ルーシェと馬に乗る 1
水曜の午後、バリー・ギブソンを尾行した顛末の報告にルーシェがやってきて、わざわざ彼が子爵家の馬車から辻馬車に乗り換えて目的地へ向かったと教えてくれた。
「僕とリドリーで、ふたつの可能性を考えたんだ。子爵家の馬車の馬車では行きづらい場所に行くからか、親である子爵夫妻に自分の行き先を知られたくないからか、どっちかじゃないかって」
「そうだな。まあ、両方かもしれないが」
「尾行をまくためってのも少し考えたけど、リドリーが、それはないだろうって」
「……だろうな」
あのお人よしのギブソンが、自分が尾行されていることに気づき、追手を混乱させるために馬車を乗り換えるなど、ありえそうにない。そんな行動を彼が実は取れるとしたら、彼はおそろしく敏腕な工作員なみに素性を偽るのが上手だということになる。はたして、そんな可能性はあるだろうか?
「彼が実は凄腕の工作員だという可能性もまったくないとは言えないが、限りなく低いのは確かだろうな。私も軍にいた頃、いっとき情報将校としてその手の任務に携わったこともあったが……彼からは、工作員が共通して持っている独特の隙のなさがまったく見受けられない」
「僕もそう思うんだよね。彼ほどのんきに歩いてる人を尾行したのは初めてだったもの」
ルーシェはそう言っておもむろに紅茶を飲み、残りわずかになったお茶請けのサンドイッチを名残惜しそうにかじった。切なげに別れを惜しんでいるとでもいった風情に思わず笑いそうになり、口を押さえる。
「……何さ」
「いや、なんでも」
「……本当?」
うろんそうにティリアンを見上げたルーシェは、気を取り直したようにまた話し始めた。
「というわけで、初回はちょっと下手を打ったけど、次はちゃんと馬車で尾行できるようにしとく。また報告するね」
「ああ」
「じゃ、そんなとこで。……お茶、いつもご馳走様」
話が終わって帰ろうとしたルーシェにティリアンは尋ねてみた。
「ルーシェ、よかったらこれからテンペストに乗ってみるか」
「え、本当にいいの!? ありがとう!」
ルーシェは大喜びで提案に飛びついてきた。もしかしたら、楽しみにしてはいたものの、自分からは言い出せなかったのかもしれない。そういう遠慮ができるあたりが、ちゃっかりはしていても図々しいという印象までは人に与えない理由なのだろう。
「先に厩舎に行ってくれるか。私は服を着替えてから行く」
「うん、分かった!」
弾むような足取りでルーシェが部屋から出ていく。その後ろ姿を何となく見送ったあと、ティリアンは自分の部屋に戻って乗馬服に着替え、乗馬用のブーツを履いた。
玄関ホールでジョアンと会い、「これからルーシェをテンペストに乗せてくる」と告げる。ジョアンは苦笑した。
「先ほどルーシェが嬉しそうに教えてくれました。公爵様にテンペストに乗せてもらってくる、と」
「……ああ。このあいだ、なりゆきでつい約束してしまってな」
どことなくきまりが悪くて早口で説明し、厩舎に向かう。テンペストの馬房ではルーシェがロジャーの準備する姿をわくわくしながら眺めていた。
「ロジャー、急で悪いな」
「いえ。今日はいい天気ですからテンペストも外に出られて嬉しいでしょう。ぼうずもよかったな、こんないい馬、ほかでは乗れないぞ」
「そうなの? たしかにテンペストはすごく大きくてすごく綺麗だけど、そんなにいい馬なの?」
ルーシェが目を丸くする。ティリアンはうなずいた。
「テンペストは血統も申し分なく、馬好きなら誰でも欲しくてたまらなくなるような馬だ。私も馬市で一目惚れしたと言っただろう」
「……もしかして、ものすごく高かったんじゃ……」
「否定はしない」
鞍をつけられたテンペストを、ルーシェは畏敬のまなざしで見つめた。そしてティリアンに視線を移す。
「そっか、テンペストはすごいんだね。そんな馬に乗せてくれるなんて、本当にありがとう、公爵様」
「……いや」
まっすぐに向けられた感謝のまなざしが面映ゆく、つい目を逸らす。準備の整ったテンペストを馬房から引き出し、念のため自分でもきっちりと点検してから、手綱を引いて厩舎を出た。
ルーシェもティリアンの後ろに並んだ。ロジャーがルーシェのための踏み台を持って後からついてくる。
「いいか、絶対にテンペストの後ろには立つな。蹴飛ばされたら下手をすると死ぬ」
「分かった」
先にティリアンがテンペストにまたがり、下に立ったルーシェに手を伸ばした。ルーシェはロジャーが置いてくれた踏み台の上に立ち、ティリアンの手を握る。
その手を取ってルーシェを引き上げたティリアンは、思ったよりはるかにルーシェの手が小さくて華奢なことに内心で驚いた。力を入れすぎたら怪我をさせてしまいそうなほどだ。しかも予想以上に身体が軽い。それに気づいたのは力を入れてからのことで、勢いあまってルーシェの身体を引っ張りすぎてしまう。
「おっと」
ティリアンの身体にぶつかったルーシェが「いてっ」と顔をしかめた。




