マドロン地区での聞き込み 2
「近くにそういう場所があるんだろうね。うちの店には来ないけど、このあたりで、よく身なりのいい男を見かけることがあるのは確からしいよ。もちろん昼間じゃない、夜中だ。誰かが言っていた。殺されたのも、そういう男のひとりなんだろうって」
へえ、とルーシェリアは目を丸くした。
「すごい、お姐さん、よく知ってるね。それにしても、なんでそんなよそ者がこのへんにいるんだろうか」
「よそ者なんていっぱい来るよ」と女が鼻で笑った。
「夜にマドロン地区を歩いてみたら分かるだろうけど、意外とよそ者はいるもんさ。いかにも金を持っていそうな男たちだ。どうせ、ろくでもないことをしに来てるんだろうけどね……普通じゃないしろものを賭けて遊ぶ賭場とか、特殊な嗜好を持つ男のための娼館とか、後ろ暗い商品の取引とか……この地区に来る理由なんてろくなもんじゃない」
「賭場や娼館、か。この近くにもあるの?」
「そりゃあ、あるさ。正確な場所までは知らないけどね。マドロン地区に住むために大事なことはね、ぼうや、知らなくていいことには絶対に首をつっこまないことだ。ぼうやも、場所を聞いて回るのはよしたほうがいい。そういう場所を仕切っている男たちに睨まれちまうよ」
確かに、明らかに後ろ暗いことをしているからこそ隠れるように営業しているのだ。そういう施設のことを嗅ぎまわる者がいれば警戒されるのは当然だろう。ルーシェリアはおとなしくうなずいた。少なくとも自分ひとりでできることではない。
「お姐さんの言うとおりだね。場所については僕は調べないほうがよさそうだ」
「ああ。その殺された男も、なにかやらかして、そういう奴らに殺されたんじゃないかね」
「……なんでそう思うの?」
やけに確信のある口調にひっかかったルーシェリアが問いかけると、女は、ははん、とせせら笑った。
「さっき言っただろう。よそ者はろくでもないことをしに来るやつらばかりだって。でも、要するに、彼らは何らかの形で<客>なんだよ。分かるかい?」
「賭場や、娼館や、取引の、客ってことだね」
「そう、そういうことを仕切っている奴らの客だ。よそ者は奴らの金づるなんだよ。だから、地元の住人は、いくらそいつらが金持ちそうに見えたって、絶対に手は出さないもんさ。後ろに奴らがいるってことを知ってるからね。つまり、その<客>に何かをするのなら、それは奴らの仕業だよ」
「奴ら、ね……。ねえお姐さん、このへんって誰の縄張りなの? もし差し支えなければ、教えてもらえないかな」
「……いちおう、シドの縄張りってことになってる。実際に仕切ってるのはシドじゃなくてその配下の誰かだけどね」
「誰かって……」
「そこまでは知らない。知らなくていいことだからね」
女は疲れたようにそう言い捨てると、大きく伸びをした。
「あんたも、あんまりいろんなことに首をつっこむのはやめたほうがいいよ」
「そうだね。色々と教えてくれてありがとう。さあ、もうちょっと座っててよ。お礼に掃除しておくからさ」
ルーシェリアはさっさと奥へ行き、床を掃き始めた。
さほど広い店ではなかったので、掃く作業はしばらくしてあっさり終わった。掃き集めたごみを戸外に掃き出すと、机の上から椅子を下ろして元通りに直す。
「これでいいかな?」とほうきを返すと、ありがとうよ、と女が苦笑した。
「ちょっと話をしただけなのに、悪いね」
「ううん、参考になったよ。もしこの事件のことで何か思い出したり、他のひとに聞いた新しいことがあったりしたら、また教えてね」
「ああ、心がけとくよ」
「ありがとう。じゃあ、またね。来週あたり、またちょっとのぞかせてもらうかも」
ルーシェリアは事件の現場の場所を教えてもらってから、女に手を振って店を出た。店を出て右に曲がり、路地をまっすぐ歩く。しばらく歩いたところで足を止めた。
「たしか、このあたりだ……」
翌日にはまだ血の汚れが残っていたというが、もう4か月も前のことだ。雨風で洗い流されたのだろう、土埃の舞う路面にはまったくもう何の痕跡もとどめてはいなかった。
それでも、ここでひとりの人間が殺されたのだ。何者かの悪意と暴力によって唐突に人生を断ち切られた青年のために、ルーシェリアは両手を組み合わせ、こうべを垂れてしばし祈りをささげた。
「何やってるんだい?」
後ろから突然声をかけられ、驚いて振り向く。視線の先にはふたりの女が立っていた。年はさっき酒場にいた女性と同じくらいだろう。ふたりとも買い物籠をぶら下げている。市場からの帰りなのだろうか。
「あ……ここで人が殺されたって聞いて、いちおうちょっとお祈りを……」
もごもごと言い訳する。ああそういえば、とひとりの女がうなずいた。
「ずいぶん前のことだろうに。まさかあんた、関係者か何かかい?」
うさんくさいと雄弁に語る目つきで、上から下までルーシェリアをじろじろと見回す。ルーシェリアは慌てて首を横に振った。
「違うよ、全然関係はないんだけど、あの、ちょっとそのことについて知りたいというひとがいて、調べてるんだ」
「……調べてる?」
「そう。どんなひとだったのか、殺されたときの手がかりが何かないか、そんなことをね。何か知ってる?」
ふたりの女は顔を見合わせた。
「手がかりって言ってもねえ……」
「どんなって、よそ者だったということくらいしか、このへんの者たちは知らないと思うよ」
「うん、そうだよね。それは分かってるんだ。まあ、いちおうってことで。あのさ、誰が最初にそのひとを発見したのか知らない?」
「それなら分かるよ。まあ、このへんの住人ならみんな知ってるけどね」とひとりがうなずく。
「うちの並びの路地に娘夫婦と一緒に住んでる爺さんだ。その爺さんが娘の旦那に知らせ、その旦那が憲兵局の詰所に連絡したって聞いたよ」
「そうなんだ。あの、そのおじいさんの家、教えてもらえないかな?」
「あんたも物好きだねえ。まあいいさ、ついておいで。帰るところだから」
ふたりの女はまた歩き出した。ルーシェリアもそのあとについて歩いていく。
南街区の中でも特に治安の悪いマドロン地区に住む者は、ルーシェリアやリドリーが住んでいるあたりの住人よりもさらに貧しいことが多い。この女たちも、ルーシェリアの周りに暮らすほかの女性たちよりも明らかにみすぼらしい服を着て、しわの目立つ顔には生活の労苦が色濃く刻まれていた。
粗末な木靴が汚れた路地の土を踏みしめる鈍い足音が響く。薄暗い路地に入っていくふたりにルーシェリアは内心でうろたえたが、こちらから願い出た手前、今さら断ることもできない。
「ここだよ、ほら」
幸い、細い路地に入ってさほど進まないうちに、女のひとりが左手の建物を指した。薄汚れた木造の建物だ。
「ここの二階の部屋に住んでるはずだ。話を聞きたいんなら行ってきな」
「あ、ありがとう」
ルーシェリアはふたりにぺこりと頭を下げ、礼を述べた。女たちは表情を変えないままうなずくと、そのまま路地を進んでいった。ルーシェリアは建物の前に立って、うむむ、としばし考える。
「……場所は分かった。ここは、いったん引くべきかもな……」
知らない建物の中にひとりで入るのは、あまりに不用心だろう。例えば男に手をつかまれてどこかの部屋に引きずり込まれでもしたら、ルーシェリアにはもうどうしようもない。調査を進めたい気持ちはあるが、リドリーと一緒に入るべきだろうと結論づけて、ルーシェリアはそっと路地を引き返した。もとの通りに出てほっと息をつく。
「今日はひとまず戻ろう。リドリーと相談しなきゃ」
ルーシェリアはそうつぶやいて、足早にそこを後にした。




