図書室での出来事 3
「うわっ」
「ルーシェ!」
ティリアンはとっさにルーシェに手を伸ばした。あやういところで間に合い、落ちてきたルーシェの身体を抱きとめる。
その感触にふと違和感を覚えたが、腕に抱いたルーシェを見た瞬間、それまで頭にあったことはすべて吹き飛んでしまった。
「……ルーシェ……!?」
落ちたはずみにいつもかぶっている帽子が脱げ、長い髪が滝のように流れ落ちていた。だがそれだけではなく、いつもは帽子で隠れていたルーシェの顔もあらわになっていたのだ。
くしゃくしゃの髪はところどころ汚れてはいるが美しい金色だ。まるで月光を紡いだような、妖精のような髪だった。そして顔も――ティリアンが驚きのあまり息を呑んだほどに美しかった。
14歳という年齢のわりにはかなり大人びた顔立ちだ。長い睫毛にふちどられた大きな瞳は極上のサファイアさながらに青く澄み切っていた。上気した頬はほのかに赤く、ふっくらとした唇は紅をさしたかのように色づいている。
肌は全体的に薄汚れていたが、ティリアンの服がこすれてその汚れがとれてしまっている部分ができていて、そこからはみずみずしく白い本来の肌がのぞいていた。
髪だけでなく、顔立ちもまた、妖精さながらの美しさだ。ティリアンは今までこれほど美しい子を見たことがなかった。
「君は……」
言葉を失って呆然と腕の中のルーシェを見下ろす。まるで伝説に出てくる妖精の取り替えっ子のようだった。自分がよく知っているはずだった少年と、ここにいる妖精のような美貌を持つ生き物が、突然入れ替わってしまったような――そんな錯覚にとらわれて、ただ少年の素顔を凝視する。
ティリアンと同じく、こちらを見上げていたルーシェもしばし呆然としていたようだったが、はっと我に返ったのか、両手でティリアンの胸を押した。
「あ、ありがとう、公爵様。もう大丈夫だから、おろして」
「……ああ」
ティリアンはルーシェの身体をそっと下ろした。ルーシェは慌てたようにまわりを見回し、帽子を見つけるとぽすっとかぶり直した。背中に流れる金髪を乱暴にねじってまとめ、ぶかぶかの帽子の中にぎゅっと押し込む。
あの不格好な帽子はずいぶんなものを隠していたのだな、とティリアンはまじまじとルーシェを見つめた。
「……君の髪がそんなに長かったとは知らなかった」
「女みたいって言いたいんだろ。分かってるよ。でもリドリーが切るなって言うから……」
「ほう。なぜ?」
もしやリドリーは髪の長い美少年が好きなのだろうかと一瞬埒もないことを考えてしまったが、次の答えはいかにもこの兄弟らしいものだった。
「この髪ならそれなりの値段で売れるからって。食う物に困ったら売れ、それまではもったいないから切るなと言われてるんだ。僕だって本当は切りたいけど、いざとなったら金になるものだと思うともったいなくて……なにしろ元手がタダだから……」
ルーシェの情けなさそうな声に、ぷっとティリアンは吹き出した。なんともたくましい商魂だ。
「なるほど、いざとなれば髪を売るのか。リドリーはおもしろいことを思いつくのだな」
「まあね。リドリーは賢いから」
「……その、顔も……隠しているのか……?」
ティリアンの問いに、ルーシェが用心深い表情を浮かべてこちらに向き直る。
「……うん。これも、リドリーの発案なんだ。……リドリーが言うには、僕の顔は綺麗だから、悪いやつに目をつけられないように隠しておかないといけないって」
「……ああ」
「貧民街では、美しさは祝福なんかじゃない。呪いだ。僕もリドリーも、そういう例を嫌というほど見てきた。見目のよい子は……男だろうと女だろうと、みんな悲惨な目にしか遭わない。誰かにつかまって売り飛ばされたり、地域の顔役みたいな奴に狙われてさらわれたり、悪党どもに目をつけられて慰み者にされたり、親やまわりの大人に身体を売らされたり……分かるだろう?」
もはや何も言えず、ティリアンは黙ってうなずいた。自分とてこれまでずっと綺麗な世界だけに身を置いていたわけでもない。10年間の軍での生活のあいだにずいぶんいろいろな場所を見てきた。
ルーシェが生きているのは、その中でも底辺に近い弱肉強食の社会なのだ。そういった場では、確かにこのような容貌の少年は格好の獲物にしかならないに違いない。
「だからリドリーは、僕が小さい頃から、ずっとこんなふうに、僕を隠し続けてくれた。髪や肌を煤で汚したり、顔を隠せるように前髪を伸ばしたり、大きな帽子をかぶらせたりして、人目につかないようにしてきたんだ」
「リドリーの賢さが、君を守ってきたんだな」
「うん」
うなずいたルーシェは、真剣な顔をしてティリアンを見つめた。
「公爵様なら、きっとよからぬことを考えたりはしないと思う。……でも、お願いだ。どうか今日のことは見なかったことにしてくれないかな」
「約束する。誰にも言わない」
ティリアンがうなずくと、ルーシェはほっとしたように笑顔を見せた。そう言った以上、彼はその約束を守るだろうと、ルーシェは思ってくれているようだった。
その笑顔が、ルーシェが自分を信頼してくれている証拠のように思えて、ティリアンの胸の中が何かあたたかいもので満たされる。
「ありがとう」
はにかんだようにそうつぶやいたあと、ルーシェははっとまたまわりを見まわした。今度はどうしたのだろうと思っていると、そばに落ちていた本を拾い上げて、あの宝玉のような大きな瞳でティリアンを見上げた。
「公爵様、ごめん。……あなたの本なのに、結局落としてしまった」
「……ああ」
脚立の上でルーシェが夢中になっていた本だ。いったんは手に取ったはずだったが、落ちたときにまた放り出されてしまったのだろう。




