イングラム邸への訪問 6
「へえ……それは有力な情報だね。他には?」
「個人的な事柄を聞いたことといえば、伯母と住んでいるということくらいだな。知り合いの名前なども彼から特に聞いたことはない。後援者だった先代のリールズ公爵閣下のお名前以外は出てくることはなかった」
「ランドール様のことは、話していたの?」
「よく話していた。公爵邸で音楽会が開かれ、それに出演したとか、アリンガム邸の音楽会にふたりして招かれて緊張したとか、顔をほころばせて話していたものだ。とても敬愛しているのだなと感じた」
「そっか。やっぱり、いたって良好な関係だったんだね」
どこで聞いてもそういう話しか出てこない。きっとランドールは理想的な後援者だったのだろう。
「そなたはいつ頃から彼を教え始めた?」
黙ってふたりのやり取りを聞いていたティリアンが尋ね、ミスター・イングラムはまた「うーむ」と記憶を思い起こすように唸った。
「そうですなあ……かれこれ4年ほどは教えておるかと」
「指導に対する支払いは? どのように対価を受け取っていたのだ?」
「月に一度、アルマンがこちらに来るときに持ってまいっておりました。もちろん出どころは先代公爵閣下だったことと思います」
「差し支えなければ、その額を教えてもらってもいいだろうか」
「1か月に2万リル、いただいておりました」
2万リルといえばルーシェリアにとってはかなりの大金である。ティリアンから依頼されたこの調査でひと月に稼げる金額が、だいたいその半分から3分の2くらいだ。
弟子が師匠に払う謝礼としてその額が多いのか少ないのかは分からないが、教わる相手が往年の名歌手なのだから、相場よりもだいぶ高いのかもしれない。
「その額を決めたのは誰だ? そなたか?」
「私がアリンガム卿と相談して決めた額でございます。一般的な謝礼としては高額かもしれませんが、この私が教えるのですから、安いものですよ。もっと金を積んで、ぜひとも師匠になってほしいと頼んできた人物もひとりやふたりではありませんが、そういう話は断ってきたのです。私には金よりも芸術の女神に捧げる時間のほうが大切なので」
(やっぱり高かったんだ……)
さすがは自分にゆるぎなき自信を持つミスター・イングラムである。自分にもこれくらいの自信があればもっといろいろと強気に行けるのではないかとルーシェリアはひそかに考えた。
(うーん、だけど、自信を持つにはちゃんとそれなりに裏打ちされたものがなきゃなあ……。この人も、今はただの太ったおじいさんにしか見えないけど、きっと全盛期はすごい人だったんだろうし。廊下にあった絵みたいに、衣装を着て、舞台に立って、たくさんの観客の前で堂々と歌って、拍手喝采を浴びていた名歌手なんだから)
自分がこの人を真似るなんて、百年早いというものだろう。ルーシェリアは素直にぱちぱちと手を叩き、「さすがだね、本当にすごいよ」と賛辞を口にした。ティリアンの口もとがまたわずかに震え、それを隠すように片手を上げてさりげなく口に当てるのが見える。
「私はただ、おのれの信じる道を進んでおるまで」
ミスター・イングラムはまんざらでもなさそうな表情を重々しい口ぶりで覆い隠し、うむうむとうなずいてみせた。
「芸術の女神は浮気者がお嫌いなのだ。自分だけを見つめ、自分だけに身を捧げる者にのみ報いてくださる。だから私はけして精進を怠ることなく一心に努めてきた。その結果、女神の恩寵を勝ち取ることができたというわけだ」
「すごいね。今も歌ってるの?」
「もちろん、もう舞台に立ったりはしておらんよ。外で歌うのはアリンガム卿に呼ばれてお屋敷での音楽会に出演するくらいのものだ。だが家では毎日歌っておる。年齢からくる身体的な衰えはいかんともしがたいが、老境にかかって初めてそれなりに歌いこなせるようになる曲というものもあるのでな。毎日、新しい発見がある」
「ほう。興味深いことだな」
かたわらでティリアンがうなずき、ルーシェリアに向かって熱く語っていたミスター・イングラムははっとそちらを向いた。
「そのようなお言葉を賜るとは光栄の極みでございます。そのうち機会がありましたら、アリンガム卿が開かれる音楽会にて私の歌を閣下にもお聴かせすることができましたらと……」
「アリンガムにも言っておこう。そなたが歌うときはぜひ誘ってくれと」
「……身に余るお言葉です……!」
太った身体を感激に震わせるミスター・イングラムについ笑いそうになり、慌てて口もとを押さえたルーシェリアを見て、ティリアンもふっと口もとをゆるめた。それから、それを取り繕うように居ずまいを正す。
「ずいぶん長々と話させてしまったな。そろそろ帰るとしよう。アルマン・タイラーが見つかったあかつきにはそなたにも連絡する」
「は、はい」
立ち上がったティリアンに応じるようにミスター・イングラムも杖をついて「どっこいしょ」と立ち上がり、扉に向かってゆっくりと歩き始めた。
「お見送りさせていただきます」
「ああ」
ミスター・イングラムに先導されてまたさっきの廊下を歩く。
かつての雄姿を描かせた数々の絵画を、今こうして杖をついて歩くミスター・イングラムはどのような思いで見ているのだろうか。ルーシェリアはそんなことを考えながらふたりの後について歩いていった。




