図書室での出来事 2
「……あ、あの……別に今じゃなくてもいいんだけどさ、あの……」
妙に歯切れが悪い。いつもの明朗なルーシェとはずいぶんと違う態度に内心で驚いていると、ルーシェは思い切ったように顔を上げ、そして小さな声で言った。
「あの、また公爵様の時間があるときに、少しでも、そういう話をしてくれないかな?」
よく見るとルーシェの顔がなんだか赤いような気がする。
「そういう話……ああ、君は戦いの話が好きなのか」
男の子はみな、そういう勇ましい話が好きなものだ。てっきりルーシェもそうなのかと思ったのだが、意外にもルーシェは首を横に振った。
「えっと、戦いの話が特に好きなわけじゃないけど……物語ってものが、すごく好きなんだ」
「物語が好きというのは、本が好きということか? それとも、だれかにそういう話を聞くのが好きなのか?」
「どっちも大好きだよ。特に本は、ものすごく好きなんだけど、貸本屋で本を借りるのがめったにできないから……。だから、昔の物語とか、伝説とか、そういうのを聞くだけでも聞いてみたいんだ」
「……そうか」
ティリアンは目の前の少年を見つめた。顔を赤くするほど緊張しながらも、それでもティリアンに請わずにはいられないほど、彼は物語というものに飢えているのだろう。
早くに両親を亡くしたルーシェには、暖炉の前で両親や祖父母の語る昔話を聞くという牧歌的な思い出があるはずもなく、彼の言う通り、本はおいそれと庶民が手に取れるものではないから、本を読んだことなどもおそらく片手で数えられるほどでしかないのではないか。
「もちろん、話してやってもいいが……もっといいことがあるぞ」
「え、なに……?」
驚いた様子の少年に、ティリアンは微笑みかけた。
「この屋敷には図書室がある。本が好きならうちの図書室を見せてやろうか」
「ほんと!? ぜひ見たい!」
飛び上がらんばかりに喜び、素直な笑顔を見せるルーシェが微笑ましくて、ついまじまじと見ていると、少し顔を赤くしたルーシェがぷいと視線を逸らす。
(大人びたところもあるが、こういうところは年相応というか、可愛いものだな)
先日、素直さにときどき癒やされるとつい本人に向かって言ってしまったばかりだが、こういうところを見るとそんな思いを新たにする。浮かべた笑みが深くなるのが自分でも分かった。
執務室を出て図書室に案内すると、壁を埋め尽くす書棚を見てルーシェは歓声を上げた。
「わあ! すごい量だね。まるで中央街区の大通りの貸本屋みたいだ!」
「…それほど多くはなかろう」
ルーシェは夢中で書棚のひとつに駆け寄っていった。書物というものによほど飢えているのだろう。それも当然で、印刷技術の進歩のおかげで普及しつつあるとはいえ、本はまだ安いものではなく、庶民が気軽にぽんと買える品ではない。
ルーシェが目を輝かせながら書棚に手を伸ばし、あれやこれやと書物を物色しているようすは、小さな子供が色とりどりのお菓子の前でどれを食べようかとうっとりしているさまに似ている。見ているだけでこちらまで楽しくなってくるような、きらきらとした純粋な喜びが、全身からあふれ出ていた。
(……これほど喜んでくれるのなら、連れてきた甲斐もあったというものだ)
そんなルーシェを眺めるのはなんだかひどく楽しい。ティリアンはいささか不本意ながらもそう認めざるを得なかった。
「ねえ、どういう順番で並んでいるの?」
「だいたい分野別だ。領地経営に関わる分野が多いかな。農業、工業、地理……。兄の趣味で、文学作品もそれなりにある」
「そうなんだ。僕でも読めそうな本はあるかな」
「私や兄が子供の頃に読んでいた本がいくらかあったと思う。もう読まないから上の方に移動させているかもしれない。公爵領に置いてあるほうが多いが、こちらにも残っているはずだ」
ティリアンも書棚に近づいて子供時代に読んでいた本を探した。一番窓際の書棚の上段にまとめて置かれているのを発見し、「あそこだ」と指さす。ルーシェが飛んできた。
「どれ?」
「あの上段にある分だと思う」
「あんな高いところの本、どうやって取るのさ」
「あそこに脚立があるだろう。あれに登って取るのだ」
そう言うとルーシェはさっそくその背の高い脚立に走って行って手をかけ、引っぱり始めた。自分の背丈よりも大きい脚立を引きずろうと苦戦しているのを見かねて手伝ってやり、目当ての書棚の前に据えてやると、「よいしょ」とのぼり始める。
「適当に面白そうだと思ったものを持って降りてくればいい」
「分かった」
ルーシェは脚立の一番上にちょこんと腰かけてさっそくその棚の書物を物色し始めた。ティリアンも、この機会に何冊か気になっていた本を探しておこうと思い立ち、別の書棚へ向かった。
しばらく自分の捜し物や読書に没頭したあと、ふと顔を上げると、ルーシェは脚立の上で一心に何かの本を読みふけっていた。表紙に見覚えがある。昔によく読んだ冒険物だ。懐かしいな、と思いながら近づいて声を掛けた。
「ルーシェ、選び終わっているなら降りてこい。ずっとそこだと危ない」
びくっとしたルーシェが、夢から覚めたように辺りを見回した。本に夢中ですっかり状況を忘れていたらしい。よほどあの本が面白いのだろう。用心深い彼にしては珍しいなと笑みがこぼれる。
ルーシェはティリアンを決まり悪げに見て「ごめん、つい……」と慌てて降りようとして、そのひょうしに本を落としそうになった。
そのままにすればいいものを、なんとルーシェは「あっ」と手を伸ばしてそれをつかまえようとした。当然のことながらぐらりと身体が傾く。ルーシェの小柄な身体が宙に浮いた。




