公爵の結論 4
情報屋の兄弟が部屋を出ていき、しんとした沈黙が広がった。ティリアンは立ち上がって執務室の奥にある自分の机に向かった。そちらの椅子に腰をおろし、背もたれに身体を預けて大きく息をつく。
「……つくづく、こちらの常識が通じない相手だな……」
先ほどのルーシェの剣幕を思い出して苦笑が漏れる。もしも裏切ったら彼らのもとに憲兵を差し向けると口にしたティリアンに、弟のルーシェは痛烈な言葉を投げつけてきたのだ。
『公爵様、信用とか信頼ってのはね、片手に武器を持ったままじゃ生まれないんだよ』
『僕もリドリーも、仕事で知りえた秘密でひとを脅したりなんかしない。それを信じられないのなら、仕事を依頼しなきゃいい。それだけだ。どうして憲兵隊なんて脅しを振りかざすの?』
立ち上がってそう言い放ったルーシェの瞳は怒りに燃えていた。ティリアンはまたしても彼の矜持を傷つけてしまったのだ。
謝罪して矛を収めてもらったものの、もしまた同じことをやってしまったら、今度こそルーシェはもうティリアンを許さないだろう。そう思わせるほどの迫力が、あの小柄な少年からは確かに感じられた。
自分はどこかであのふたりを侮っていたのかもしれない。所詮は南街区の情報屋で、こちらに雇われている身であり、公爵たる自分に逆らうことなどできないのだと。
厳然たる力の差があるのだから、こちらに害をなすことはできない――それを彼らにわきまえてもらうために釘を刺したつもりが、思い知らされたのはこちらのほうだった。自分の浅慮を突きつけられ、まっすぐに切り返されて、ティリアンは何も言い返せなかった。ルーシェの言うことが正しいと分かってしまったから。
ティリアンとて、本気で彼らを脅したわけではない。あくまでも駆け引きの一環であり、あれくらいの会話なら上流社会では当たり前に見受けられるたぐいのものである。特に政治の場においては策略と韜晦は必須の素養で、相手の腹の底を読む探り合いや微妙な駆け引きができなくては、あっという間に溺れてしまう。
そして、それは何も男の世界に限ったことではなく、おそらく女性たちのあいだでも、そのような探り合いや駆け引きがおおいに繰り広げられているはずだ。もちろん男女間においても同様で、貴族どうしの会話に率直さや正直さなど誰も求めていない。
だが、あのふたりには――特にルーシェには、そのような手管はどうやら通用しないようだった。それだけ彼らは仕事に真摯な思いをもってあたっているのだろう。
それに、曲がったことはやらないというその姿勢は、自分たちの身を守るためのものでもあるのかもしれない。たやすくひとを裏切る人間は、またたやすく裏切られるものだ。依頼人を裏切らない情報屋という評判が結局は我が身を守る一番の盾であることを、あの兄弟はちゃんと理解しているようだった。
そうは言っても、この自分に――リールズ公爵たるティリアン・アースターに対して、まっこうからあらがってくる人間など、まずいない。そんな中で、あのルーシェの態度は、年若い少年のくせになんとも肝の据わったものだったと、ティリアンはあらためて感嘆せざるを得なかった。
(なかなかおもしろい子だな、あのルーシェという少年は)
出された紅茶やお茶請けをうっとりと堪能するところはなんだか微笑ましいし、ティリアンに厨房の料理人たちへの感謝の言葉を提案したときなど、なるほどこれがハーディスの言うところの『愛嬌』というものかと少し納得もした。
素直なたちの少年なのだろう、まっすぐに笑顔を向けてくれることもあるいっぽうで、ティリアンが彼らを侮辱してしまったときは、炎のような怒りをひらめかせる。くるくると変わるその表情が、なんとも新鮮だ。
とんとんと扉が叩かれ、少し開いたままの扉から女性使用人が入ってきた。リアンナのお気に入りのメイドであるティナだ。紅茶を淹れるのがとても上手で、所作も美しいため、来客にお茶を出す役目はたいてい彼女が担当している。
「失礼いたします。茶器の回収に参りました」
「ああ、頼む」
茶碗や皿をてきぱきと片付けていく彼女に、ふと思いついたことを尋ねる。
「ティナ。先日、情報屋のリドリー・フォートから聞き取り調査を受けただろう。どんなことを聞かれたのだ?」
いきなりそんなことを尋ねられて驚いたのか、ティナの肩が跳ねた。手にした紅茶のカップがかちゃりと音を立てる。
「は、はい。そうですね……ランドール様がどのようなお方だったか、どんなふうに一日を過ごしておられたか、使用人にはどのような態度で接しておられたか、訪ねてくる客はどのような方だったか……そのようなことを聞かれました。あと、それぞれの目から見て何か不自然だと思うようなことはなかったかということも聞かれました」
「そうか。……ちなみにそなたは最後の質問にはなんと答えたのだ?」
興味を覚えてさらに質問を重ねると、ティナは少し口ごもったが、素直に答えてくれた。
「あの……あまりにもピアノを弾いてばかりおられて、そのことにちょっと驚いたものですから、そうお伝えしました。別に不自然だと思ったわけではないのですけれど、普通の紳士の方々は、もっと、こう……社交の場に出かけられたり、紳士らしい娯楽を楽しまれたりするものだと思っていましたもので……」
「確かにそうだろうな」
父や親戚たちから音楽への情熱を否定され抑圧され続けてきた兄は、父が死んで当主になると、ようやく枷が外れたとばかりにピアノに耽溺したのだろう。
それは自分が爵位を引き継ぐことになったとき、顧問弁護士や秘書や領地の管財人たちからも聞かされたことだった。
『ランドール様は音楽に情熱を傾けられるばかりで、いくらお願い申し上げても、公爵としてなすべきことには目を向けてくださいませんでした』
顧問弁護士のジョーンズがため息交じりに告げた言葉を思い出して苦い笑みが浮かぶ。さまざまな問題がランドールによって放置されており、爵位を継いだティリアンはその後始末にも追われることとなったのだ。
今回、顧問弁護士や管財人たちがまっとうな人間だったからリールズ公爵家は揺らがずに済んだ。だが、もし彼らが、領地や財産の管理に対するランドールの無関心をいいことに私腹を肥やしたり悪事に手を染めたりしていれば、いったいどうなっていたことか。それを考えると未だに肝が冷える思いがする。
「兄は、そなたたち使用人にとっては、いい主人だったか?」
「……はい。特に目を向けてくださることはありませんでしたが、そのぶん叱責されることなどもなく、落ち着いてお勤めすることができました」
「そうか」
そんなふうに評されるところもなんとも兄らしかった。昔から、良くも悪くも兄は自分が興味を持った対象にしか注意を向けないところがあり、それは公爵となってからも変わらなかったようだ。
「ありがとう、下がっていい」
「かしこまりました」
茶器を載せたワゴンを押してティナが出ていくと、ティリアンはまた物思いに沈んだ。
(こうして兄上の死をめぐる調査をすることで、少しずつ、生前の兄上の姿が立ちあがってくるような気がする……。私の知らない兄上の生活をさぐっていけば、兄上が抱えていた秘密に迫ることができるだろうか……? そして兄上は、自分の秘密を暴こうとする私を、許してくれるだろうか……?)
答えの出ないその問いはティリアンの心の中に居座り、どうしても離れてはくれなかった。
第1章はこれで終わります。
次回から第2章です。爽やかな初夏を迎える王都で、ティリアンとルーシェリアもしだいに打ち解けていきます。




