図書室での出来事 1
ルーシェをテンペストに乗せてやった次の週に、またルーシェがやってきた。バリー・ギブソンが昨夜マドロン地区に行ったという重要な情報をたずさえて。
「マドロン地区で馬車を降りたことは確かなんだけど、ゆうべはそこまでしかさぐれなかった。尾行がばれないよう、近くに停まったりできなかったから」
「ああ。ギブソンがそこへ行ったというだけで十分に有力な情報だ。私が南街区という言葉を出したときに反応した理由もこれで分かった」
ティリアンは腕を組んで考え込んだ。ただのおとなしい青年貴族にしか見えなかったギブソンが、いったい何のために南街区、しかもよりによってマドロン地区などに足を運んでいるのか。
「以前君が言っていたことに従うなら、彼の目的は、後ろ暗い商品を闇で取り引きする場所か、特殊な娼館か、よそではできないような賭けができる賭博場か……そんなところだろうか」
「うん、そんなところなんじゃないの。その中で一番お金のかからないものって、何だろう」
「普通は娼館だろうが、どうしてだ?」
「何度かバリー卿のお屋敷に行商人として茶葉を買いに行ってるでしょ。そのときの世間話で、何となく聞き出したんだ。バリー卿はそれほど小遣いをもらっていなくて、金遣いも荒くないって」
ちょっと得意そうなルーシェがなんだか可愛い。しかしたいした情報収集力である。ティリアンは片眉を上げた。
「よくそんなことを聞き出せたな」
「ほかのお屋敷の噂話を交えて話すのがコツだよ。とあるお屋敷のおぼっちゃまは金遣いが荒くて親が困ってるけど、ここはそんな感じじゃないそうですねって言ったら、うちの若様は品行方正な方ですからそんなことはございませんって家政婦頭さんが自慢そうに教えてくれた。使用人たちにも優しい、いい若様ですってね」
「ほう」
「奥様がきっちりした方で、賭け事なんかに金を使い込まないよう、息子が自由に使えるお金をあまり多く設定していないんだって。奥様のことも自慢みたいで、いろいろしゃべってくれたけど」
使用人から評判のいい主人というのはあまり多くないように思うが、ギブソン子爵夫人も跡取り息子のバリーも、少数派に属するようだ。
子爵夫人のことは知らないが、息子のほうはなるほど穏やかで人のよさそうな男で、それはアリンガムやラングドンなど、兄の親しかった友人たちに共通する性格だった。貴族の子弟としては相当変わり者だった兄を受け入れてくれる人間となると、必然的にそういう性格の者たちだけだったのかもしれない。
「だから、一番お金がかからないのは何かなって聞いてみたんだ。娼館に通うくらいなら彼の小遣いでもなんとかなるの?」
「……私に娼館の値段の相場を聞かれても困るのだが」
「僕よりは公爵様の方が分かるでしょ。行ったことくらいあるだろうしさ。で、どう? 娼婦を買う値段って、控えめな小遣いでもなんとでもなるようなものかな」
こんな少年の口から娼館だの娼婦を買う値段だのという言葉がぽんぽん出てくることに違和感を禁じ得ない。だがこれは社交界での礼儀正しく慎み深い会話ではないのだ。ティリアンは眉を寄せながらもとりあえず返事をした。
「相場などあってないようなものだと思う。娼館によっても違うし、娼婦によっても違う。自分のふところ具合に応じて選ぶというものではないのか」
「うーん、お金がないから南街区の娼館まで行ってたってこと?」
「……それはどうだろうな。いくら何でも値段だけで南街区までは行かないだろう。控えめだと言っても貴族の嫡男に渡す小遣いがそれほど少ないわけがない」
「じゃあ、値段じゃなくて、マドロン地区でしか供給できないような特殊な嗜好に応じた娼館に行ってたってことかな」
「まあ、そちらのほうが可能性は高いのではないか」
ティリアンは少し冷めてしまった紅茶を飲み干し、ちらりとルーシェの手もとを見た。ルーシェのほうはもう紅茶もお茶請けも綺麗に腹におさめ、「今日もおいしかった……」と満足そうにため息などついている。相変わらず、食べることにすがすがしいほどまっすぐな喜びを見せる子だ。
「それでね、彼がどのくらい頻繁にマドロン地区に足を運んでいるのかが分かるまで、もうしばらく追跡調査を続けようと思うんだ。できれば彼がマドロン地区に着いてからどこに向かうのかも調べたいところだけど、やみくもに夜のマドロン地区に踏み込むのは危険すぎるから、それはもう少し後にさせてほしい。僕とリドリーがマドロン地区の地理に慣れてからということで」
「分かった。それはもっともだな。事前の情報は多ければ多いほど安全につながる」
前線にいたとき、ティリアンが指揮官として最も重視していたことのひとつが情報だった。相手の戦力や指揮官の顔ぶれ、陣地や兵士が備えている装備、周辺区域の地形など、ありとあらゆる情報を求めて斥候を放っていたものだ。ティリアンがうなずくと、ルーシェはほっとしたように表情をゆるめた。
「よかった。公爵様なら分かってくれると思ったけど」
「当たり前だ。危険なのを分かっていてやれとは言わない。蛮勇を振るってやみくもに突撃して勝利をおさめるなど、たいていの場合は書物の中だけのことだ」
「そんな書物もあるの?」
「ああ。歴史上の戦いをつづった本や、伝説的な戦いなど、さまざまな逸話が伝わっているからな。信憑性の低いものも多いが」
「ふうん……」
なんだかルーシェがそわそわしている。どうしたのだろうか。
「何か言いたいことでもあるのか、ルーシェ?」




