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公爵と情報屋 ~男装美少女は氷の公爵から一途に愛される~  作者: やまのみき
第2章 初夏

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イングラム邸への訪問 9

「じゃあね、公爵様。ここまで送ってくれて、本当にありがとう」


「いや。気をつけて戻るようにな」


 礼を言って降りていったルーシェがいなくなると、馬車の中ががらんとしたような気がした。小柄な少年のくせにずいぶんと存在感があるものだ。ティリアンは思わず苦笑した。


 今日のイングラム邸への訪問でも残念ながらアルマン・タイラーの行方を知る手掛かりは得られなかった。ルーシェが言っていたように、いったんは置いておくしかない。当面は別のほうからの調査を進めるしかないだろう。


 それにしても、ここまで徹底して姿をくらますからには、アルマン・タイラーは明確な意図をもってそうしたことになる。明らかに彼は自分の居所(いどころ)を突き止められることを恐れて逃げたのだ。いったい誰から逃げたのか。


 それはやはり、兄の命を奪った犯人から逃げたと考えるのが自然ではないだろうか。

 

 その証拠に、ラウリア商会で彼の借りていた物件を調べたときも、彼は次の住所を商会に告げていなかった。

 それなりの物件を借りるような借主の場合、これは異例のことだ。引っ越した後にも郵便物や訪問客が来ることがあり、そういった場合への対処のために、仲介していた商会には連絡先を残していくことが多い。それをしなかったアルマン・タイラーは、よほど自分の新しい家をたどられたくなかったのだろう。

 商会長はしきりに恐縮して、普通はちゃんと聞いておくものですが今回は例外だったようです、たいへん申し訳ございませんでしたと繰り返していたが、それはおそらくタイラーの意思だったのだろうから、別に商会長の落ち度だというわけではない。


(まあ、それに、まったくの無駄足でもなかったからな)


 ルーシェを殴りつけた店員にひとこと言ってやれただけでも、あの商会に足を運んだ甲斐はあった。

 殴られた跡のあるルーシェの顔を見たときの驚きと怒りがふとよみがえる。ルーシェ本人はそれほど気にしていないようだったが、ティリアンは腹を立てずにいられなかった。

 仕事とはいえ、自分のために奔走してくれているルーシェが理不尽な目に()ったことが妙に腹立たしく、つい動いてしまったのだ。あの件がなかったら、さすがに自分が出向くことはなかったかもしれない。


 いちいち自分は怒ったりしないけど代わりに怒ってくれたことには礼を言う、と言ったルーシェを思い出し、小さく笑う。

 まだ14歳の少年のはずだが、ときどきルーシェはそんなふうに妙に達観した態度を見せることがある。南街区で生まれ育ち、ティリアンには想像もつかない厳しい世界を知っているからなのだろう。


『別に大人なんかじゃないけど、南街区にいれば嫌でもこうなるって。人間が弱い立場の者にどれだけ暴力を振るえるものか、実例がそこらじゅうに転がってるんだから。僕だって何度も何度も痛い目に遭ってきたし、いろんな襲撃から逃れてきたわけだしさ』


 肩をすくめてそう言ったルーシェは、いったいどれくらいの『痛い目』に遭ってきたのだろうか。

 兄のリドリーに守ってもらえていたとはいえ、そのリドリーだって、昔は子供だったのだ。小さな弟をかかえ、たったふたりであの南街区で生き抜いてきたわけで、ふたりともきっと、文字通り常に命の危険にさらされる日々だったのだと思う。


 ティリアンは10年間、軍人として生きてきた。最初の1年こそ最前線に出ることはなかったが、その後は戦地に立ち続けた。つかの間の休暇のときを除いて、自分の周囲から死の影が消えることはなかった。

 そんな日々をルーシェなら理解できることだろう。朝起きたときに『今日は死なずにいられるだろうか』と思い、夜になって『今日も死なずに済んだ』と息をつく、そんな日常を、彼なら分かってくれるに違いない。

『南街区にいれば嫌でもこうなる』と言ったときの、妙に()めた目をしたルーシェなら、きっと。


 だが、そんな育ちにも関わらず、ルーシェは――どう言ったらいいのだろうか、その環境に毒されていない。

 世の中の理不尽を呪い、南街区に生まれた自分を哀れみ、恵まれた人々を(うらや)むことだって、彼のような境遇にいれば自然なことだろう。ところがルーシェにはそういうところがうかがえない。むしろ、ティリアンが知るどんな少年よりもいきいきとしていて、ほがらかで、素直で……そしてどこか無垢だ。


 この馬車に乗って大はしゃぎしていたルーシェを思い出すと、つい口もとがゆるむ。あのときも、ルーシェはただ豪華な馬車に乗れたことに喜んでいるだけで、そうした贅沢なものを享受しているティリアンやそのほかの貴族たち――『持てる者』に対する嫉妬の念を抱いているようには見えなかった。


 もちろん、南街区に生きる者として、どこか深い部分で『持てる者』への嫌悪を持っていないはずはない。だがルーシェは上手にそれを自分の意識から切り離し、他人は他人、自分は自分、という態度を貫いている気がする。


(彼のそういう(いさぎよ)さ、割り切りのよさを、私は気に入っているのかもしれないな)


 そう。自分はあの情報屋の少年をかなり気に入っているのだ。彼が殴られたと聞いてひどく腹を立ててしまうほどに。


 兄の死についての調査を始めて以来、ルーシェとはたびたび顔を合わせ、言葉を交わしてきた。いつの間にか、彼の小気味いいおしゃべりを聞くのも、他愛もないことで笑みを交わし合うのも、それがごく自然で……そして、楽しいことになりつつある。


 ルーシェといるとき、自分はよく笑っているような気がする。さっきもイングラムのことでずいぶん笑い合ってしまった。どうも、彼とはなんとなく感情の波長が合うのだ。

 年齢も育った環境も違うのに、これほど気安く話したり笑い合ったりできるのは不思議だが、これも相性というものなのだろうか。


「不思議だが……だが、悪くはない」


 ティリアンはそうつぶやき、唇に再び小さな笑みを浮かべた。


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