ルーシェと馬に乗る 4
「少し離れたところで見ているといい。何周か走らせてくるから」
今日はずっとテンペストをおとなしくさせていたので、思う存分走らせてやれるのはありがたい。ティリアンはテンペストの腹を軽く蹴り、手綱を操って、あとは自由に走らせた。
走るのが大好きなテンペストはぐんぐんと速度を上げ、気持ちよさそうに馬場を疾駆する。広い馬場にはちょうどほとんどほかに人もおらず、のびのびと駆けさせることができた。こうして思うままに走らせていると、テンペストだけでなく、自分まで解き放たれたような気分になる。
ルーシェが立っているところに差しかかる。ルーシェはティリアンに気づくと大きく手を振った。楽しそうな笑顔が見える。ティリアンも軽く手を上げて応え、そのまままた通り過ぎた。楽しそうなルーシェに影響されたのか、こちらまでなんとなく心弾む気分だった。
(公爵領に戻って、遠乗りに出かけたいものだな)
ふとそう思った。兄の死の知らせを受けて戦地から戻って以来、ずっと働き詰めだ。証拠になるようなものを調べようとあちこちをひっくり返し、兄が公爵だったあいだの帳簿を目を凝らして点検し、そのかたわら公爵位を引き継ぐ者としての膨大な職務に忙殺されてきた。ずいぶん長いこと、目の前のそういった事柄ばかりに気を取られていたが、今日は久しぶりに息がつけた気がする。
そんな感慨を覚えながら2週目を走り終えて、ゆっくりと速度を落とす。ルーシェのところに戻ると、「おかえりなさい!」とルーシェが迎えてくれた。
「走ってるテンペスト、最高にかっこよかった! すごく綺麗で、力強くて、まるで風に乗って走ってるみたいだった……!」
感動冷めやらぬといった風情のルーシェが、興奮した口調で熱く語るのが微笑ましい。
「気は済んだか?」
「もちろん! 走ってる馬って、あんなに素敵なものなんだね。本当に綺麗だった!」
「それはよかった。さて、いったんここを出よう。その柵にのぼってからテンペストの上に乗れるか?」
「うん、できると思うよ。やってみる」
柵の上にひょいとのぼったルーシェの手を取って鞍の上に引っ張り上げる。最初に失敗しているから、今度はちゃんと力を加減することができた。
「ありがと」
鞍にぶじ収まったルーシェがにっこり笑う。
「君はずいぶん軽いな。ちゃんと食べているのか?」
つい素朴な疑問を口にしてしまい、今度はぎろりと睨まれた。
「今日はいっぱいよくしてもらってるから、言いたくはないけどさ、それって余計なお世話だよ、公爵様」
「……すまない」
余計なことを言ってしまった自覚はあったので、素直に謝罪する。
「基本的に、貧民街でまともな食事を腹いっぱい食べられるのは、ろくでもない仕事をしてる奴だけだよ」
「しかし、リドリーはしっかりした体格をしているように見えるが」
「リドリーはね、子供の頃はちゃんと両親がいたから、成長期にしっかり食べられていたんだ。だからちゃんと大きいんだけど……僕の場合、生まれて数年で親が死んでしまったから……。これでもリドリーが必死でここまで大きくしてくれたんだよ」
「そうか……無神経なことを言ってしまって、本当にすまなかった」
公爵邸に来るルーシェはいつも明るく元気だから、つい普通の子供のように思ってしまうけれど、彼はあの南街区で生まれ育ち、親もおらず、兄とふたりきりの食うや食わずの生活を経て生き延びてきたであろう少年なのだ。恵まれた境遇に育った自分が無神経なことを言ってしまったとティリアンは自らを恥じた。
「……いいんだよ、僕の境遇は公爵様には関係ない」
自分の横にあるティリアンの脚をルーシェがぽんぽんと叩く。
「それに僕は幸運だった。親はいなかったけど、リドリーがいてくれたから。リドリーっていう兄さんがいてくれなかったら、僕は生きてこられなかった。今こうしてちゃんと生きてるんだから、それでいいんだ。さあ、公爵様、どこ行くの?」
「……少しテンペストを休ませよう。あちらにゆっくりできそうなところがあるから」
不躾な発言をしたティリアンが本気で反省しているのが分かったのだろう、話題を変えてくれたルーシェの思いやりをありがたく思いつつ、テンペストをゆっくり歩かせて馬場から出て、少し歩いた先の木立の中で止めた。
「しばらくこのあたりでのんびりして、テンペストを落ち着かせたい。いったん降りよう」
ティリアンはまず自分が降りて、ルーシェに手をさしのべた。
「ひとりで降りられるのに。でも、ありがとう」
ルーシェはちょっとはにかむように笑って、その手を握った。それから「よいしょ」と飛び降りる。
「テンペスト、いっぱい乗せてくれてありがとう。さあ、しばらくのんびりおし」
律儀にテンペストに話しかけているのがおかしい。
ティリアンは手綱を持って歩き、腰を下ろして休憩するのにちょうどよさそうなところを見つけると手近な木の枝に手綱をかけた。テンペストはさっそく下草をもぐもぐと食み始める。
「うわあ、草を食べてる」
「馬だからな。当たり前だろう」
「僕も草が食べられたらいいのになって思ったことがあったけど……おいしいのかな、テンペストには」




