第55話 久しぶり、兄ちゃん
見間違えるはずがない。だって、あの姿は兄が魔法少年をしていた時の姿そのものだったから。
魔法少年はもう終わったはずだったのに、どうして。やはり忘れられなかったんだろうか。あの頃の楽しかった日々が。
僕は覚えている。ずっと仲の良かった妖精の英太が妖精の国へ帰ってから、兄はどんどん病んでいった。心ここにあらず、といった日々も増えていったからみんなで心配した。けれど、兄は決して誰にも相談しなかった。きっと、僕らじゃ頼りなかったんだろう。
兄の顔を今でも覚えている。理解してもらうことを諦めて、会話をやめたあの顔を。
「兄ちゃん!」
僕は叫ぶ。魔法の衣装を身に纏う兄が振り返った。
「なんだ、貴様。魔法少女が敵に何用だ?」
そうか。今は魔法少女の姿だから僕だと分からないか。半田丸助だ、と言おうとしてはっとする。今の姿なら、聞けなかったことも教えてくれるんじゃないか。
「どうしてこんなことするの? 僕……私たちが戦う必要なんてないよ」
「貴様らが勝手に対抗してくるだけだ。我らのことは放っておけばいい」
「そういうわけにはいかないよ。だって、無関係な人を巻き込んでいるじゃん」
「巻き込んでなどない!」
兄が声を張り上げた。僕は驚いて思わず口を閉じる。兄は僕を睨みつけた。
「お前たちこそ、都合よく使われているだけだとなぜ気づかない? そもそもは、妖精どもがいなければこんなことは起こっていないんだぞ」
「……それは、妖精が死んだ人間を蘇らせたものだからってこと?」
兄の目が見開く。
「貴様、なぜそれを……。……そういえば、初めにぼくを兄と呼んだな。……まさか」
どうやら兄は僕の正体に気付いたらしい。ここが引き際だろう。僕は変身を解く。
「……丸助」
「久しぶり、兄ちゃん」
兄が動揺しているのが見て分かる。黒いステッキを取り出して兄も変身を解いた。ここからは敵対する相手じゃない。兄弟の時間だ。
「複雑だな、弟が魔法少女をしている姿を見るのは。いや、妹というべきか」
「久しぶりに会った兄弟に対する第一声がそれでいいの? それと、僕だってやりたくてやってるわけじゃないんだから、勘違いしないでよね」
ツンデレみたいになったけど、本当のことなのだ。僕に関してはただの事故。咲が掃除している時に手伝おうとしてうっかり魔法のステッキに触って、ステッキが呼応してしまったからピンチヒッターとしてここにいるだけだ。
「でも、やってて良かったよ。こうやって兄ちゃんに会えたんだから。……今は、どこで何しているの?」
聞きたいことはいっぱいある。どうして魔法少年をしていた兄が、今は魔法少女の敵として立ちはだかるのか。どうして家族から離れて行方不明になっていたのか。目的は何なのか。
「そんなことを知ってどうする? 知ったら、お前は協力してくれるのか」
「それは……」
「我に話しかけてきて、丸助は何がしたいんだ? やめろと言われても、我が止めるつもりはない。……分かったらもう関わるな。今の我らは敵同士だ」
兄は冷たい目でこちらを見る。僕の言葉が何も届いていない。
――拒絶されている気分だ。兄のあんな表情は初めて見た。記憶の中の兄は、ちょっと変わったところもあるけど、優しい人。今みたいな冷たい顔を僕に向けるような人間じゃなかった。心臓がぎゅっとつかまれたみたいに苦しくなる。
「僕は、ただ……もう一度、仲良くしたいだけだよ。――帰ってきてよ、兄ちゃん」
兄の瞳が揺れるのが見える。逃げるように兄が僕に背中を向ける直前の、兄の泣きそうな顔が目に焼き付いた。
「無理だ。ぼくは……我は、妖精になる。そして――妖精の国を壊すと決めた」
兄の言葉が頭の中を反芻する。
「妖精になる……? 兄ちゃんが?」
妖精とは、戦争で未練を残して亡くなった人間が別の妖精に魂を召喚されることで生まれるものだ。兄が妖精になるためには、まず未練がある状態で命を絶たなければいけないはずである。
つまり、兄は――。
「ダメだよ、兄ちゃん。……本気なの?」
「ああ。俺は本気だ」
「どうしてそこまでして、妖精の国を壊そうとするんだよ」
兄が振り返る。その目には怨念の炎が宿っていた。
「あいつらが、ぼくの人生をめちゃくちゃにしたからだ。……世界を変える力だと嘯かれ、いざ大義のためにと立ち上がった。だのに、蓋を開ければやっていることは身内の小競り合い。頑張ったところで誰かに賞賛されるわけでもない。……やりがい搾取もいいところだ。きっと給料に換算すればかなりの額になるに違いない」
「……兄ちゃんは、妖精たちを恨んでいるってこと?」
「そうだな」
兄はあっさり頷いた。
「恨んでいる。……ぼくは、評価されたかった。それが何もなかった。……だから、そうだな。取り立てに行くようなものさ。それに、妖精なんていないほうがいい。――消えるべき存在だ」
兄が魔法のステッキを掲げ、妖精の姿になる。
「さらばだ、弟よ。次に会う時は容赦しない」
「兄ちゃん!」
兄は振り返らないまま去っていく。
僕は兄の背中が見えなくなるまで、その背中に掛けられる言葉を見つけることはできなかった。




