クラブでの調査 1
ハーディスに会った翌日、ティリアンは予定通り昼食時にクラブ『アイヴズ』を訪れた。王都にはいくつかの紳士クラブがあるが、その中でも最も歴史が古く格式も高いところだ。会員になるにも制限があり、爵位や財産の有無を問われるほか、複数の会員からの推薦がないと入会できない。
それだけの価値があるからなのか会員権は相続の対象であり、ティリアンも公爵位を継ぐとともにここの会員権も引き継いだわけである。だがまだ足を運んだことは一度しかなかった。それも、相続に伴う手続きのためだ。まともに利用するのは今日が初めてといってよかった。
「いらっしゃいませ」
扉を開けた従僕に案内されて中に入ると、迎えに出てきた執事のギボンズが慇懃に礼をした。
半ば以上が白くなった灰色の髪をぴしりと撫でつけ、一部の隙もなく執事のお仕着せを着こなした、痩せた初老の男だ。
一見さほどの存在感があるようには見えないが、彼はこのクラブの屋台骨と言っていい人物だと聞いている。客たちの顔と名前、爵位や肩書を完璧に覚えている、歩く貴族年鑑ともいうべき人物だと。
「ティリアン・アースター、リールズ公爵だ。ハーディスはもう来ているか?」
「はい。お食事をされるとのことでしたので、あちらの席に案内させていただきました」
奥の方を示し、ご案内いたします、と言って先に立って歩き始める。
「そなたはいつからここでこの仕事をしている?」
「……これは驚きましたな」
ギボンズは振り返って苦笑した。
「わたくしのことを聞かれるとは。そうでございますね……もうかれこれ40年は、こちらにおりますでしょうか」
「……40年か。長いな」
「はい。二十歳になる前からずっとここにおりますので。さあ、こちらがお席でございます。パーセル卿、リールズ公爵閣下をお連れいたしました」
ハーディスが読んでいた新聞から顔を上げてティリアンを認め、軽く手を上げた。
「待たせたか」
「いや、もともとしばらくはひとりでゆっくりするつもりで、先に来ていたのだ。うちではとっていない新聞もここに来れば読めるからな」
ティリアンはハーディスの向かいに腰をおろした。かたわらのギボンズが、「それではお食事を用意いたします」と歩き去ろうとするのを、とっさに呼び止める。
「すまないが、少しだけ、聞きたいことがある。いいか?」
「……はい。なんなりと」
彼は足を止めて興味深そうにティリアンを見た。執事に質問する客など普通はいないのだろう。
「私の兄、ランドール・アースターは、よくここへ来ていたか? もし覚えていたら教えてほしいのだが」
「先代のリールズ公爵でいらっしゃいますね。……ご友人とともにお見えになったことはございましたが、それほど足をお運びいただいたということはございませんでした。おひとりでいらっしゃることもなかったかと」
予想通りの返事だ。ティリアンは重ねて質問をした。
「その、兄と一緒に来ていたという者たちを、覚えているか? もし覚えていたら、名前を教えてほしい」
「完璧にとは言えませんが、だいたいは覚えておりますよ。なんでしたらメモに書いてお持ちいたしますが」
「そうしてもらえると助かる」
「ではお食事を届けるついでにでもお渡しいたしましょう。しばらくお待ちくださいませ」
なぜそんな質問をしてくるのか、内心では気になっているだろうが、もちろん彼はそんなことを表に出すようなことはしない。丁寧に一礼して奥へ戻っていくギボンズの後ろ姿を何となく眺めながら、ティリアンは考えを巡らせた。
「……ティリアン、いちおう私からも、ラングドンが来たら教えてほしいとギボンズに伝えてある。都合よく今日来てくれるとは限らないが、あとで彼の行動に一定の決まりがないか聞いてみよう」
「そうだな」
ほかに何か執事に聞くことはないかとティリアンが思案していると、料理が運ばれてきた。ハーディスとふたりで世間話などしながらそれを食べ、そのあいだもまわりにいる男たちをそれとなく観察する。残念ながらほとんど見知った顔はいない。もっとも、ティリアンが見知っている社交界の人間など寄宿学校時代の同級生くらいのものなのだが。
「おまえはよくここへ来るのか」
「そうだな。母上がうるさかったときはほとんど毎日のように来ていた。最近は落ち着いてきたから以前ほど通わなくはなったが、それでも週に3、4日は来るかな」
「それは落ち着いてきたのではなく諦めたということなのではないのか」
「そうとも言うだろうな」
父親が亡くなってハーディスが爵位を継いだのは5年前のことだ。
自分たちの母と違って社交的で活発なハーディスの母親は、夫が亡くなった後も領地より王都にいるほうを好み、ふだんは王都の街屋敷で暮らしている。同じ屋敷に爵位は継いだもののいまだ独身の息子がいれば、うるさく結婚を言い立てるのもまあ当然だろう。ましてハーディスは一人息子で、家族内に相続人がいるわけではない。
「おまえも遊んでばかりいないでそろそろ身を固めたらどうだ。伯母上も安心されるだろうに」
こちらに戻ってきてから知ったことのひとつがこの従兄の行状で、彼は社交界でも名うての放蕩者として知られ、数多くの女性たちと浮名を流していた。
身分にも外見にも恵まれたハーディスが異性から引く手あまたなのは納得できるものの、それをいいことに遊び回っている姿には共感できない。妹のエレナにもよくない影響を与えるのではと案じることもあったが、幸い今年はエレナは公爵領でおとなしくしている。まだ喪中だからだろう。
ランドールの死についての調査さえなければ、ティリアンも一緒に領地に引っ込んでいたいところだ。夜会だの舞踏会だのの何が楽しいのかまったく理解に苦しむというのが正直なところだった。
「母上を安心させるためだけに自分の人生を葬るつもりはない」
「葬らなくて済む相手と結婚すればいいだけの話だろう」
「ひとりだけに貞節を誓うなど、それだけで葬られるのと同義だよ」
「……そんなことはないと思うが」
ハーディスはいかにも放蕩者らしい意見を述べてワインのグラスをあおった。やれやれと思いつつ、これ以上の意見は差し控えることにする。犯罪にでも走るとなれば何としてでも止めるだろうが、異性関係についてはどんな人生を選ぼうがハーディスの自由だ。
ハーディスは、正式にはパーセル伯爵ハーディス・レイノルズという名乗りになります。
この作品ではイギリスの貴族制度をだいたい踏襲した設定にしていますが、本家イギリスの敬称や呼びかけ方は、ほんと複雑怪奇なんですね……。
下の身分の者が上の身分の者に対して呼びかけるときにも細かい決まりがあり、たとえばティリアンは公爵なので「ユア・グレース」、伯爵のハーディスなら「マイ・ロード」となります。しかし、イギリスが舞台の物語ではないので、雰囲気を損なわずに本家とすごい齟齬をきたしもしない範囲かな、という感じにアレンジしています。
今回は、公爵には「~閣下」をつけ、侯爵~男爵には「~卿」をつけることにしています。
今後もいろいろな人物名が出てきますが、分かりづらい場合はそのつど後書きで補足していきたいと思います。
*正しい敬称や呼称については『英国執事 貴族をささえる執事の素顔』村上リコ著(河出書房新社)が詳しいです。




