イングラム邸への訪問 5
「残念ながら、私が経験したさまざまな公演の中には、有力者からの口利きで舞台に立った歌手もおりました。さすがに主役ではなかったものの、準主役とも言うべき重要な役柄でさえ、そういうことがあったのです。そうした歌手はやはり本番では精彩を欠き酷評されることが多かったように思いますな。それに、実力不足の歌手が混じると、周りが大変なのです。その者の歌に欠けているものを周りの者が補わねば、舞台がおかしくなりますから」
「だから自分はそういうことはしないと?」
「ええ。私は芸術の女神に自分の人生と命を捧げた身、女神に恥じるような行いはせぬことを固く誓っております。そしてアルマンにもその旨はっきり申し渡しました。そして言いました。おまえも私の弟子になったからには、ひたすら芸術の女神にその身を捧げるようにと」
「彼はうなずいたのか」
「もちろん。そうでなければ弟子になどいたしません」
そう言ったミスター・イングラムは、しかし、ふいに表情を曇らせた。
「ほんの数か月前までは、まったく何の心配もなく、順調に進んでおりましたのに。最初に申し上げた通り、ある日突然、よんどころない事情ができてしばらくここに来られなくなった、お詫び申し上げますという書付が届き、それ以来音信不通になってしまったのです。驚いて、事情を聞くためにこちらからも手紙を届けようとしましたが、聞いていた住所には彼はもうおりませんでした。どこへ行ったのかまったく分からず、今に至るというわけで」
「その書付が来たのがいつのことか、覚えているか?」
「2月の下旬でした。あの日……閣下の兄君が殺害されたことを新聞で読んだ、その日の夜です。だからよく覚えているのです」
「その日だったというのか」
ティリアンが目を見開く。
「はい、まさに当日の夜でございした。だから思ったりもしたのです、まさか理解ある後援者の突然の死に衝撃を受け、声を失ってしまいでもしたのかなどと……心配して手紙を書き、翌日従僕に届けに行かせたら、なんともうその家からアルマンは退去したあとでした。いったい何があったのか……」
ルーシェリアとティリアンは再び顔を見合わせた。
ランドールの死を報じた新聞が出回ったその日の夜に、タイラーはここに手紙を寄こしたのだ。そして次の日にはもう引っ越していた。
それが偶然のこととはとうてい思えない。ランドールが死んだことを知り、取るものもとりあえず逃げ出したようにしか見えないではないか。
「公爵閣下は、なにゆえアルマンを探しておられるので?」
遠慮がちにミスター・イングラムが尋ねる。ティリアンがそちらに顔を向けた。
「ランドールに後援していた歌手がいたことを、私は最近まで知らなかった。兄が目をかけていたのなら私も兄の代わりに支援しようと思い立ち、探し始めたのだ。それでこの子を雇った。だが、まさか行方知れずになっているとは思わなかった」
「彼が出演していた劇場の支配人さんも、そのことを知らなかったんだよね。そして、ぜひ探し出してほしいと彼からも頼まれたんだ」
「そこにぜひ私の名前も付け加えてもらいたいものですな、私も弟子の行方を知りたい」
嘆息したミスター・イングラムは、「閣下が知りたいことをお答えすることができず、申し訳ない」と恐縮したように頭を下げた。いや、とティリアンが鷹揚に手を振る。
「仕方ない、彼が誰にも行き先を告げずに姿を消してしまったのだから。そなたのせいではない。それより、何かほかに覚えていることはないか? 小さなことでもいい」
「例えば、彼に好きな人がいたかとか、彼が故郷について口にしたことがなかったかとか、親しい友人の名前とか……雑談のついでに、そんなことを話したりしなかった?」
ルーシェリアの挙げた例に、ミスター・イングラムは「うーむ」と腕を組んで考え込んだ。
「基本的に、指導中に雑談などしないもので……だが、そうだな……」
黙って記憶をたどっているらしいミスター・イングラムを、ふたりして見守る。何か思い出してくれないだろうか。ここで何の手がかりも得られなければ、アルマンをたどる糸は完全に切れてしまう。
「アルマンに想い人がいるかどうかについては、何も聞いたことがないと思う。ただ、彼の出身については、王都なのだろうという印象を受けた」
「どうして?」
話し始めたミスター・イングラムに、疑問をぶつけてみる。それはだな、と彼は答えてくれた。
「いつだったか、ある地方に伝わる伝統的な旋律を使った歌を練習させたことがあってな。そのとき、いろいろな地方に独自の旋律が残っているという話をしたことがあるのだ。子守歌、春の祭りのときに歌う歌、収穫を寿ぐ歌、新年を迎える儀式のときに歌う歌など、さまざまな歌がその地方ごとに伝わっている。私の故郷にもそんな歌がいくつか残っておった。そういう話をした後で、何気なく聞いたのだ。おまえの故郷にもそういう歌はあるか、と。そうしたら、この街しか知らないのでそのような歌は知りませんと答えた気がする」




