳で兄と同じ寄宿学校に入学してからだった。兄と同じ学年に遠縁の少年がいて、入学して数か月経ったころ、その上級生と彼の友人たちに出くわして話しかけられたのだ。


『ティリアン! 久しぶりだな』


 ティリアンは軽く頭を下げた。親戚といってもさほど近い血縁関係ではなく、あまり親しい付き合いはない。一族の中では、本家の息子であるティリアンよりもはるかに格下の家系ではあるものの、寄宿学校では上級生と下級生とのあいだに軍隊さながらの上下関係があるため、校内では上級生である彼のほうが上の立場だ。


『ご無沙汰しています』


『相変わらず優秀なようだな。首席で入学したと聞いたよ』


『……はい』


『ランドールもさぞかし鼻が高いだろうな、優秀な弟を持って』


 友人のひとりが口にしたその言葉に、親戚の少年は馬鹿にしたような笑いを浮かべた。


『とんでもない。でき損ないの跡取りに、できすぎた弟、だからな。鼻が高いどころか、目障りで仕方ないんじゃないか』



 紳士クラブにおける『賭け帳』とは、会員どうしの賭け事について、その内容や支払い内容などを記したものです。

 たとえば、「AとBが馬車でレースを行い、負けたほうが勝ったほうにいくら払う」などといった感じです。

 賭け帳に記入し公開することで、勝負がきちんと遂行され賭けたものがきちんと勝者に支払われるようにするという意味合いがあります。負債を踏み倒すことは紳士の名折れとされ名誉を失うことになる行為でした。

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