イングラム邸への訪問 2
「リールズ公爵閣下……!」
執事が大きく開けた扉から部屋に入ると、中にいた男性が声を上げ、杖をついて立ち上がった。
もとは栗色だったであろう髪が半ば以上白くなっている、ずいぶんと大柄の男性だ。いや、大柄というだけでなく……明らかに、おおいに太っている。絵で見た彼の姿よりもかなり。彼が舞台で活躍していた壮年期の頃にはまだ絵姿のような体格だったのだろうか。それとも実際には今のように太っていたけれどそれをそのまま絵には描かせなかったのか。とても聞けないけれど聞いてみたい。
「デヴォン・イングラムでございます。我が屋敷によくぞお越しくださいました。まことに光栄のいたりです。さあ、どうぞお座りください。……おや、その少年は?」
ティリアンの後ろにいたルーシェリアに目を止め、その男性――ミスター・イングラムは、不思議そうに問いかけた。
「この子は私が雇っている情報屋の少年で、今日こちらに訪問した理由と関係がある。だから連れてきた」
「そうでございますか、分かりました。まあどうぞ、そちらにお座りに……」
ティリアンは勧められた立派な椅子に優雅に腰を下ろし、ルーシェリアにも「そこに座るといい」と横の椅子を示してくれた。ぺこりと何となく頭を下げ、そこに座る。なかなかに座り心地のいい椅子だった。
「今日は、時間を取ってくれて礼を言う。突然の書状で驚かせたことだろうが」
「いえいえ、閣下のような方に足をお運びいただくなど、もったいないことでございますが……」
ぎくしゃくとした動きで再び椅子に座ったミスター・イングラムは、あらためて頭を下げた。
「アリンガム子爵からも、書状をいただきました。あなた様が、私に聞きたいことがあるらしいので、近々訪問することと思う、よろしく頼む、と。ですから心づもりはできておりました次第です」
「そうだったのか。さすがはアリンガムだな」
扉がノックされ、茶器の載った大きな盆を持って小間使いが入ってきた。まずふたり分をティリアンたちの前にあるローテーブルの上に置き、それからあとひとつ、ミスター・イングラムの分のカップを、彼が座った椅子のすぐそばに置いてある小さな台の上に載せる。
「申し訳ない、本当ならそちらでともにお茶を楽しみたいのですが、前かがみになると足に負担がかかりましてな」
「いや、構わない。楽なようにしてくれたらいい」
ティリアンが応じ、ミスター・イングラムはほっとしたように笑った。
「情けないことですが、もう長いこと、足を痛めておりまして。近頃は階段をのぼりおりするのも一苦労です。さあ、どうぞお召し上がりください。それから、わざわざ私に会いに来てくださったという、その理由をお聞かせいただきましょうか」
「ああ。実は、そなたが弟子にしていたはずの、アルマン・タイラーという青年のことについて聞きたいのだ」
ティリアンがそう言ったとたん、ミスター・イングラムはぱっと顔を上げた。そして、「おお、アルマン!」と叫ぶ。
「アルマンのことは、私も案じていたのです。しばらく来られないという連絡を寄こしたきり、音信が絶えてしまいましてな。いったい彼に何があったのか、閣下はご存知なのですか?」
ルーシェリアは思わずティリアンと顔を見合わせた。ではこのミスター・イングラムも、アルマンの行方について何も知らないのだ。予期してはいてもがっかりした気分が胸に広がるのは否めない。
「残念ながら私も知らないのだ。彼の行方をこの少年に調べさせているのだが、まったくつかめない。師匠だったそなたなら何か知っているかもしれないと思って、こうして訪ねた次第なのだが」
「でしたら、たいへん申し訳ないことではございますが、お役には立てそうにありませんな。彼の行方なら私も知りたい。いったいどうしてしまったのか……」
ミスター・イングラムは手にしたカップに口をつけ、ひと口紅茶を飲んでから言葉を継いだ。
「お聞きになっただろうとは思いますが、アルマンのことは、親交のあるアリンガム卿から頼まれたのが発端でございます。才能のある若い歌手がいるからあなたに判断してほしいと言われて、その歌声を聞きました。そして確信いたしました。彼は本物だと」
「本物……」
「ええ。私どもはときどき、冗談めかして言うのですよ。あの歌手の喉には女神のキスの跡がある、と。芸術の女神に愛された、天性の才能と歌声を持つ歌手のことを、そんなふうに言うのです。彼の喉にある女神のキスの跡が、私には確かに見えました。彼は本物だ、きっと将来、名のある歌手になれるだろうと確信したのです。だから彼の指導を引き受けることにしました」
「なるほど。そなたにはほかに弟子はいないのか?」
「おりません。彼だけです。実は私は目下のところ、ディエリア建国以来の王都における音楽芸術の歴史について、執筆を行っているところでして。そちらで忙しくしているもので、もともと弟子を取る気はなかったのです。彼は特別ですよ」
「ほう、執筆を。なかなか有意義な仕事だな」
紅茶を飲みながらうなずいたティリアンの言葉に、ミスター・イングラムはぱっと顔を輝かせた。




