ルーシェと馬 5
「なんで怖がらなきゃいけないの? 可愛い、という言葉はおかしい気もするけど、でもすごく可愛くてすごく綺麗な生き物だよね、馬って。強くて、速そうで、かっこいいなあ。とても魅力的だよ」
「怖がる子もいるんだよ。大きい、怖いって」
ロジャーがにこやかに答えた。たしかに貴族の子女の中でも馬を怖がる子供はいるものだ。
そういえば上の妹のオーレリアもあまり乗馬が好きではなかった。どうしても馬を怖がるせいで、馬を上手に御せないのだ。うまくならないから好きではなくなり、好きでないからますますうまくならない、という循環にはまってしまえば、そこから抜け出すのは難しい。
女性だから乗馬ができなくても特に困ることはない。結局オーレリアはろくに乗馬をしないまま大人になったのだろうか。もうとうに嫁ぎ、子供も生まれたたはずだ。
10年間一度も会っていないから、ティリアンの中では別れたときの14歳の少女のままなのだが、実際にはもう一児の母となっている24歳の大人の女性だ。妹はいま、どんなふうになっているのだろう。
そんなふうにつかのま別のことに想いを馳せていたティリアンにはまるで構わず、ルーシェはテンペストに張りついていた。
おやつのにんじんをあげた後は、熱心な観客の登場に気をよくしたロジャーがテンペストの入念な手入れを始め、ルーシェはそのにわか助手となって必要なものを手渡したりテンペストに話しかけたりと、いきいきと馬房で過ごしていた。
ロジャーの馬談議に熱心に耳を傾け、披露される逸話にいちいち感心したり笑い声をあげたりする。その笑い声は高く澄んでいて、きらきらと厩舎に響き渡った。まるで鈴を鳴らすような笑い声だな、とティリアンは微笑ましくルーシェを見つめた。楽しくてたまらないという感情がそのまま声になってあたりに金色の粉を散らし、まわりの人間まで楽しくさせるような、そんな不思議な力を持った笑い声だ。
ルーシェはそんな感じであっという間にロジャーを篭絡し、最後の頃にはブラシを握ってテンペストにやさしくブラッシングをさせてもらえるまでの地位を勝ち得ていた。
テンペストもおとなしくルーシェの世話を受け入れている。穏やかな馬とは言えないテンペストだが、物怖じしないこの少年のことが気に入ったのかもしれない。
「ルーシェ、楽しそうだな」
「うん、すごく!」
ルーシェは満面の笑みを浮かべている。ふだん執務室で話しているときにはあまり見せない、おそろしく素直な笑顔だ。いや、食べ物を前にしているときもこんな感じかもしれない。いつも神様だの祝福だの言いながらぱくぱくと幸せそうに食べているルーシェを思い出し、つい笑みが浮かんだ。
「君はよほど馬が好きなのだな」
「大好きだよ。こんなに近づけたのは生まれて初めてだ。本当にありがとう、公爵様。それからロジャーさんもありがとね。とても楽しい話が聞けたし、こんなに馬の世話をさせてくれて嬉しいよ」
「おまえさんは気持ちよく動くなあ。テンペストとの相性もよさそうだから、よかったらここに働きに来てほしいくらいだ。また、ティリアン様にご用があってこの屋敷に来るなら、ちょくちょく寄ってくんな」
ロジャーもにこにこしながらルーシェの背中を叩いた。これほど熱意をもって自分の話を聞いてくれる相手なら大歓迎だろう。えへへ、とルーシェも嬉しそうにうなずく。
「公爵様、また来たときにここに寄ってもいい?」
「ああ。もちろんロジャーがここにいるときだけだが、彼がいるなら、遊びに行くといい」
「ありがとう!」
ルーシェは嬉しくてたまらないといったようにまた笑った。ああ、またあの声だ、と思う。これほど純粋で素直な喜びの感情に接したのはいつぶりだろうか。もしかしたら子供の頃以来かもしれない。ルーシェの無邪気さに心が慰められるのを感じながら、ティリアンも微笑んだ。
「そのうち、テンペストに乗せてやろう。まだ馬に乗ったことはないのだろう?」
「もちろんだよ! ……本当に、乗せてくれるの!?」
ルーシェはいっそう瞳を輝かせた。全身から嬉しさがあふれている。飛び跳ねんばかりの喜びように、ティリアンもロジャーも思わず笑ってしまった。
「ああ。もちろんひとりでは無理だが、私の前に乗せてやるから、楽しむといい」
「……ありがとう!」
ルーシェは本当にその場でぴょんと飛び跳ねた。ルーシェの幸せそうな笑顔には、こちらまで釣り込まれるような効果でもあるのだろうか。ロジャーはもう、初孫を前にした祖父さながらに笑みくずれている。
ハーディスが以前、伯爵家の家政婦頭もルーシェにめろめろだと言っていたが、きっとこんな感じだったのだろうと、ロジャーを見ながらティリアンは苦笑した。
(いや、私もだいぶほだされているのかもしれないな)
テンペストに乗せてやろうと申し出た自分を顧みてそう思う。とても素直に喜びをおもてに表すルーシェはなんだか可愛くて、彼の喜ぶことをしてやりたくなってしまうのだ。
少年のくせにいっぱしに兄の助手として情報屋の仕事をしていられる理由のひとつがそれなのかもしれないと、ティリアンはふと思いいたった。
子供だから警戒心を持たれにくいというのも大きいのだろうが、人懐こくて素直なルーシェを喜ばせたいと思って彼に何くれとなく与えようとする者も多いのだろう。ささやかな親切だったり、助力だったり、あるいは彼の求める情報だったり。リドリーも弟をうまく育てたものだ。
結局その日は、昼どきになってティリアンが屋敷に引き取ることを思い出すまで、ルーシェは厩舎から離れなかった。そのあげく、「せっかくだからここで昼飯を食っていけばいい」というロジャーの言葉にちゃっかり甘えて、一緒に引き返すありさまだ。使用人用の出入り口に向かうふたりと別れて正面玄関へ歩きながら、ティリアンはつい苦笑を浮かべた。
(うちの者たちも、だんだんルーシェに篭絡されてきているな。私も含めて)
それがまったく不愉快ではない自分に驚きつつ、ティリアンは屋敷へ入った。




