ルーシェと馬 4
「ティリアン様、どうかなさいましたか」
「ああ、この子に馬を見せてやろうと思ってな」
「……馬、でございますか?」
「ルーシェは馬が大好きなのだそうだ」
「公爵様が、テンペストっていう馬を見せてくれるんだって!」
はちきれんばかりの喜びをあふれさせながらルーシェがジョアンに説明している。そしてくるりとティリアンのほうを振り向き、悪戯っぽく笑った。
「それにしても、公爵様。今日はなんだか馬に縁がある日だよね」
「縁? なぜだ」
「馬の話題が妙に多くない? ほら、女性の深謀遠慮とかさ。これはもう運命だよ」
そう言えばそんな話もしていたのだった。思わず笑い出したティリアンを、ジョアンが目を剥いて見つめている。
「そう言えばそうだな。では、私が今朝に乗馬に出かけたのも運命だったのか?」
「そうそう。僕にテンペストを見せてくれるための運命だったんだよ」
「なんだか君にだけ都合のいい運命ではないか」
そんなことを言い合いながら玄関を出て厩舎に向かう。
厩舎は敷地のはずれにあるので少し歩くのだが、ルーシェの足取りがやたら軽いのにひそかに笑いがこみあげる。彼が、ふふーん、馬、うま~、とでたらめな歌を歌い出すにおよんで、ティリアンはとうとうこらえきれずに吹き出した。
「ルーシェ……頼むからその歌はやめてくれ」
「えー、なんで? 浮き立つ気持ちをこめて歌ってるだけのに」
「聞いていると力が抜ける」
「いいじゃないか、ちょっとくらい力が抜けたって。だいたい公爵様はさ、ちょっといつも力を入れすぎてるんじゃないの。僕の歌で少し肩の力を抜きなよ」
「なんだかもっともらしく聞こえるが、ただ歌いたいだけなのではないのか」
「へへ、ばれた」
厩舎に着くとルーシェは驚いたように建物を見回し、「公爵家では馬も僕よりいいところに住んでるんだね」と論評した。
どう返事していいのかとっさに分からずに言葉に詰まったティリアンを、ルーシェが不思議そうに見つめる。
「どうしたの」
「いや……いつもの君の皮肉かと」
「違うよ? 親切にしてくれる人に皮肉なんて言わないよ、たとえお貴族様でもね」
「……そうか」
「心の中で思うだけにしとく」
「……」
ルーシェは小悪魔のようにふふっと笑うと、「入っていい?」と奥を指さした。
「あ、ああ」
答えながらどっしりと重い木の扉の横を通る。昼間は開けてあるのでわざわざ開ける必要はない。
ティリアンが「ロジャー!」と厩舎頭を呼ぶと、奥からロジャーが姿を現した。もう50も半ばを過ぎた男だが、馬の扱いにかけてはすばらしい腕を持っていて、ティリアンが子供の頃からずっと公爵家で働いている。
王都と領地の双方の厩舎を束ねる立場にあるため、定期的に両方の屋敷を行き来しているが、ティリアンがテンペストを迎え入れてからは、ほぼテンペストのいるほうに滞在しているような気がする。
「ティリアン様。どうかなさいましたか」
「この子がテンペストを見たいというので連れてきた」
ルーシェを前に出すと、ルーシェは人懐こく「こんにちは、ロジャーさん。僕はルーシェ。公爵様の依頼を受けてる情報屋だよ」と自己紹介をした。
「ルーシェ、かい。テンペストに会いに来たとはいい趣味をしてるな」
「うん。馬が大好きなんだ。そう言ったら、公爵様が見せてくれるっていうから、飛んできたの」
にこにこと笑うルーシェにロジャーも好感を持ったようだ。
「ま、見てくんな。奥の馬房がテンペストのだ」
「ほかにもいるんだね。可愛いなあ」
王都の馬房には全部で5頭の馬がいる。テンペストと、馬車を曳かせるための4頭の馬だ。公爵領のほうにはもっとたくさんの馬がいる。見せたら喜ぶだろうな、とふと思う。
ルーシェはきょろきょろしながらも厩舎を奥へと進み、テンペストがいる馬房の前まで来た。ティリアンを認めたテンペストが軽く鼻を鳴らし、甘えるように近寄ってくる。たてがみに手を差し入れてぐっと撫でおろすと頭をこすりつけてきた。
「その子がテンペスト? すごい……綺麗……」
ルーシェが横でうっとりと見つめている。まるで怖がるようすもないことにティリアンは少し感心した。
「ぼうず、にんじんをやってみるか」
「え、いいの!?」
ロジャーの提案にルーシェは大喜びだ。ティリアンを振り返り、「いい?」と律儀に確認してきた。
「ああ。厩舎の中ではロジャーの発言権が一番強い。彼が勧めてくれるのならやってみたらいい」
さっそくルーシェはロジャーからもらったおやつのにんじんをテンペストに差し出した。ばりばりとテンペストがそれを噛み砕く。
「おまえ、すごい食欲だなあ。ははっ」
ティリアンは夢中で馬ににんじんを食べさせているルーシェをまじまじと見つめた。思えばこうして何かほかのことをしている彼を観察するのは初めてかもしれない。今まではいつも執務室の椅子に座って向き合い、話をするばかりだったから。
こうやってあらためて見てみると、14歳の少年にしてはずいぶんと線が細いなと思う。貧民街で満足に食事もできない環境で育ったせいだろうか。
しかし、けしてひょろひょろという感じではなく、小柄でもすんなりと手足が伸びた、敏捷な小鹿のような雰囲気だ。
彼が身に着けているものはすべてリドリーからのお下がりらしく、当然ながらサイズが合っておらずどれもぶかぶかだった。いつもの灰色の上着と黒ずんだズボンを身に着け、くたびれた茶色のブーツを履いている。
帽子が大きすぎるのと前髪が顔にかぶさっているのとで、顔の上半分はほとんど隠れているが、頬からあごにかけての輪郭は意外にもすっきりと優美で、まるで少女のようだった。華奢な体型もあいまって、こうしてじっとしていると、どことなく性別があいまいな印象を受ける。
「ねえ、もっとあげていい?」
前髪のあいだで目をきらきらさせたルーシェがティリアンにねだった。ああ、とうなずいて横のロジャーからもう一本のにんじんを受け取り、ルーシェに渡してやる。
「ありがと」と笑ったルーシェがそれをテンペストに差し出すと、テンペストはがつがつとそれを食べた。わあい食べた、とルーシェは無邪気にはしゃいでいる。
「君は怖くはないのか?」
「何が?」
「そのテンペストが」




