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公爵と情報屋 ~男装美少女は氷の公爵から一途に愛される~  作者: やまのみき
第1章 春

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マドロン地区再訪 3

「あ、ありがとう。いいの?」


「ああ。よく働いてくれたじゃないか」


 あらためて見回してみると、店内の半分ほどにははたきをかけ終わっていたようだ。じゃあちょっと休憩しようかな、とルーシェリアはいそいそとカウンターに向かった。先週と同じように、お茶だけでなくパイも添えられている。


「またパイがある。食べていいの?」


「もちろんさ。たっぷりおあがり」


「ありがとう! じゃあ、いただきまぁす!」


 ルーシェリアは目を輝かせてパイにかぶりついた。今日のパイはなんとミートパイだ。挽肉が多い、夢のように贅沢なパイで、あまりのおいしさにルーシェリアは泣きそうになった。


「り、リーサさん、おいしい……! めっちゃおいしい!」


「うちの息子の好物でね。たまに焼くんだよ」


「息子さんって、シドのこと?」


「ああ。まあ、息子たちはみんなこれが大好物だけど。あたしには4人の息子がいるが、やっぱり男は肉が好きだね」


「そっか、シドだけじゃないんだね」


「あの子は長男さ。弟たちの面倒をそりゃあよく見てくれたよ」


「リーサさんのことも大事にしてるみたいだもんね」


 マドロン地区を牛耳る顔役のひとりではあっても、家族を慈しむ気持ちは持っているようだ。いったいどんな男なのだろうか。しかしそれは自分が詮索するべきことではない。ルーシェリアは本来の案件に頭を切り替えた。


「そういえば、先週聞いた指輪のこと、何か分かった?」


 期待を込めて尋ねてみたが、リーサは「いいや」と首を振った。


「今のところ、そういう指輪を見たっていう情報も、工房に持ち込まれたって話も聞かないねえ。誰かがしまい込んでるのかもしれない。目立つ品のようだから、誰かが見たら覚えていそうなものだけど」


「そうだね。うーん、故買屋の線じゃないのかな?」


 ルーシェリアは首をひねる。そうだね、とリーサも相槌(あいづち)を打った。


「持ち主が誰かに売り払ったというなら、そもそも本人に聞いてその店をあたればいいんじゃないのかい?」


「それができないから困ってるんだ。手放したであろうひとはもう死んでて、どうなったのかが分からなくて。遺品の中に見当たらないから、売り払ったんじゃないかと仮説を立てただけなんだよ」


「なるほどね……」


 リーサはごくりと紅茶を飲み、少し考えていたようだったが、やがて口を開いた。


「身辺から確かになくなっているというのなら、いくつかの理由が考えられる。あんたが考えてるように、売り払われたというのがひとつ。もちろん、奪われたのかもしれないし、単純になくしただけかもしれない。でも、ほかに大いにあり得る理由として、誰かに贈り物として贈ったというのも考えられるさね」


「……最後の線は考えてなかった」


 ルーシェリアは感心してつぶやいた。何を言っているんだい、とリーサが笑う。


「大切な指輪を大切な相手に渡すというのはよくあることじゃないか。上流階級では結婚に際してご大層な指輪を取り交わすらしい。中流階級の者たちも、甲斐性のある男なら花嫁にちょっとした指輪を贈るもんだ。だからその人物も、愛のあかしとして、誰かに贈ったのかもしれない」


「なるほど。その可能性も考えてみるよ。ありがとう、リーサさん、一緒に考えてくれて」


「なんのなんの。あんたはまだ子供だから、そういうことがぴんと来ないだろうけどね、老人には年の功ってもんがあるから。たまには役に立つんだよ」


 掃除には役立たないけどね、と苦笑したリーサに、「掃除なら僕が役立てるからいいんじゃない?」とルーシェリアも笑う。そんななごやかな雰囲気の中でふたりは和気あいあいとお茶を楽しんだ。リーサは、息子たちの子供の頃の逸話(いつわ)をいくつか披露して、ルーシェリアを大笑いさせた。


「まったく、男の子ってのは、生きてるだけで上等だと思わなきゃ、やってられないよ」


 笑いすぎて涙を浮かべたルーシェリアはしみじみと「そうみたいだね」とうなずいた。


「すごいね、リーサさん。そんな男の子を4人も育てて」


 しかも実の子ではないはず――少なくともシドは拾われた孤児だったはずだ。きっとシドも、リドリーに拾われたルーシェリアのように、リーサに愛されて育ったのだろう。だからこうして大人になった今でも、養母としてリーサを大切にしているのだ。

 そう思うと、なんだかシドがそれほど悪い人間ではないような気がしてくる。実際にはこのマドロン地区の顔役のひとりなのだから、ただの善人であるはずもないのだけれど。


 楽しくおしゃべりしている間にずいぶん時間が経ってしまったようで、ふと時計を見たリーサが「おや、もうこんな時間だ」と慌てたように声を上げた。

 カウンターの奥の壁に掛けられた柱時計の針は4時半を指している。南街区の家に時計があるのは珍しいが、この店なら資金力に問題はない。驚くほうがおかしいのだろう。


「このあと、ちょっとした仕事があるんだよ。そろそろお帰り、ルーシェ」


「うん。長居しちゃってごめんね」


 ルーシェリアは腰を上げた。


「いや、楽しかったよ。あれかい、また来週も来るのかい?」


「まだ掃除が全然終わってないんだもの。来てもいいなら来るよ。どう?」


「じゃあ、来てもらおうかねえ。またパイを焼いておこう」


 リーサは目を細めた。え、パイ!? とルーシェリアはその餌に飛びつく。


「じゃあ絶対来るよ。今日はほうきの出番もバケツと雑巾の出番もなかったしね。まずははたきをかけるのを終わらせないと」


「ははっ、よろしく頼むよ。気をつけてお帰り」


 今日はランタンを持っていないので、日のあるうちに帰らないといけない。ルーシェリアはもう一度礼を言うと、リーサの店を後にして家路についた。


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