公爵への報告 2
「ルーシェの話からいたしましょう。さっそく始めてもよろしいでしょうか」
「ああ」
ふたりの向かいの椅子に座ったティリアンの青い瞳がまっすぐにルーシェリアを見つめる。ルーシェリアは臆せずその瞳を見返し、口を開いた。
「僕は指輪の手掛かりを求めて、故買屋をめぐった。それから、お兄さんが殺された現場にも行って、いくつか興味深い証言を得た。まずは指輪のほうだけど……」
そのときノックをした小間使いが入ってきて、ルーシェリアはぴたりと口をつぐんだ。期待に満ちて振り返ると、彼女は今日もちゃんと三人分のお茶の用意を載せたワゴンを押していた。今日もあのおいしいお茶を飲めるんだ、と思わず笑みが浮かぶ。
ルーシェリアの表情を見たリドリーが吹き出しそうになって慌てて口を押さえ、その不審な挙動にいぶかしげなまなざしを向けたティリアンが、リドリーの視線の先をたどってまたルーシェリアに目を向けた。そして……なんと、彼まで思わずといったようすで表情をゆるめたのだ。いったい自分はどういう顔をしているのだろうとルーシェリアは頬を押さえてみた。
(特におかしな顔をしているつもりはないんだけどな)
ルーシェリアが内心で首をかしげているあいだに、小間使いは手際よく茶器をテーブルの上に並べていった。前回と同じ、得も言われぬ芳香がルーシェリアの嗅覚を刺激する。
今日はお茶の香りに混じってこんがりと焼けたパンの匂いもしていた。前回はパンに具をはさんだものだったが、今日のお茶請けは焼いたトーストに何かを載せたり塗りつけたりしたもののようである。どんな味がするのだろう。ルーシェリアの胸はときめいた。
「……そなたの弟は食べ物に多大な関心を寄せているようだな」
「……お恥ずかしいかぎりです」
え、と目を向けると、苦笑いしているリドリーと、いつもの冷たい表情がほんの少しやわらいだティリアンが、ふたりそろって自分を見つめている。
「……見ちゃだめだったの?」
思わずリドリーに尋ねたルーシェリアに、リドリーではなくティリアンが「いや、だめではない」と答えてくれた。
「微笑ましかっただけだ。さあ、食べてみたらどうだ?」
「うん」
おなかのすいていたルーシェリアは紅茶よりも先にパンに手を伸ばした。
ひとつ取ってかじると、さくっという心地よい歯ごたえと、ねっとりしたバターのこくと木の実の香ばしさ、そして心地よいわずかな甘みが口の中いっぱいに広がった。このおいしさは何だろう……ルーシェリアは感激にうち震えながらもぐもぐと咀嚼した。
「公爵様、おいしすぎて泣きそう」
「……泣かなくていい」
答えたティリアンの口もとにかすかな苦笑が浮かぶ。
「ねえこれ、何の味なの?」
半分になったパンをかかげてみせると、ティリアンは自分の皿に載った同じものを手に取ってかじった。
「バターと細かく砕いた胡桃を混ぜ、はちみつで少し甘みをつけたペーストだと思う」
「へええ……すごいね、こんなにおいしいものが作れるなんて」
ルーシェリアは幸せにひたりつつ残り半分を口に入れた。食べ終えると紅茶に手を伸ばす。
「ルーシェ、ミルクは?」
「あ、欲しいな……ありがとう」
カップを持ち上げたところですぐに動けなかったルーシェリアの代わりに、またティリアンが立ち上がってミルクを入れてくれた。澄んだ紅茶の色がとろりと濁る。そうっと口をつけると、ミルクでまろやかになった香り高い紅茶の味がルーシェリアを至福の境地にいざなった。目を閉じてうっとりと味わう。
「お、おいしい……」
「……それはよかった」
何となく声に笑いがにじんでいるような気がしたが、構わずルーシェリアは次のパンに手を伸ばした。ふたつめのパンはぴりっと香辛料の効いた肉のペーストのようなものが塗られていて、肉のこってりした脂のこくと塩辛さがパンにちょうどよい。
「おいしいものを作れる人って神様の祝福を一番受けてしかるべきだよね」
「……帰るときにその熱い感動を直接、料理人に伝えたらどうだ。彼らも喜ぶだろう」
「僕なんかが言ったって喜んでくれるかなあ。公爵様なら喜ばれるだろうけど。よかったら後で一緒にお礼を言いに行かない?」
公爵家の使用人なのだから、雇い主であるティリアンから言葉をかけられたほうが、料理人たちも嬉しいし光栄だろう。そう思って何気なく誘ってみたのだが、ティリアンもリドリーも絶句してしまった。まずいことを言ってしまったのだろうか。
「……悪くない案だな」
幸い、ティリアンは怒るでも迷惑がるでもなく、むしろ少しおもしろがるような顔をして、そう言ってくれた。ルーシェリアの横でリドリーが目を剥いたが、ルーシェリアは「でしょ?」と勢い込んでうなずいた。
「きっと公爵様に声をかけてもらったら、みんな喜ぶと思うよ」
「喜ぶかどうかは分からないが……確かに、自分が口にするものを作ってくれる者たちの顔を見たこともないというのは、あまり褒められたものではなかったな。一緒に行って、感謝の念を伝えることにしよう」
この人って貴族だけど意外と話の分かる人だよね、とルーシェリアはにこにことティリアンを見た。自分の提案を一笑に付されなかったのが嬉しい。
「……ルーシェ、あまり食べ物に夢中にならず、そろそろ話を始めてくれないか」
これ以上ルーシェリアが何かまた突飛なことを言い出すのを恐れているかのように、リドリーが横からせっつく。分かったよ、とルーシェリアはまたひと口紅茶を飲んでから、おもむろに話し始めた。
「故買屋をあたってみたけど、今のところ指輪の情報はまったく上がってきていない。公爵様の描いてくれた絵を見せて、この指輪を探してる、情報料ははずむ、って餌をまいてきたから、そのうち何か反応はあるかもしれないけどね」
「そうか」
「ただ、ひとつ、僕たちがまるで考えていなかった可能性を、ある人から指摘された。持ち主が指輪を誰かに贈ったかもしれない、という可能性だ。彼女が言うには、指輪は特別な意味を持つ装身具だから、もし特別な好意を持つ相手がいたなら、そのあかしとしてその相手に贈った可能性もあるのではないかって」
「……なるほどな」
ティリアンが考え込んだ。
ルーシェリアが貴族に対してリドリーのような丁寧な口調で話さないのは、ふたりの役割分担からくるものです。そういう配慮がまだできない子供だという印象を与えるためと、多少ずばずばとものを言っても許されるようなキャラづくりのためです。
逆にリドリーは身分のある顧客に対してはきちんとした言葉遣いと丁寧な物腰を駆使して、相手に『南街区の情報屋なのにきちんとしている』という印象を持ってもらえるようにふるまっています。




